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セザンヌとマティスとピカソの関係や [スケッチ・美術系]

katateage2_1.jpg <マティス・メモ6> ●ピカソのキュビスム原点作「アヴィニョンの娘たち」(1907年)には、アフリカ美術の影響があって、彼のそこへの関心経緯に二説ある。

●まずマティスがアルジェリア旅行でアフリカ美術へ興味を持ち、スタイン家でピカソに会う時に小さなアフリカ彫刻を持参。するとピカソは、その彫刻が気に入って手放さなかった。もう一説は、マティスがアフリカ彫刻のことをドランに話し、ドランが熱をあげてピカソを民族博物館へ連れて行って、ピカソも夢中になった。

●いずれにせよピカソはアフリカ美術にヒントを得て「アヴィニョンの娘たち」を描いた。遠近法を無視して、立体を平面化して分解・再構成。キュビスムの意図は別にして、同作はマティス「青い裸婦~ビスクラの思い出」の横寝の女を縦にすれば同じポーズになる。

●また同作は、セザンヌ「売春婦たち」の女性ポーズにも似ていると言われる。「アヴィニョンの娘たち」のアヴィニョンは、バルセロナのアヴィニョン通り=売春通り。セザンヌ同作と無縁であろうはずもない。

●マティスが極貧時代に大枚を投じて購い、30年余も持っていたセザンヌ「3人の水浴の女たち」は、「売春婦たち」に端を発したシリーズで「水浴を覗く男達」(池田満寿夫はよく〝覗く男〟らを描いていた)を経た作品。ここからセザンヌ・マティス・ピカソのトライアングルが、見えない糸で繋がっていると推測される。

●マティスは彫刻「横たわる裸婦」を二度も作っている。最初は歪み切った裸婦。時を経て写実的な裸婦を作った。最晩年83歳の「青い裸婦Ⅱ」になると、模様化された感じ。セザンヌの水浴シリーズも晩年の「大水浴図」になると裸像群が自然に溶け込んでいる。

●カット絵は、マティス「青い裸婦~ビスクラの思い出」、ピカソ「アヴィニョンの娘たち」、マティス最晩年の「青い裸婦Ⅱ」の一部簡易模写。次はセザンヌ「売春婦たち」も加え、それら作品群の裏に秘められた謎を解いてみたい。(続く)


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