SSブログ

冬の谷戸オオアカハラが薄日浴び [私の探鳥記]

ohakahara2_1.jpg 鳥撮りは、思いも寄らぬ地に誘う。東新宿~蔵前~北総線の大町駅。駅を降りると駅前広場もなく、圧倒的に大きな豪農屋敷あり。梨農家らしい。駅から5分ほどで「谷戸(やと)」に降りる階段。そこが大町自然観察園だった。谷戸は丘陵地が浸蝕された谷状地形。千葉では「谷津」と云うそうだが、「谷津干潟」とまぎらわしいので「谷戸」と言ってみた。

 鳥撮りとは云え、未だアカハラも未撮の初心者ながらオオアカハラ狙いの高望み。だが居ましたよ、コンクリート桟橋からやや遠い藪ん中。ライフリスト種ゆえ、薄暗い藪ん中を狙って何枚もシャッターを切った。谷戸をグルッとまわってヤマシギ、ヨシガモとライフリストを追加。腰痛をいたわって、陽だまりで山雀と遊ぶ同輩隠居の輪に加えていただき、しばし愉しい休憩。その帰りのコンクリート桟橋で、何と云うことでしょう、オオアカハラが間近に冬の薄陽を浴びて夢中で沢の枯葉をひっくり返していたじゃありませんか。上写真は下嘴と同じ黄色の舌がチラッと見えている。ライフリスト150。

ohakahara5_1.jpg

 

 


nice!(0)  コメント(0) 

マンションに住まふメジロや都市の鳥 [私の探鳥記]

mejirohisyo3_1.jpg 7Fベランダに遊びくるメジロら。今度は飛び写真を狙ってみた。至近距離での飛び写真は難しい。やっと2点を撮った。

 噺は写真のことではなく、先日のブログで彼らの塒(ねぐら)は何処だろうと記したが、それがひょっとして近所のマンションのこんもり繁った植木かも…なのだ。双眼鏡で他人マンションを覗くワケに参らぬが、その「こんもり植木」から飛び出る、飛び込むのを一瞬見たような。そういえば、我がベランダへはそっちのマンション方向から行き来しているようでもある。

 川内博著「大都会を生きる野鳥たち」が本棚にある。同書をひもときつつ「ひょっとしてこのメジロらはマンションの植え込みを塒とする新世代種」かもと思った。さらに、ひょっとしてその「こんもり植木ん中」で繁殖するかもと淡い期待も抱く。そう、2軒隣のマンション地下駐車場の天井に毎年ツバメが営巣するが、ならば重ねての愉しみになる。「お爺さんや、あたしら歩けなくなっても野鳥が愉しめますねぇ~」と婆さんが言った。

mejirohisyo1_1.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

遊び来るメジロの塒いづこなり [私の探鳥記]

rosemejiro2_1.jpg 7Fマンションのベランダに遊びに来るメジロ。慣れたのか、窓ガラスを開けたままでも平気になった。部屋ん中から数メートル先のメジロを撮る。多い時は5羽だが概ね2羽がしばし遊ぶ。こう頻繁に遊びに来ると、このメジロらの塒(ねぐら)は何処かと気になる。近くに戸山公園がある。春になればそこの常緑樹葉陰ん中に巣を作って繁殖するのだろうか…。

 7F自宅に唯一開いた東窓。極小ベランダのローズマリーにメジロが来て、目を遥かに移せば東京スカイツリーが見える。五つ目のアンテナブロックが完成し、数日中にまたリフトアップで579㍍になるか…。寒いのに窓を開け、フローリングの電気カーペットに寝転んで田辺聖子「ひねくれ一茶」を愉しく半分ほど読み進み、時にスカイツリーの建設状況を双眼鏡で確認し、時にメジロを撮る。「おまいさん、また太ってきたんじゃないの。鳥撮りに出かけなさいよぅ」とかかぁが言う。

aroemejiro1_1.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

薄氷マヒワの重さなかりけり [私の探鳥記]

mahiwa1_1.jpg マヒワが薄い氷の上に舞い降りて水を呑んでいた。今年は寒く「都内」の池も氷が張る。今年はマヒワが多く至る場所で見る。この写真は「都内K公園」。

 2年前に鳥サイトで「イカルの群れが都内K公園…」の記述をみて、どこだろうと思った。生まれも今も都区内在住だと「都内K公園」は都区内の公園だと思いがちだが、実は都内は「区内+多摩地域の市町+島嶼部」で数字を記せば「23区+26市+5町+8村」と実に広い。だから「都内0町」は伊豆大島・大島町になる。

 さて「都内K公園」とは? 小金井が市になり北多摩郡離脱は1958年とか。そんなことは縁がないと認識せぬから小金井は北多摩イメージで、それが「小金井公園」とわかるまで30分ほどを費やした。「都市公園K」のような記述もよくある。これは茨城・群馬でも“地方都市”の公園は「都市公園」で、まぁ遠くて縁がない。でも鳥撮り弱3年になれば埼玉A公園は「秋ヶ瀬公園」、埼玉K公園は「北本自然観察公園」と大体わかってくる。鳥撮りサイトの撮影ポイント隠ぺいはかくも「いやらしい」。しかも隠ぺいしつつも結局は口コミで大勢の鳥撮りが群がったりしているから隠ぺいの意もわからぬ。さて、今日は「都内S公園」に運動を兼ねて行きましょうか、「都内0町」別宅にも行って温泉三昧しましょうか…。

mahiwa3_1.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

大寒やイカル群れ来て音はぜり [私の探鳥記]

ikaru5_1.jpg イカルの群れを見ていたドッグランのおじさんが、鳥撮りに訊いた。「あの鳥の名は」「イカル」「へぇ、洒落た名だな。渡り鳥かぇ」「冬鳥だから・・・」「どこから渡ってくるんだぇ」「さぁ・・・」

 歳時記では夏の季語。北海道・本州中西部で繁殖。四国・九州では冬鳥。飼鳥としても愛玩され、鷹狩などの餌としても用いられた。野鳥図鑑には留鳥または漂鳥。冬季は林近くの農耕地や刈田などに。ネット調べでは、40年前に小鳥屋さんでたくさん売っていた。中西悟堂「鳥を語る」の「いかる」の項あり。・・・我国特有の鳥。北海道と東北で繁殖し、秋冬になると南下し、九州まで渡る。しかし調べてみると高尾山、西多摩郡の多摩川べり、秋川のほとりにも一年中いる。

ikarumizu1_1.jpg

 細川博昭「大江戸飼い鳥草紙」では、江戸時代に飼われていた可能性のある和鳥のリストにイカル、コイカルあり。安貞元年(1227)の「明月記」に飼育記録、宝永7年(1710)の「喚子鳥」に挿絵、馬琴の「禽鏡」にもコイカル、イカルが掲載。これでちょっとわかってきた。新宿在住で鳥撮り弱3年のあたしは、大寒(1月20日)の多摩地域の群れしか見ていない。イカルの群れは、落ちた木の実を割るパチパチという音を辺りに響かせていた。


nice!(0)  コメント(0) 

コイカルをイカルの群れに見出し [私の探鳥記]

koikaru2_1.jpg イカルを撮りに「武蔵小金井」北口へ。「おや、ここは最近来たばかりの…」。バス8番よりコジュケイの公園へ。今回は2番乗り場へ。イカルを撮ったのは2年前の同じ1月20日。その夜にオバマ大統領就任演説を聞いた。イカルとオバマで忘れ得ぬ。

 2年前にイカルを撮ったポイントを思い出せぬが、記憶ある池に出た。皆さん、コイカルが水を呑みにくるのを狙っていた。「群れはドッグランの隣だよ」。ワッと群れ舞い降りて木の実をはぜる音…記憶の光景なり。2年前は植え込み内だったが今回は広場。間近で撮れる。ファインダーから「おやっ、お腹が橙色で翼脇に白斑二つ、初列雨覆の羽先が白、頭部の黒が首までの個体。コイカル発見」。思いがけずライフリスト149。池に戻ってマヒワ、ヤマガラ、アオジ、シメ、ツグミ、カワラヒワ、ムクドリ、ヒヨドリ、オナガを撮った。2年前の鳥撮り後は「江戸東京たてもの園」に寄ってマンツーマン・ガイドをいただいたが今回は寄らずに帰宅。テレビがオバマ大統領・胡錦濤主席が手を組む…と報じていた。

koikaru1_1.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

ガビチョウと滝沢馬琴 [私の探鳥記]

gabi2_1.jpg 写真は浅間山公園のガビチョウ。中国南部や東アジア北部の鳥で、籠抜けで定着した外来種。70年代の飼い鳥ブームで日本で棲みついたそうな。

 しかし滝沢馬琴も飼っていた。細田博昭著「大江戸飼い鳥草紙」によると馬琴が小鳥を飼い始めたのは文化10(1813)年頃から。「ウソ」を端に百羽ほども飼ったとか。すでにカナリア、インコ、ガビチョウなどの輸入鳥もたくさん入っていたから馬琴もガビチョウを飼っていただろう。馬琴が作った鳥類図鑑「禽鏡」(1834年)は、末娘の夫が絵を描き馬琴が解説。ガビチョウも載っている。

 大田南畝や山東京伝好き(あたし)には「馬琴=イヤな奴」の印象が強い。蔦屋重三郎に奉公し、京伝を師とした馬琴は、寛政の改革で蔦屋や京伝が刑を受けた後にのし上がってきて、京伝亡き後に好き勝手に京伝のことを記すなどで、当時の戯作者らから馬琴の「狷介固陋」さが何かと揶揄されている。孤独で忙しくなった彼の荒れた心を小鳥が癒したのだろう。

 ガビチョウと同時期に入って来ただろうソウシチョウは新宿御苑で見ているが、ガビチョウはまだ新宿辺りで見ていない。


nice!(0)  コメント(0) 

つり橋を往きつ戻りつゑなが追ふ [私の探鳥記]

enaga4_1.jpg 今季、エナガは新宿御苑で何度も撮った。しかし下から梢を見上げて撮っているため、その長い尾と白いお腹だけ。あの可愛いおちょぼ口も撮れず。先日の浅間山公園のつり橋「きすげ橋」を渡った際に、梢頭辺りがつり橋と同じ高さで、エナガが忙しく枝から枝へ採餌中だった。エナガを追ってつり橋を往ったり戻ったりしつつ、やっと翼の葡萄色と頭部が撮れた。今までエナガの瞼は赤…と思ってきたがそれは幼鳥で、成鳥の瞼は黄色と再認識せり。表題句と同じような句でもうひとつ…

つり橋で見下ろして撮るコゲラかな

 同じく木を見上げて撮るのが常のコゲラだが、これは武蔵丘陵森林公園に行った際に、つり橋「あざみくぼ橋」を渡る途中で眼下のコゲラを撮った。梢頭・枝頭(しょうとう・しとう)・木の高い位置にいる野鳥を撮るには、橋や山頂など高い場所から狙うのも鳥撮りのワザと覚えた。

kogera1_1.jpg 

 


nice!(0)  コメント(0) 

初撮りの家出た端にコゲラ鳴き [私の探鳥記]

jyukukogera2_1.jpg 1月3日の初「鳥撮り」。早朝に大久保のマンションを出で、徒歩数分の地下鉄「東新宿」へ向かう街路樹(ハナミズキ)に、「ギュィ」と濁った鳴き声を発しつつコゲラが飛んできた。

 我が街は1日ブログの通りビル街んなか。そこにコゲラです。慌ててバッグからカメラを出して撮ったのがこの写真。なんという驚き、今年の鳥撮りの僥倖よ。マンション東側に「戸山公園」があり、すでにそこでコゲラを目撃しているが我が家前の街路樹にいたとは…。7Fベランダのローズマリーにきたメジロを部屋ん中から撮ったこともある。都会と野鳥、侮るなかれ。そのうちにベランダにルリビタキだって来るやもしれん。初撮りに家出た端(はな)に小啄木鳥(コゲラ)鳴き


nice!(0)  コメント(0) 

小綬鶏の声を幾年六十路かな [私の探鳥記]

kojyukei1_1.jpg 昨日、中央線からバスで浅間山公園へコジュケイを撮りに行った。見知らぬ近郊へ行くと、いつも胸がワクワクする。これはいったい何故なのだろう。「小綬鶏の声や幾年(いくとせ)」にはこんなワケがある。

 伊豆大島にロッジを建てたのが平成3年(おや、今年で丸20年だ)で、以来ずっと防風林の元気なコジュケイの「コッチ来イ」の鳴き声を聴いて来た。いつかは、その姿を見てやろうと思いつつ、やっと眼にしても一瞬だったり、砂浴びをしているところを車で轢きそうになったりで、しかと見ていない。鳥サイトでコジュケイ出没ポイントを知ったら、矢も楯もたまらず参上した次第。当日は十羽ほど出たが、三十羽ほどはいるそうな。

 元は外来種で大正8年に中国の種を狩猟目的で東京都と神奈川県に放鳥したとか。大正8年と云えば永井荷風さん40歳、麻布の偏奇館建築の前年のこと。ゆえに芭蕉も蕪村も子規もコジュケイを知らず。こんなこともあった。島のベランダで昼寝をしていて、ふと気配に眼を覚ませばクジャクが悠然と眼前を歩いていたことがあった。あたしゃ~天国にでも行ったかと思ったが、動物園から逃げた個体なんですね。島には動物園から逃げたタイワンリスもサルも大繁殖。コジュケイは島にどうやって渡ってきたのだろうか…。あたしは板橋区生まれだが、子供時分に近所の藪林でコジュケイの鳴き声を聴いた覚えがある。

kojyukei2_1.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

ルリビタキ彼方此方に舞ひ出でり [私の探鳥記]

ruribitaki1_1.jpg 最近、彼方此方(かなたこなた)でルリビタキに出逢う。近所の新宿御苑や明治神宮で…。そして写真は町田のルリビタキ。殖えているのだろうか。

 鳥撮りを始めた当初は、エメラルドブルーに輝くカワセミを撮るのが夢だった。初めて撮ったのはアオバトを撮った大磯から歩いて行った花水川でだった。鳥撮りに慣れると、カワセミは遠出せずも徒歩圏内の新宿御苑、新江戸川公園をはじめ、都内公園(明治神宮、小石川後楽園、清澄公園、六義園など)のどこにでもいる…と知った。チルチルとミチルではないが「幸せの青い鳥」は遠出せずとも身近にありってこと。ルリビタキも最初に撮ったのは富士五合目・奥庭だった。これまた身近にいたんですね。来年も身近なことで愉しみ暮しましょ。

 大つごもりにページビュー28万を越えました。ご訪問ありがとうございました。良いお年をお迎え下さいませ。

ruribitaki4_1.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

小春日に足許に寄るアオジかな [私の探鳥記]

aoji1_1.jpg 薬師池で今季初撮りのアオジ。そうとうに無頓着というか警戒心のない鳥だなと再認識した。かつて春の新宿御苑の散策道で、手を伸ばせば触れんばかりの距離にいて逃げようとせず。よほど人に慣れたか…と思ったが、ここでは山から降りたばかりだろうに、足許まで寄ってきて夢中で餌探し。やはり無頓着なり。そして冬のアオジのお腹は、いつだってぽっくりに膨らんでいる。

 アオジの季語は本によって夏、秋と定まらぬ。東京では晩秋に山から降り入り、春に帰ってゆく「冬鳥」だろう。鳥図鑑の和名は「青鵐」だが、歳時記に載る漢名は「蒿雀」。蒿は(よもぎ)ゆえ、青より「よもぎ色の雀」が的確だな。

「鵐(しとど)」はホオジロ科の古名らしい。金属・皮製品にあけた穴の縁を飾る金具は「鵐目」。鵐の眼に似ていることから。神奈川県真鶴には「鵐窟(しとどのいわや」がある。源頼朝が石橋山の戦いに敗れ潜んだところ、追手が窟から鵐が飛び出て、ここに人は居ないと判断して助かったそうな。アオジだったら人が居てもお構いなしなのにね。真鶴といえば若い時分にヨットを預けていたことがある。話が長くなるから止める。


nice!(0)  コメント(0) 

空財布大つごもりにクロジ撮り [私の探鳥記]

kuroji2_1.jpg 隠居ゆえ経済成り立たず、財布は常に空っぽさっ。電車賃をケチってコリアンタウン大久保より、14インチ自転車で西口高層ビル街を抜けて明治神宮へ。自転車に2千円ほどのコンピュータを取り付けたら4.5キロ・30分・消費カロリー37と表示。「餌を持っていないがクロジは撮れようか」「さあねぇ…」の会話を残してクロジ・ポイント(あるんです、そういう場所が)へ。

 クロジはホオジロ科。暗部好きゆえ、俳人の眼に止まらなかったか「短歌俳句 動物表現辞典」に記載なし。暗い所に身を潜め人々の財布が黒字になるよう見守っている(嘘)。

 明治神宮は初詣準備万端。このクロジがお賽銭収益の守り鳥か。そうでなくても今なおパワースポットやらで御苑内は整理券発行の混雑。入場料500円で1日2千人として100万、一ヶ月で3千万、1年で3億6千万…。パワースポット人気も行列したがる心理も解せぬが「この降って湧いた臨時黒字もワシが…」とクロジがチッと鳴いたとさっ。 


nice!(0)  コメント(0) 

薄日さす水場群れ舞ふマヒワかな [私の探鳥記]

mahiwa1_1.jpg 昨日、小田急線~バスで、マヒワ群れ舞う水場へ行った。カワセミ、モズ、ルリビタキ、シジュウカラ、アオジ、エナガ、ヤマガラが出(い)で、30分置きにマヒワの群れが舞い降りた。年末鳥撮りの愉しいひと時…。

 鳥撮り始めの08年夏のこと、アオバズク情報に小田急線~横浜線で某神社へ。すでにアオバズクは巣立ち抜け後で、遠征しつつもオナガと追いかけっこをしただけ。その帰りに立ち寄ったのが此の地(薬師池公園)だった。ここでも何も撮れず、ただ汗を拭った空しい思い出が過ぎった。あれから2年数ヶ月振りで愉しい地と相成り候。

 写真上の羽ばたいているのが腹に黒縦斑の♀で、♂は黄色鮮やか。そして幼鳥(若鳥)を交えた数十羽が群れていた。ライフリスト148種目。

mahiwa3_1.jpg

 

 

 

 

 


nice!(0)  コメント(0) 

野に居ても山雀芝居続けをり [私の探鳥記]

yamagara1_1.jpg

 

 

 

 

 

 

 山雀(ヤマガラ)は夏の季語。昔は芸を覚えることから「山雀芝居」として見世物になったとか。野に居ても芝居をしているように表情豊か。一茶句に「山雀の輪抜けしながらわたりけり」がある。

yamagara2_1.jpg

 


nice!(0)  コメント(0) 

しめしめと忍び寄り撮るシメ一羽 [私の探鳥記]

sime1_1.jpg 昨日「武蔵丘陵・森林公園」へ行った。池袋から30分ほどで「川越」通過。終点・小川町の4駅手前が「森林公園」駅。かつて小江戸・川越には小旅行気分で行った。小川町には五木ひろしコンサート取材で行った。福井県出身の彼は、歌謡曲10人勝ち抜きを契機にデビューだが、ひょんなことで小川町会場に出場。それはデビュー地での特別コンサートで、あたしは東上線で行ったのだが、走っても走っても着かぬ遠い地の印象があったが、アッという間に着いて奇妙な感覚だった。

 こんなに遠くに来たのだから、さぞや野鳥も多かろうと胸弾んだが、鳥はまったくいなかった。くらくらするほど広大な公園を丹念に歩いたがジョウビタキ、シメ、ヒヨドリ、ツグミ、カシラダカ、エナガ、コゲラ、メジロ、池にカモ類少々。なぁ~んだ、新宿御苑や明治神宮と同じじゃないか。遠くに行くほど野鳥が多いと思うのは、都心在住者の幻想か…。写真は桜の芽に食らいつくシメ。


nice!(0)  コメント(0) 

撮れぬゆえ歌で遊ばんカササギと [私の探鳥記]

 カササギは九州・佐賀平野を中心に熊本県、長崎県、福岡県など限られた地域に生息。カササギを撮りに九州までは行かぬだろうから撮る機会はなし。「見れぬ・撮れぬ」鳥に思いを巡らすも鳥撮りの酔狂。雨の今日は歌でカササギと遊んだ。

鵲の丸太の先にあまの川は基角句。彼は江戸俳諧の遊び人。芭蕉危篤に駆け付けた他、井原西鶴にも逢っているから上方には二度ほど行ったらしいが、九州には行っていまい。当句は吉原で遊女と共に見た掛け軸の絵でもあろうか…。どんな絵か興味湧く。

しら樺の折木を秋の雨うてば山どよみしてかささぎ啼くは与謝野晶子。白樺の地に九州のカササギは解せぬ。与謝野夫妻は大分県に数日の旅をしているから、その時にカササギの啼き声を聴いたのだろうか。毎年産んだ12人の子ら。九州旅行で絶倫・鉄幹は浮気をしなかったか。

この国の山低うして四方の空はるかなりけり鵲の啼くは若山牧水。宮崎出身。しかも昭和2年に二か月間の朝鮮旅行をしている。当歌はその時のものだろう。鵲はソウル市の鳥。うむ、ソウルならあたしにも行く機会ありや。

三崎に君が御魂を弔へば鵲立ちて北に向きて飛ぶは正岡子規。三崎(さんさき)のルビ付きだから道後温泉近くの三崎港ではなく、東京谷中の三崎町か。寺町だ。根岸「子規庵」も近いし、近くに太平洋美術学校もある。その初代校長・中村不折(ふせつ)とは共に日清戦争に記者従軍した仲。誰の御魂を弔っての句か。いづれにせよ谷中・根岸辺りにカササギはいない。

上野なる動物園にかささぎは肉食ひゐたりくれないの肉」は斎藤茂吉。正直でいいなぁ。ちゃんと動物園で見たと言っている。そうか、動物園に行けばカササギに逢えるのかもしれない。 


nice!(0)  コメント(0) 

四十から初めの老いのよはひかな [私の探鳥記]

sijyuugara1_1.jpg 昨日ブログで芭蕉翁の俳文「閉関之説」の一部「人生七十を稀なりとして、身を盛なる事は、わずか二十余年也。はじめの老の来れる事、一夜の夢のごとし~」を引用した。そこで先日葛西で撮ったシジュウカラに添える句に「四十から初めの老いのよはひかな」を作った。そしたら何と云うことでしょう、芭蕉句に「老の名のありともしらで四十から」があった。してやったり…。

 シジュウカラの季語は夏だが、都会ではそうではない。炎暑に姿を消していたシジュウカラが秋になると街に帰ってくる。「あぁ、秋が来たなぁ」と思わせる秋告鳥。昨年は10月11日に新宿御苑でちょっといいシジュウカラの写真が撮れた。彼らが戻ってからややするとメジロやコゲラまじりの混成群に出会ったりし、次第に冬鳥の季節に入ってゆく。

 シジュウカラは背の色が美しい。胸には黒いネクタイ。「表」を撮って「裏」を撮る。遊郭言葉に「裏を返す」って言葉がある。初めての出逢いが「初会」。気に入って指名すれば「裏を返す」。三回目から「馴染み」になる。鳥撮り3年目。何度も撮って「馴染み鳥」が多くなった。珍し系に出逢ってライフリスト(目下は147)を稼ぎたいが、「馴染み鳥」と遊ぶのも楽しい。「今度はもっと良い写真を…」と思うのだが、こちらは六十から七十歳へと次第に「あさましうくづをれて」反射神経、敏捷性を失って瞬間のシャッターチャンスを逃がしがちになってくる。


nice!(0)  コメント(0) 

スズガモら黄昏空のゴマとなり [私の探鳥記]

suzumure2_1.jpg え~、本日はしょんなことで「ホール落語」を聴きに行くってんで、しさしぶりに江戸下町言葉、江戸落語っぽくしゃべってみることにしましょ。落語ってぇと、まずはさわりです。え~、昔、芭蕉ってぇ爺さんがこう言ったそうです。「人生七十を稀なりとして、身を盛なる事は、わずか二十余年也。はじめの老(初老・四十歳)の来れる事、一夜の夢のごとし」。ははぁ~ん、近頃の子らは晩婚で初老四十歳頃でやっと所帯を持つってんだから、もう日本は滅びの一途ですなぁ。芭蕉翁はこう続けます。「五十年、六十年のよはひ(歳)かたぶく(老いる)より、あさましう(見苦しく)くづれをれて、宵寝がち(早寝)に朝をきしたるね覚め(朝は早くから目覚め)て…」(芭蕉翁は51歳で逝った)

 鳥てぇのは爺さんのように早寝早起きです。ところがこのスズガモってぇのはちょいと宵っ張り。しる間は沖で万の数の、さながら黒い帯なす大集団でゆらゆらと漂ってまして、まぁ、しる寝ですね。で、爺が眠たくなる黄昏頃にわかに活発になって餌漁りってぇじゃないか。夜行性ですね。で、万の数が黄昏空に一斉に飛び立つてぇから、空はゴマを撒いたようになる。ここは葛西ですが、小耳に挟めば三番瀬では十万余が越冬ってぇことだから、もうゴマなんちゅうもんじゃなく空は真っ黒でございます。それで腹ぁ~いっぺぇになるってぇと、また元通り沖合で黒い帯で一日中ゆらゆら漂うってんです。えぇ、これが秋冬の江戸前風情のしとつちゅうから、これをしみじみ眺めるのも風流ってもんです。え~、このへんでお時間がよろしい…。スズガモら黄昏空のゴマとなり


nice!(0)  コメント(0) 

鳰鳥も冬渡り来るハジロあり [私の探鳥記]

hajirokai2_1.jpg 俳句ではカイツブリ科はカイツブリだけのようだ。ミミカイツブリ(冬鳥)、カンムリカイツブリ(冬鳥)、ハジロカイツブリ(冬鳥)、未だ撮っていないアカエリカイツブリもいるが、押し並べてみぃ~んなカイツブリ。未分化のまま季語になって詠われている。カイツブリは鳰(にお)、鳰鳥、息長鳥(しながどり)、八丁潜り、八尸鳥(やさかどり)…などいろいろの和名あり。鳰、カイツブリは冬、鳰鳥は四季、鳰の浮き巣は夏…季語も混乱気味。「かくれけり師走の海のかいつぶり」芭蕉はどのカイツブリを見て詠ったのだろうか。「湖や渺々として鳰一つ」正岡子規はどのカイツブリを見て詠ったのだろうか。

 カイツブリは日本で可愛い繁殖・育雛の光景を見せてくれるが、ハジロカイツブリは中国東北部で繁殖し、冬に温暖な日本へ渡来。ミミカイツブと似ているが、嘴の先端が白くないし形もちょっと違う。写真は葛西のハジロカイツブリ(ライフリスト147)。丹念に探せばアカエリカイツブリもいたらしいが逸した。また次の機会に…。


nice!(0)  コメント(0) 

ジョウビタキ思ひもよらぬ所に出で [私の探鳥記]

jyobitaki1_1.jpg 写真は5日に石神井公園で撮ったジョウビタキ(尉鶲、火焚鳥、紋付鳥)。表題句のようにジョウビタキは何時だって思いもよらぬ所にヒョイッと出る。鳥撮り初年度の初認ならぬ初撮りは明治神宮の芝生の看板上に止まっていた。2年目は皇居ランナーらが駆け抜けるお濠端。誰にも気付かれぬ尉鶲との10分余のフォトセッション。そして今回の石神井公園では帰りの寄り道で人家の塀の中にいた。残念ながら枝の影被りだが、肝心は逢ったことなり。

 その翌日のこと。早稲田古本街へ行くべく戸山公園・箱根山を通った際に、ジョウビタキの木々を飛び交うのを見た。俳句本6冊ほどを購って新大久保7F自宅に戻れば、かかぁが興奮気味に「おまいさん、お腹が赤茶色の鳥がそこのベランダに止まったのよぅ」。ジョウビタキらしい。

 即興二句を追加。 紋付きを用意致せとジョウビタキ  年々と出逢う日早くジョウビタキ


nice!(0)  コメント(0) 

ホシハジロ赤い眼でみる紅葉かな [私の探鳥記]

hosihajiro_1.jpg 写真はホシハジロ。赤い眼が特徴。赤い眼の鳥はケリ、ゴイサギ、ウミアイサ、ハジロカイツブリ、ミミカイツブリ、、ミヤコドリ、クイナ、バン…。

 赤い眼。正確には「虹彩」。人の虹彩は日本人の濃褐色系の他、淡褐色、琥珀色、緑色、灰色、青色系。虹彩は瞳孔の大きさ調整のカメラの絞り的機能なり。人は虹彩外側が白眼だが、鳥は白眼が小さくて見えぬとか。ホシハジロ♀の虹彩はふつうの焦茶色だが、白いアイリング(眼の外側)がある。♂よりさらに地味な♀だが、次はアイリング狙いで撮ってみましょう。

 虹彩で美しいのがカワウ。嘴の黄色と反対色のエメラルドグリーンが神秘的。そうだ、カラスの瞬膜を撮ったことあり。瞬膜はすべての鳥にあるやなしや。あたしの右眼は白内障手術でサイボーグ化されている。いづれ左眼も手術だろうが、超望遠の瞬膜付きにしてもらおうと思っている。ホシハジロ赤い眼で見る紅葉かな …は冬鳥と紅葉の「季重ね」だが、高浜虚子にも「梅あるが故に客も来鶲(ひたき)も来」がある。鳥の句は季重ねが多い。種の識別・観察が未分化・未成熟のまま季語確立がなされたきらいあり。今日の記は「造化の妙」。


nice!(0)  コメント(0) 

緋鳥鴨エクリプスから苛立てり [私の探鳥記]

hidori1_1.jpg ヒドリガモ(緋鳥鴨)はエクリプス顕著なりと認識せり。10月下旬の渡来当初のヒドリガモのほとんどが繁殖期前の姿。寒さ増すに従って本来の♂の姿になって行く。写真の♂個体も換羽中。この雑多色から頭部は茶褐色、額のセンターメッシュがより明確になり、胸の褐色を残して腹部は白、他はモノトーンで精悍さ増す。

 エクリプスは本来「日蝕」の意。太陽VS日蝕、輝きVS陰、繁殖期VS非繁殖期。これを性で言えば雄々しき男根の陽に比し、女性の足を舐めて陶酔の谷崎潤一郎的な陰の恋や性がエクリプス。荷風の隠棲の生き方はエクリプスで、女らに囲まれた谷崎の生き方は陽。これ自説なり。

 この時期のヒドリガモはエクリプスから雄々しき♂に目覚めて苛立っている。見ていれば仲間に、他のカモにやたら突っかかっていた。これまた野鳥本ではフツーのカモと見向きもされぬし句にも詠まれぬが、観察していればそれなりにおもしろい。 緋鳥鴨エクリプスから苛立てり

hidori&onaga_1_1.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

オナガガモ江戸の粋だね小紋柄 [私の探鳥記]

onaga3_1.jpg オナガガモ(尾長鴨)が好きです。胸から腹一帯の灰色の江戸小紋風をベースに笹状の白黒模様の大きな羽根。この柄の詳細描写は09年11月13日ブログで記しているのでここでは割愛するが、見れば改めて「イヨッ、粋だね」と思ってクローズアップで撮ってしまう。野鳥本には「普通にいる地味なカモ」と書かれているがどうして・どうして…。

 江戸小紋はお上の奢侈禁止令に反発して目立たぬところで贅を尽くすべく職人が技を発揮で発展とか。ネット調べでは山東京伝「小紋雅語」にソノへんが書かれているとか。京伝好きだからぜひソレを読んでみたい。これまたネット検索で「平賀源内展で江戸時代に描かれたオナガカモの絵を見た」の言及あり。化政期の絵師・戯作者好きだから、源内とオナガガモの関係も気になる。

 写真下は♂♀。♂(先頭)の尾があまり長くない。何故かと調べてみれば「♂の尾羽の中央二枚が繁殖期(冬)になると針のように伸びて10㎝ほどになる」とあった。渡ってきたばかりで長くなるのはこれからと納得。日本で越冬中にカップルが決まって、繁殖は北のカムチャッカ半島辺りとか。onagaosumesu_1.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

ウミネコも季節乱れて思案かな [私の探鳥記]

umineko1_1.jpg ウミネコは南下し、ユリカモメに換わる季節。この個体はたった一羽で何やら思案げ。日本の気候は乱れ切っている。酷暑から真冬へ急変し、秋はどこへ往ってしまったのか。美しき四季を失ったらしい。九州と東京との温度差も少ない。上空で仲間が南に往こうと誘うかのように飛んでいたが我関せず。さて、このウミネコの明日は如何に…。

 昨日、某サイトを見ていたらキヤノンのZoom BrowserEXの新ヴァ-ジョンがダウンロード出来るとあったので、さっそく取り込んでみた。トリミングに4点ポインターが付いて、「シャープネス」に加えて「アンシャープマスク」なる機能がプラスされていた。よくわからないが共に画像輪郭を強調する処理法らしい。下の飛翔カモメに「アンシャープマスク」を処理してみた。うむ、確かに輪郭がハッキリしたが画像全体が荒れた感じになった。使いこんでみましょう。 ウミネコや往くか往かぬか思案顔

umineko2_1.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

澄んだ空カモ渡り来て野分かな [私の探鳥記]

kamo&hikoiki_1.jpg 秋時雨が終わり、晴天の葛西だった。さすが秋と思わせる澄んだ空。沖に渡って来たばかりのスズガモが黒い帯(何万羽か)を成していた。滅多に望めぬだろう東京アクアライン「風の塔」も見えた。ヨットのスピンセールが風を孕んでいるかに見える。その遥か彼方に煙吐く川崎工業地帯も見える。そんな澄んだ空にカモ飛来。カモらの奥に写り込んだジェット機は、新国際線で話題の羽田から飛び立ったばかり。北に振り向けば、この日に第二展望台工事開始の東京スカイツリー。

 そんな見事な秋晴れもわずか一日だった。いま日本列島に台風(野分)が襲っている。伊豆大島辺りは台風の眼か。我が小屋は吹き飛ばされぬか…。 澄んだ空カモ渡り来て野分かな


nice!(0)  コメント(0) 

迷い入るオオハシシギや異邦人 [私の探鳥記]

ohhasisigi2_1.jpg 昨日、オオハシシギを撮りに葛西に行った。まず葛西臨海公園駅脇のレンタルサイクルに利用登録。一日100円也。江戸川区の素晴らしき施策よ。これで広大公園を楽にまわれる。さて、オオハシシギ(茶褐色二羽)は北極圏で繁殖し、アメリカ南部やメキシコで越冬。日本には少数飛来だが葛西には7年ほど前からお馴染み。ライフリスト146也。

 オオハシで思い出すは2008年8月の東京港野鳥公園での「シベリアオオハシシギ」。珍鳥ゆえに観察小屋は長玉装着の鳥撮りが立錐の余地なくて一斉高速連写。鳥撮りにとって珍鳥はそれほどの存在かと知った。それまで芸能人の記者会見取材が日常的仕事で、テレビクルーの前に活字媒体カメラで、これを主催側は「フォトセッション」と気取ったが、鳥撮りの高速連写の熱狂ぶりには驚かされた。

 話しを戻す。微妙な違いで種が異なるシギらは、珍鳥と言えどもその場限りのパパラッチ撮り。その意では閑寂な海辺で常に一羽のイソシギの方に詩情が湧くがオオハシシギで強引に一句。 迷い入るオオハシシギや異邦人 あらっ、こうやって下手句でもひねってみれば親しみも湧く。今度逢ったら「おぉ、異邦人、元気だったか」と声をかけてみましょうか。写真下は二羽の異邦人が何かに驚いて飛び立ったところ。

ohhasisigi1_1.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

トウネンを汀コゲラとつぶやいて [私の探鳥記]

tounen_3_1.jpg パソコンに残ってゐた葛西のトウネン写真。ファインダーを覗き「コゲラのやうだな」と思ひつつシャッターを押したと記憶してゐる。共に15㎝ほどで健気でかわいい。トウネンは「今年生まれたやうに小さい」の意だが、この個体はまさに幼鳥でせう。

 トウネンを汀コゲラとつぶやいて …こじつけ句です。あれは昨年の晩秋だったか、黄暮直前の薄暗くなり始めた新宿御苑で、コゲラの群れ(4羽)が頭上の木々を飛び交って、囲まれてゐるやうな素敵なひと時を体験したことがある。そんな一瞬は忘れられぬから、永遠の時でもあったやうな。トウネンもコゲラも珍しい鳥ではないが、鳥撮りはそんな体験も得がたくて、また野を彷徨ったりするのだらうか。(久々に旧仮名遣い。時に遣わぬと忘れてしまふ)


nice!(0)  コメント(0) 

鶺鴒や常にせわしい秋日和 [私の探鳥記]

sekireiy_1.jpg 葛西で見るハクセキレイ幼鳥が、一カ月前に見た時より、成鳥っぽくなっていた。顔の黄色味もしばらくすればなくなるのだろう。それにしてもハクセキレイは、いつ見ても忙(せわ)しそうに尾を振り、チョコマカと動きまわり、あっちこっちと飛びまわっている。

 別名・・・石叩、庭叩子、河原雀、浜雀、麦蒔鳥。また腰振りから嫁教鳥、恋教鳥など古風な名も持つ。慌ただしく動きまわることが、彼らの防衛機能なのかもしれない。ちょっと寂しい秋の穏やかな干潟で、そんな風情も我関せずに忙しいハクセキレイの句・・・ <鶺鴒や常にせわしい秋日和>

 小生、腰振るどころか腰痛になってしまった。こうしてパソコンに向かうのも床から這ってきた有様。さぁ、またおとなしく寝てましょ。


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。