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13)五十にて四谷をみたり花の春 [くずし字入門]

yotuyaohkido5_1.jpg ransetuyotuyaku_1.jpg『絵本江戸土産』四編教材の最初の絵は「四ツ谷大木戸内藤新宿」。絵に添えられた文は「四谷通りの末にして甲州街道の出口なり この宿美麗なる旅店多く軒をならべ その賑ひ品川南北の駅路に劣らず」。

 内藤新宿は馬糞舞う宿場で、人糞積んだ馬車が行き交い、妖しい宿も多かった。かつ玉川上水工事で絶えず掘じくり返されて~と思っていただけに、「この宿美麗なる旅店多く軒を並べ」は意外だった。

 広重の『江戸百』には馬のケツと馬糞をローアングルで描いた「四ツ谷内藤新宿」もある。そしてこの『江戸土産』の絵(上左)は、齋藤家三代(齋藤月岑)刊で長谷川雪旦が描く『江戸名所図会』の「四谷大木戸」(上右)と同じ場所。妙なことに、雪旦の方が広重っぽく、番屋の屋根上空から俯瞰で描いている。広重と長谷川雪旦は同じ場所を多く描いていて、両者の比較論があったら面白いと思うのだが、いかがだろうか。それはさておき、ここで注目は雪旦の絵の上部余白に「嵐雪」の句が書かれていること。

ransetuku_1.jpgedoohkidoato_1.jpg 今までならやり過ごしていたものの、古文書講座の受講効果が早くも出て、解読を試みた。「五十にて四谷をみたり花の春」。「五」と「春」のくずし字解読に辞典をひもといたが、解読できれば、同句がネットでいろいろと話題になっていたのも知った。

 俳人なのに本当に五十まで四谷を知らなかったのか。これは歌舞伎の四谷怪談を観たの意ではないか。 いや、子規は『墨汁一滴』でこう書いている。・・・東京に生まれた女で四十にも成て浅草の観音様を知らんと云ふのがある。嵐雪の句に 五十にて四谷をみたり花の春 と云ふのもあるから嵐雪も五十で初めて四谷を見たのかも知れない。

 芥川龍之介は、漱石が「稲」を知らなかったと記している。江戸の女で筍と竹が同種と知らぬ女もいた・・・云々。まぁ、本当のところは当時の新宿は品川、板橋、千住ほどは賑わっていなかったってことだろう。かかぁが言うには「おまいさん、当たり前じゃないか、あたしだって東京で行ったことのない場所はいくらでもあるよぅ」。(句の横の写真は「四谷大木戸跡」の石柱)

 さて、あたしんチの7Fベランダでは目下、内藤新宿の江戸野菜「内藤唐辛子」がスクスクと育っている。昨年に三苗いただいて赤い実を大量収穫(育て方がうまかったのだろう、たわわに実った)し、残しておいた実(種)を蒔いての発芽。江戸の内藤新宿では夏も終わり頃になると「内藤唐辛子」の紅い実で辺りが真っ赤に染まったとか。ベランダの唐辛子、机上のくずし字資料で、江戸が僅かに甦っています。


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