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14)姿見か俤かしら雪の橋 [くずし字入門]

hirosugata_1.jpg 『絵本江戸土産』四編教材の三枚目の絵は「山吹の里 姿見橋」(写真上)。絵の文章は・・・山吹の里ハ太田道灌の故事(ふること)によって、号(なづ)くとぞ 姿見はむかし この橋の左右に池あり 其水淀みて流れ須(ず) 故(ゆゑ)に行人(こうじん)この橋にて姿を模(うつ)し見たるよりの名他といふ

 さて、現「姿見橋」へ行ってみれば、そこは「面影橋」で、南詰に史跡案内板あり。ここには広重の、この絵ではなく、また彼が安政四年一月に描いた『名所江戸百景』の「高田姿見のはし俤の橋砂利場」でもなくて、『江戸名所図会』(長谷川雪旦の絵)の「俤のはし」(写真下)が紹介されていた。

 それを見れば、手前の橋に「俤のはし」とはっきり書かれ、その北奥の小川に「姿見橋」がある。さらに奥に「南蔵院」や「氷川神社」も描かれていた。さて、どちらが正しいのだろうか・・・。前回の「四ツ谷・大木戸」に続いて、思いがけず広重VS雪旦、『絵本江戸土産』及び『名所江戸百景』VS『名所江戸図会』の比較になってしまった。

sugatamibasi1_1.jpg また橋の北詰のオリジン電機玄関脇に「山吹の里」の碑がある。その史跡案内文には、この石碑の文字周辺に細かい文字があり、よく読めば貞享三年(1686)に建立の供養塔と判明。それを転用して「山吹の里」の碑ができたとあった。また文面には「山吹の里」には諸説あり・・・の説明。

 ウム、太田道灌由来なら、後の上記二つの絵の橋詰に「山吹の里」の碑が描かれていてもよさそうだが、その姿はない。そう言えば、新宿・西向神社にも「山吹の里」の碑があった。あれもこれもなんだかハッキリしないんであります。

 1990年代末頃に、眼下斜め下流に「面影橋」を見るマンション9Fに住んでいたこともあり、せめて「姿見橋」と「面影橋(俤のはし)」の違いについては、自分なりの判断をしておこうと思ったが・・・。長くなりそうなので次回へ。


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