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(4)くずし字や江戸に分け入る艸の路 [くずし字入門]

edojyo1_1.jpg 新宿歴史博物館の「古文書講座初級編」講座の教材は『江戸土産』初編・二編・三編・四編・五編からの抜粋21頁。講義は初編「叙」から始まった。同書は嘉永三年(1850)刊。ってことは葛飾北斎が90歳で亡くなった翌年で、ペルー黒船の3年前。初編「叙」の書き出しは・・・

 「絵(ゑ)本江戸土産の原版(者=は・ん)ハ。今越(を)去類(る)こと一百年。宝暦能(の)そのむ可し。當時(多うじ)名高(な多可)幾(き)画工尓(に)て。西村重長(尓しむら志げな可)奈(な)るも能(の)。」

 『江戸土産』の原本は百年前、宝暦の時代の名高き画工・西村重長によって描かれたとある。百年前の宝暦一年は1751年。芭蕉も其角も逝き、大田南畝が牛込仲御徒町(現・新宿区中町)で生まれたばかり。

 「手耳(に)成(なり)し跡を逐(おひ)て。次編ハ鈴木春信てふ(と云ふ)。画工の是(これ)を嗣(つげ)里(り)となむ(過去形)。その頃大(おほい)尓(に)流行(りう可う)して。絵本の鼻祖(びそ)と仰(あふが)れしも。一年(ひとゝせ)祝融(しゆくゆう)の災(王=わ・ざハひ)尓(に)罹(可か)り。彫版(えりいた)盡(つく)して烏有(うう、うゆう=全くないこと)となれり。鳴鳴(ああ)惜哉(をし以可奈)。」

 西村重長の跡を継いで、次編を鈴木春信が描いて大流行し、絵本の祖と仰がれたが、祝融(火の神、火災)に遇って版木を焼失してしまった、あゝ、惜しいことよ。と書かれている。春信の版は明和五年(1768)刊らしい。早や大田南畝は華々しく江戸文壇にデビューしていて、翌年には唐衣邸での最初の狂歌会に参加。一方、山東京伝は8歳になっていた。当時の年表を見れば、その一年(ひととせ)後の明和六年に江戸大火の記録あり。当時の江戸は毎年のように大火に見舞われていた。

 まぁ、そんなことが「叙」前半に書かれていた。それにしても江戸百年を通じてベストセラーだった『江戸土産』が教材とは、うれしく愉快なり。講師が読み解くにしたがって、はるか江戸が身近に浮かんでくるようでした。


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