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馬琴住居巡り(7)茗荷谷・深光寺 [新宿発ポタリング]

bakinhako1_1.jpg 馬琴住居巡りは生誕地の深川、九段下の元飯田町、神田明神下同朋町、信濃町の終焉地…4回で終わるはずがいつもの例で長引き、うむ、ならば冥土の住居、茗荷谷・深光寺のお墓までと掃苔に相成候。

 『曲亭馬琴日記』には、妻・お百の葬儀だったかしら…、病気の嫡子・宗伯だけが駕籠に乗って滝沢家御一統が深光寺に歩き行く記述があったような。神田明神下同朋町から茗荷谷へは約3.5㎞。現地図で説明すれば神田明神から水道橋、後楽園の東京ドームをまわり込んで春日通りの坂を登り、伝通院を右に見て茗荷谷へ。「日記」に描かれたキャラクター豊かな馬琴家の皆さんが、ゾロゾロと歩き行く姿が浮かんで、葬儀シーンながら微笑んでしまう。

 

 さて、あたしは大久保から早稲田、江戸川橋から音羽通りへ。同一丁目の小日向台地へ登る狭く長い急坂を自転車を押して登った。ここは知る人ぞ知る「鼠坂」。森鴎外に、この坂途中に立派な邸を落成の満州成金の短編あり。「鼠でなくては上がり降りが出来ない…」と冒頭に記された坂。

 

 「鼠坂」を登れば拓殖大が見え、その東門前が馬琴家の菩提寺「深光寺」。同寺への参道壁外に「茗荷坂」の地名由来看板。深光寺は、馬琴家の他に僅かなお墓がある小さなお寺。さして樹木もないのにメジロが群れていた。本堂前に馬琴と妻・百の立派な墓。その奥に馬琴家のお墓があった。馬琴の戒名は「著作堂隠誉蓑笠居士」、妻のお百が「黙誉静舟到岸大姉」。台座に蔵書印といわれる文様あり。奥にある馬琴家の墓には父・興蔵、母・門、兄・羅文、嫡子・宗伯、その嫁・路のそれぞれの戒名が刻まれていた。宗伯は「玉照堂君誉風光琴嶺居士」、嫁・路は「繰誉順節路霜大姉」。

 

bakinkazokuhaka_1.jpg なお、深光寺の馬琴家のお墓に関してはネットに跡見学園女子大学の≪「馬琴家墳墓考」~馬琴直筆『馬琴氏墓誌』から現在墓を見る~柴田光彦≫がアップされていて詳しい。

 この先はあの世ゆえに、ここで馬琴旧居巡りを終わる。人は誰もが、もがき生き、いずれは逝く。


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