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蓮朽ちて荷風の背中遠くなり [永井荷風関連]

IMG_5145_1.JPG 上野・不忍池の蓮の葉が枯れ朽ち、北風に揺れていた。荷風句に「枯蓮にちなむ男の散歩かな」あり。男はむろん荷風自身。

 永井壯吉は十六歳の時に下谷の帝国大学第二病院に入院し、付き添いの看護婦に初恋。彼女の名が「お蓮」さんで「蓮=荷」で「荷風」と号したは定説。しかし本人は随筆「十六七のころ」に ~東京で治療を受けてゐた医者は神田神保町に暢春医院の札を出してゐた馬島永徳という学士であった。暢春医院の庭には池があって、夏の末には紅白の蓮の花がさいてゐた~ とだけ書いている。

 永井壯吉が「荷風」と号したのは、広津柳浪の門人となり「文芸倶楽部」に『薄衣』を発表の際に「荷風・柳浪」合作名義としたのが最初らしい。(以上参考:秋庭太郎「考証永井荷風」、荷風全集(岩波書店)「第十一巻」「第十七巻」、中央公論「日本の文学/永井荷風」)

 先日、小冊子編集のお譲さん方の原稿が余りにお粗末で、かつ文末に絵文字があったりするので「せめて新聞を読んで見出し、リード文、本文の構成、原稿の書き方、4W1 Hくらいは勉強しろよ」と言えば、「新聞購読はしていません」。あぁ、迂闊なり。今の若い方々が文章に接するのは主にインターネットやメールらしいのだ。あたしも古い人間になってしまった。「荷風さん、日本はすっかり変わってしまったよ」。揺れる枯蓮に向かってつぶやいた。


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