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田沼意次VS松平定信 [くずし字入門]

sadaroucyu.jpg松平越中守(定信)儀、弥(いよいよ)老中上座被仰付(仰せ付けられ)候、御治定(ごちじょう=落着すること)ニ而、来ル十九日比可被仰付(仰せ付けられる)御沙汰ニ付、一両日之内掃部頭(かもんのかみ=大老・井伊掃部菜雄幸)方迄、被仰出(仰せ出され)御達之筈ニ候段、委細被仰越(仰せ越され)承知致候、誠ニ御丹誠ヲ以無滞(とどこおりなく)愚願も相届致満足候、且(かつ)土佐守事も被仰付候、以後世上共ニ評判宜(よろしき)趣ニ及承(承り及び)、別而(別して)至大慶候

 これは十代将軍・家治没後の将軍・家斉(いえなり)の実父「一橋治斉(はるさだ)」が、中奥の小笠原信喜に宛てた秘密書簡の一部。治斉は〝江戸打ちこわし〟の情報を小笠原から将軍に報告させ、同情報を将軍に隠蔽していた田沼派の横田準松(のりとし)を罷免させ、定信の入閣を図ってい、その工作の成功報だろう。文中「土佐守」とあるのは、北町奉行所・曲淵甲斐守が田沼派ということで石河土佐守正民に代わるという事。

 唐突になんでこんな古文書をアップかと云えば、江戸戯作・浮世絵などの盛り上がりを弾圧した「寛政の改革」(恋川春町を死に追い込み、朋誠堂喜三の筆を折り、山東京伝は手鎖五十日の刑、蔦重の財産半分没収、大田南畝の学問吟味への転向など)の時代を理解すべく田沼意次~松平定信の時代をお勉強中ゆえ。

 かかぁが大好きな「鬼平」こと長谷川平蔵が火付盗賊改方長官になったのは定信の老中就任の年で、一方「剣客商売」の秋山小兵衛は田沼意次と親しい間柄。やはりこの辺の時代はしっかり押さえておきたい。

tanuma_1.jpg ってことで目下、村上元三『田沼意次』(昭和63年刊)の読書中だが、だらだらと続く超長編で手こずっている。倦んできたので長風呂やトイレ読書を経て、やっと意次が御三家・御三卿の台頭で「家治」没を機に幕政を追われる終盤に辿り着いたところ。

 そんな折、図書館で財団法人徳川黎明会による『江戸時代古文書を読む/寛政の改革』なる書に出逢って、そこで紹介の古文書一部を筆写してみた。ふ~ん、この長編の裏にこんなリアルな書付があったんだと感心した次第。古文書の勉強としては「弥=いよいよ」の読みを知った。 さて村上元三『田沼意次』を年内に読了できますか。お正月は松平定信関連書に入ります。


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