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へたも絵のうち=熊谷守一(1) [スケッチ・美術系]

morikazu1_1.jpg にわか絵画趣味の小生は、熊谷守一翁を知らなかった。それは絵画系検索中にYouTube「レオナルド・フジタの晩年」に引っ掛かって、それを食い入るように観ていたら、それが終わると同時に熊谷守一の生前(94歳)映像に切り替わったんだ。

 そんな偶然で知った熊谷翁。調べれば池袋・要町近くに「豊島区立熊谷守一美術館」(豊島区千早町2丁目)があるとか。その辺りは東京大空襲まで「池袋モンパルナス」なるアトリエ村(佐伯祐三や中村彜らのは〝下落合アトリエ村〟)があって芸術家が集まっていたらしい。

 熊谷守一は明治13年の岐阜生まれで、同地に45年間在住。97歳没後は二女の画家・熊谷榧(かや)が私設美術館を設立。2007年に豊島区に守一作品153点を寄贈して現美術館になったそうな。まずは図書館で熊谷翁の画集など3冊を借り、自転車を駆って要小学校裏の同美術館に行った。画集で「尾長」を見たが、「そろそろ美術館はこの辺かしら」と思った数軒手前で〝オナガの群れ〟に遭遇した。

 まずは熊谷守一がどのような絵で有名になったかの、その一例に「尾長」と風景画「氏家桃林」を模写してみた。これらを幾作も模写してみれば、あたしも細部を気にせずに絵が描けるようになるかも知れないと思った。

 細部描写を放棄し、赤い輪郭線で区切った幾つかの色塊で平面構成した作品群。これらはベルナール、ゴーギャンらの「クロワゾニスム」と共通すると思えるがどうだろうか。さて写実・細部描写の域から脱しなかった五姓田義松が、これら絵をもって人気を博した画家がいたと知ったら、腰を抜かさんばかりに驚いたんじゃないかと思った。

 熊谷守一とはどんな人物で、どういう経緯でこういう絵に辿り着いたのだろう。同館で求めた翁の『へたも絵のうち』、大川公一著『無欲越え 熊谷守一評伝』、数冊の画集から〝細部を気にせぬ心〟をちょいと学んでみたいと思った。(続く)


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