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モネ画集からお勉強メモ [スケッチ・美術系]

monet5_1.jpg タッシェン・ビッグアートシリーズ「クロード・モネ」。著者:カリン・ザークナー=デュヒティンクより、これはと思った自分流咀嚼メモ。

●ドラクロワは影に補色を呈して対象を強調した。印象派は影を単なる暗い面とせずに、補色の多様な諧調を含むとした。●印象派は浮世絵から平面性と肉づけの放棄を学んだ。さらに大胆な構図、部分的構図も学んだ。日常的主題、同一モチーフの連作も吸収して革新を進化させた。

●鉄道旅行記に「乗客は迅速な連続、風景に細部を求めず全体を求める」の記述あり。これ、すなわち印象派の心。●ドガの踊り子、モネの多数連作は、風景の瞬間的な移ろいの印象とその連続性や特徴的個性の表現。

●短い筆触が、水の流れを表わした。これら筆触と面状の彩色部分とのコントラストが効果的。●モネに静物画は少ないが「ひまわり」の絵は、その自由奔放さによってゴッホに感銘を与えた。●絵具は従来より多く白を混ぜて明るくなった。

●モネは写真を見てロンドン国会議事堂を描いたと非難された。事実モネは写真を記憶補助として使った。彼は「それは問題ではない。私は実景を見ても酷い絵しか描けぬ多数画家を知っている。重要なのは結果だ」と言った。モネ自邸には写真用暗室もあった。

●晩年のモネは「私にとってモチーフそのものは重要ではなく、私が表現したいのは私とモチーフとの間で展開されるもの」と言った。自然主義的な現実再現ではなく、モチーフの前に立った時の主観的感覚と記憶がテーマになったと言った。●モネは睡蓮の絵で、伝統的な絵画概念を完全に打破。その抽象的・表現主義的な描法は20世紀の現代絵画に影響を与えた。

 カット絵は画集掲載の「モネの白黒写真」から「ペンによるデッサン十少し彩色」。この手は神奈川県立歴史博物館「没後100年 五姓田義松展」を観て得た?。


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ふん、モネ展なんか行くもんか! [スケッチ・美術系]

sanpokasa2_1.jpg 絵の初心者のあたしが、まず最初に勉強すべきは印象派かしら。その意では都美術館「モネ展」は絶好の機会。だが混み合って行き気もしない。加えて事件レポーターやお笑い芸人やらまで動員して集客を煽る日テレ映像が流れてイヤになった。ふん、そんな美術展なんぞ行くもんか。

 そこでモネやルノワールと同じ画塾仲間だった「アルフレッド・シスレー」展(練馬区立美術館)へ行った。同展キャッチフレーズは「印象派、空と水辺の風景画家」。モネやルノアールらがそれぞれの〝印象派〟を進化させたが、彼は頑なに〝印象主義的風景画〟を描き続けた。短い筆触でチマチマと書き込まれた風景画。同じ短い筆触でもモネやスーラのように光も大気感も感じられず、ゴッホのような生命力も感じられなかった。

 その後、自転車で新江戸川公園へ行き、裏山を登って「永青文庫・春画展」を覗いた(感想は後述)。その帰り道の早稲田・古本街で1969年刊の画集「モネ」「モネと印象派」2冊800円を見つけた。ディバッグにも収まらぬ超大判「39.4×31×3.2㎝」。店主が「どうしましょ」と笑う。ビニール紐で括って自転車のハンドルに吊って帰宅した。さらに図書館でダッシェン・ビッグアートシリーズの画集「クロード・モネ」も借りた。この三冊で即席モネ勉強なり。

 簡易模写が絵を描くにプラスとわかっているので今回もしませう。簡易模写ゆえ簡易な水彩、ミニサイズで模写しよう。さて、どの絵にしましょうか。1875年作「散歩、日傘をさす女」を選んだ。モネは女が右向きのを含め多数〝日傘の女〟を描いている。描き始める前はどうなることやらと思ったが〝それ風の模写(カット絵)〟になった。


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居ながらに背伸びして見る夕陽かな [週末大島暮し]

ohsimayuuhi_1.jpg 今回の大島シリーズは冒頭に我がロッジから見る海の図で始まったが、ラストも「居ながらに背伸びして見る夕陽かな」の絵で終わる。

 新宿の自宅では、早起きのあたしはマンション7階から日々朝日の昇るシーンを愉しんでいる。年に2度、下町に聳える東京スカイツリーと朝陽がクロスする光景もある。片や西はビルが立ちはだかって夕陽は見えない。大島の夕陽がうれしい。

 島を去ったのが10月16日だった。大島は2年前の同日に、大雨による土石流災害で多くの方々が亡くなった。当日は午後1時の防災無線の合図と共に全島1分間の黙とうが行われた。現場では献花台が設けられ法要も行われた。東京へのジェット艇は多くの喪服の方々、多数お坊さんと一緒になった。改めて亡くなった皆様のご冥福と大島の復興を祈念して、秋の大島シリーズを終える。


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大島牛乳とソフトクリームと [週末大島暮し]

simanousi1_1.jpg 大島に着くと、まず野菜即売場「ぶらっとハウス」へ。野菜を仕入れた後に、概ね大島牛乳のソフトクリームを舐める。気分次第でアイスクリーム。大島バターを購う場合もある。女性陣の買い物は長いゆえ、あたしはソフトクリームを舐めつつ牧場を眺める。眼は牛ではなく野鳥を探している。小さい野鳥なら双眼鏡が必要だが、大きな鳥ならキジ、アマサギなどに出会える。

 大正~明治初期の大島は、乳牛の島だった。昔の「島新聞」にはホルスタイン種の優良牛表彰記事が載っていたりする。大島牛乳は2007年に撤退したが、有志が新会社を興して軌道に乗せた。

 昔、大島が「畜産の島」と知っても驚くに値しない。あたしは新宿在住だが、明治中期~大正初期には現・新宿末広亭の靖国通り側に「牧場」があった。芥川龍之介の養父が経営する「耕牧舎」。牧場移転後に遊郭ができ、今は近くにゲイの天国・新宿二丁目がある。新宿「牛込」だって、牧場の名残りだろう。自転車散歩をしていれば「牧場跡の碑」に出会ったりし、「おぉ、昔はそうだったか」と思う。

 かかぁの「ソフトクリームを持つ手」を写真に撮れば、「それなら、もっと盛りましょうか」と。「いえ、ありのまま」。この絵を見たかかぁは「あらっ、こんなに盛られていなかったわ」。あたしはダイエット中ゆえミニ盛りで充分。価格はうろ覚え。

 牛の絵にソフトクリームを添えたワケは、同じく20年余も島通いの友人が先日「元町に旨いソフトクリームがあったよ」との電話に、冒頭記述通りのことを言えば「へぇ、前からあったんだ」と驚いた。島のことは〝暮らし様〟で知ること・知らぬこと様々。彼のサイトは左にリングしている「つくって、つかって、つないで」。素晴らしい島暮しをしている。クリックでカテゴリー「島」を見て下さい。


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新芽と妖しい穴の物語 [週末大島暮し]

sinme3_1.jpg 庭の雑草を刈ったら、塩害で朽ちたはずの「グミとクチナシ」の根元から新芽が出ていた。また大きく育って花や実をつけてくれるだろうか。おや、そのグミの木の下に穴が空いていた。 

 以前、松喰虫にやられた松を取り去った跡の穴があって、そこで庭仕事をしていたら、ムッとした臭気がしてヌッと大ヘビが這い出てきたことがあった。以来、穴は恐くて埋めることにしている。

 運んで来た土を穴に入れると「あぁ!」。スゥ~ッと吸い込まれたじゃないか。ドキッとした。再び土を盛れば、また吸い込まれた。外見は凹状に過ぎなかったが、これは相当に深い穴らしい。何度か穴に土を盛って足で押し固めた。いったい、この穴はなんなのだろうか。

 そう云えば、ロッジ前の雑草を刈っていた時だった。一瞬の事で確証はないが、白毛に茶毛混じりの少動物が草の中から走り去ったような気がした。そやつが棲んでいた穴だろうか。島には動物園から逃げ出して野生化した異国のサル、リス、キョンが大繁殖している。

 「グミとクチナシと妖しい穴」。これ、庭の片隅わずか1㎡内の出来事。それだけで充分に歓びと驚きがある。大島はまさに「超ワンダーランド・アイランド」。あたしはボケ始めた隠居爺だが、島での暮しはワクワク・ドキドキ。少年時代に戻ったかの日々になる。


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乳ヶ崎は描ききれまいぞ崖と海 [週末大島暮し]

nodahama1_1.jpg 初めて描いた風景スケッチが、ロッジ前「ケイカイ」より望む「乳ヶ崎」だった。今度は近く、野田浜から断崖・乳ヶ崎を仰ぎ見つつ、その迫力を描いてみようと思った。乳ヶ崎は大島の最北端。一度だけ登った事がある。麓に戦後処理を終えて自決した『福井参謀の碑」があった。

 頂からの眺望は海を見て、振り返って三原山を見て、海岸線を見て、すべてが絶景だった。岬先の眼下に瀬があって、常に白波が立っている。昔(昭和8年)東京湾汽船「葵丸」が乳ヶ崎海岸で座礁したとか。現場は絶壁下の岩礁か、岬沖の早瀬だろうか。黒砂の海岸(野田浜)は一気に深くなっている。子供や泳げぬ人は波打ち際から沖に出ないほうがいい。

 弘化3年(1846)の長谷川晋吉(渡辺崋山の門人・永山茜山)が描いた「伊豆七島図会」の「千賀崎(乳ヶ崎)遊竿の図」は、実際の景色とは異なる「奇景」に描かれていた。今、話題の印象派・モネには「ノルマンディーの絶壁と海」の連作がある。乳ヶ崎もまた朝霧の岬、陽光浴びる岬、夕陽に映える岬、西の風に耐える岬~と日々刻々と多彩な表情があろう。隠居趣味のスケッチでも、島に行く度に描いても描き切れぬだろう乳ヶ崎です。


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長七輪でサンマを焼く [週末大島暮し]

sanmayaku1_1.jpg 「おまいさん、島に行ったら長七輪でサンマを焼いてみようよ」とかかぁが言った。都会のマンション暮しで七輪を使うは〝憧れ〟に近い。細長い七輪をどこで買ったのだろう。通販、東京のホームセンター、いや島の「くぼごん」だったか。

 ちょうどテレビでサンマを旨く焼くコツが紹介されていた。通常は〝焼き過ぎ〟とか。ガスレンジでほどよい焦げ目ができるのは約14分。それでは焼き過ぎで実がパサついてしまう。コツはサンマ両面にミリンを10分の1ほどに希釈して塗ると、焦げ目が7分程で出来て火から下せる。これでホッコリとした身になるとか。

 さて、長七輪の炭をほど良い熾火にして、四匹のサンマを乗せた。するってぇと「あぁ!」。弱い熾火なのにボウボウと炎が上がってしまった。サンマにたっぷりと乗った脂がしたたり落ちての炎上らしい。これは計算外だった。

 かくして真っ黒焦げなのに、まだ骨まわりに血が残るサンマを恐々と喰うハメになった。来年はサンマの脂の乗り具合によって、網の高さを調整してみようと思う。失敗は成功の元。来秋の大島暮しでは、あたしサンマ焼きの名人になる。カット絵の七輪右端は焼きミカン。


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シーグラス夜長のひとり戯れぞ [週末大島暮し]

seaglass_1.jpg 十数年も前から、気が向くと海岸で「シーグラス」を拾ってきた。いつかは何かを作ろうと思って年月が経った。今回、やっと「シーグラス・キャンドル」を作ってみようと思い立った。

 ネット調べをすれば、決まった方法はないらしい。某サイトではガラス接着はグルーガンがいいと記し、某サイトはソレは接着力が脆く熱を帯びるランプには向かないとあった。平らに積み上げる法、プラ板を円筒状に形どってグラスを貼る法、風船にグラスを貼る法と実にさまざま。

 東京・中野のホームセンターで「タイル目地材」「グルーガンと樹脂棒」「Scothガラス用強力接着剤」を購って島に持参した。その買物散歩中に金魚鉢を見た。これを裏返せば形も良く、波状縁の隙間に電気コードも通せる。グッドアイデア!とひらめいた。

 金魚鉢での製作は後にして、まずは小手調べ。大島の「やすとく」で大ジョッキーグラス千円が半額で売っていたので、まずはこれにシーグラスを貼ってみることにした。それは眠れぬ某深夜のこと。下らんテレビを観つつシーグラスをガラス用接着剤でひとつ、ふたつと張り出した。接着剤が固まるまで、ビニールテープで仮止め。

 次第に熱中で、こんな感じに仕上がった。これに「白いタイル目地材」を埋め込めば、より良い感じになりそう。次は玄関の小窓にグルーガンでシーグラスを貼ってみましょうか。大島の眠れぬ夜のひとり遊びでした。


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海越しに初冠雪や日本一 [週末大島暮し]

tigasaki2_1.jpg 野菜即売場「ぶらっとハウス」から「乳ヶ崎トンネル」越しに、初冠雪の富士山が見えた。このトンネルは「YS-11」引退に伴うジェット機「DASH8-300」就航による滑走路拡張で出来たもの。平成13年(2001)のDASH8就航の前年2000年4月に開通。

 しかしながら搭乗率悪く「ANA羽田~大島便撤退」(60年の歴史に幕)が決定。今年10月24日がラストフライト。愛宕山の一部を削り、周辺地を買収するなどした大工事はいったい何だったのか。

 そう思いつつトンネルの向こうの海、その向こうに聳える富士山の初冠雪を描いた。富士山の下辺りが熱海、その左が伊東。夜になると漆黒の海向こうに伊豆半島の街々の明かりが美しく見える。悠久の富士山に観られつつ伊豆半島や伊豆諸島で暮す人々にも有為転変、盛衰あり。

 我がロッジは同トンネルをくぐった向こう側で、海抜5メートル看板が建つ海っぺり。島の人は「津波が来れば真っ先にやられるのがお前ぇの家だ」とうれしそうに言う。

 ※スケッチ初心者ゆえメモをしておく。~富士山が高いと思えば、実際より高く描こうとする。対象によって自分の感情や情念が引っ張り出される。山は高く描き、筆も対応して勢いが違ってくる。それがスケッチ。対象モロの写真ではない〝絵の面白さ〟がそこにある~(高名画家の言葉)。(以下は自省)このスケッチは高い富士山に比し、地下に潜るトンネルの対比が面白い。それが絵のテーマなら、それを強調するように他をもっと省略・簡略した方がいい。


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雑草と格闘せんとまずMKへ [週末大島暮し]

kusakariki_1.jpg 天候のせいか、久し振りの島は庭もロッジ周りも雑草大繁茂だった。だが肝心の草刈機始動せず。同機は中野「島忠」にて数万円で購った「タナカ・エンジン刈払機CB-23 HTS」。「25:1」の燃料を購ういつものGSで、草刈機修理をして下さる「MK商会」の存在を教えられた。

 初めて訪ねた同商会。手際鮮やかに分解・掃除・組立で、たちまちエンジンが唸りを発した。長期間使わない場合の〝終わり方〟も丁寧に教えて下さった。次は薪作りのチェーンソーもお世話になりそう。

 雑草大繁茂は管理不足。これは〝ゴミ屋敷〟にも通じよう。辺鄙な地で観光客の眼には触れぬだろうが、これでは観光振興を云々する資格もない。

 今は島を去った友人は、常に広大な庭の手入れ怠らず〝杜撰な庭は家主もだらしない〟と叱っていた。彼の言を思い出しつつ、背丈ほどに伸びた雑草と格闘。草刈機作業後は、数日かけて庭細部の手仕事。庭がすっかりきれいになりつつ頃に、決まって東京へ帰る日を迎える。相変わらず「虚しいなぁ」と呟きながらの庭仕事。

 ここまで荒廃させぬには、島通いの回数を増やす他にない。同じ島通いの知人は、真夏に草刈りのためだけの一泊二日を欠かさない。島を去る日に島の知人が言った。「雑草繁茂がより旺盛になるよう、たっぷりと肥料を撒いておいてやるよ」。


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海一望暮しも立たぬ西の風 [週末大島暮し]

umiitibou_1.jpg 久し振りに大島へ。前回の島暮しで、初めて絵(風景画)を描いた。だが風景スケッチに魅力を覚えず、以来あれこれと他の絵を描いてきた。今回は改めて風景スケッチ用に各種ペンを試すべく、スケッチブック一冊くらいは描いてみようと思った。

 だが久々の大島暮しは甘くない。難問続出。まず庭はむろんロッジ周りも雑草繁茂。我がロッジも埋もれる勢い。なのに草刈機エンジン始動せず。冷蔵庫も冷えぬ。車は買物途中でエンスト。他にも心配事、イヤな事、考えなきゃいけない事など山積。絵を描くにはそれなりの気分や状況が整っていなければと、改めて気付かされた。

 かくしてスケッチが出来たのは数点のみ。まずはベランダからの景色。かつては防風林に守られて海の見えぬ地だったが、今は丸裸で〝海一望〟。家ん中からでも、夕陽が伊豆半島先端に沈んでゆく美しいシーンが楽しめる。比して冬は恐ろしい〝西の風〟直撃を受けることになった。ボロロッジが吹き飛ばされる恐怖。〝西の風〟が収まる春過ぎまで暮らせなくなった。

 初風景スケッチは「極細ペン」で恐々と描いていたが、今回は「三菱サインペン・リブ(毛筆タッチ)」で試みた。当日は早くも〝西の風〟の予兆か、スケッチブックは煽られ、水彩筆は床下に転げ落ち、その隙を狙っての「早描き」。右側は大別荘一部。前面は同邸庭、僅かに残った防風林も伐採され、その中に塩工場も出来ている。やがては塩害で防風林も枯れ朽ちるやも知れない。居ながらに海が見え、伊豆半島も見える。

 その意を反映してか〝長閑な島暮らし〟より、自然の厳しさを思わす絵になったか。写実からもっと離れて、マチスのように原色も荒々しく使ってみたら良かったのかもしれぬ。さて、我がロッジは、これから襲って来る本格的な〝西の風〟に耐えられるだろうか。


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お気に入りペン探し [スケッチ・美術系]

pentest_1.jpg 以下「好みのペン」暫定順位メモ。

(1)三菱uni-boll Signo(太字)/1㎜のボールペン。「事務・あて名書用」とある。耐水性・顔料ゲルインクボール。水彩を乗せてまったく滲まず。直角に描けば1㎜で、斜めに描けば細く掠れ気味で描ける。使い方次第で変化が楽しめる。1㎜のボールペンは世界初とか。替え芯69円で、10本入り604円。このペンを愛用することになれば補充に困らない。なお白色ゲルインクペンもあるそうで修整やハイライトに、さらに黒紙に使えるかも。ぜひ試してみたい。他に赤、青、ブルーブラック、金、銀がある。(左上の海岸、下のビークル犬)

(2)サクラクレパス・ピグマ・グラフィック・ヌーベル1㎜/水性・耐水性。固いフェルトペン。これも立てたり横に寝かしたり、また強く弱くで様々な感じが出せる。描き味はややソフト。水彩にも滲まない。同シリーズは0.1mmからあって、20㎜と30㎜は平筆形状。BRは筆ペン風らしい。(下左のラブラドールレトリバー犬)

(3)三菱サインペン・リブ 100/毛筆タッチ。インクは水性・顔料・耐水性。太いサインペンで、寝かせて書けば掠れたタッチも出る。水彩にまったく滲まず。(上絵の左下の河畔、下絵の牛は木炭風)。 以上3ペンがメイン使用。以下は補助的なペンになル。

inutouchtesuto_1.jpg(4)滲む。ぼかし効果に使える/Kuretate筆ごこち:これは立てれば極細。斜めで太く真っ黒。水彩を乗せると多少滲むので、これを「ぼかし」効果で使えるか。(上の右上湖畔風景)

(5)細かく描く場合によし/(5-1)ホルベインジャパン OrocolorⅡ:白ボディ。水性顔料の黒0.8㎜。インクの出が少ないので、細部まで書き込むのにいいが、大胆な絵にはならない。(5-2)DELETER NEOPIKO-Line-3:白ボディ。上に同じ。

(6)指で掠れ効果/パイロットsuperプチ(中):インクが濃い目なので、描いた直後に指で摺ると掠れ効果が出る。(7)もろボールペン・タッチで面白くない/GRAPHIC LINER1㎜。(8)忘れてはいけないのがsailorナノインク「極黒」を入れた「ラミーサファリ万年筆」。残念ながらかなり滲む。

 ★なぜ、線にこだわるか。あたしの場合はあくまでも「隠居ブログのカット絵」ゆえにパパッと描き上げるのが信条。それには「線+淡彩」がいい。加えてブログには圧縮・軽量化で送信ゆえに入念な絵である必要もない。例えば「マリー・ローランサンの自画像」模写が気に入っているが、原画は40×30の油彩で、これを10㎝ほどのミニ模写仕上げ。スタンスは踏み外せない。★1週間ほど簡易スケッチ旅行にてブログお休み。 


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久し振りの風景画 [スケッチ・美術系]

tabataminamiguti6_1.jpg 先日行った「田端」駅。北口利用だが「西日暮里」寄りの「南口」が面白い。〝田舎の無人駅っぽい〟と有名。調べれば実際に無人駅で、なにかあればインターホーン利用で「駅遠隔操作システム」が稼働とか。

 この辺から日暮里(にっぽり・ひぐらしのさと)の「諏訪の台」が始まってい、崖を途中まで下って「南口」改札で、さらに階段を下ってホームに至る。崖下際に線路、その先は隅田川と荒川が接近する地でずっと低地が広がっている。

 風景スケッチは興味を覚えずに投げ出したまま。風景は写真でいいだろう。絵ならば写真とは違う自分ならではの表現が求められる。そこんとこがよくわからない。敬遠しているから技術上達もなく、感じたように描く術もない。その前に〝線〟が良くない。図面をひく線でもなく、塗り絵の輪郭線でもないだろう。

 極細ペンは「PILOT HI-TEC系」か面相筆と決めているが、風景スケッチ用のペンは定まっていない。鉛筆orペン+透明水彩だが、ペンによっては水彩で滲む場合もある。絵の中のメモはペン名。うむ、遠景などはわざと滲むペンを使った方が感じが出るかもしれない。弘法大師ではなく下手ゆえに、まずは筆選びから始めたい。


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蜂腰も遥か昔や秋高し [暮らしの手帖]

houyou1_1.jpg 久し振りに体重計に乗った。69.5㎏。「危ない・危ない」。70㎏を超えたら〝強制ダイエット〟と決めている。目下は「体脂肪減少に油物抜き」中。天麩羅、フライ、とんかつ、から揚げ、中華料理~。振り返ればけっこう油物好きだったと反省。

 若かったジーナ・ロロブリジータ(イタリア女優)は豊満バスト、か細いウエストが魅力的だった。吉増剛三の詩に「ロロブリジータ」とリフレインする作があり、当時の夢の女優だった。蜂のような腰を「蜂腰(ほうよう)」と言うそうな。だがロロブリジータの中年写真を見たら普通、いや肥っていた。

 先日の藤田嗣治カット模写のなかに「蜂」があった。改めて「蜂腰」を確認すべく、ベランダに飛んで来fudepen1_1.jpgた蜂を描いた。三匹描いたが〝絵が汚い〟と猛省なり。こんなカット絵は、簡単サッと描くべきで、描き加えた。絵は描き直しも簡単だが、腹は簡単に細くはならない。

(簡単あっさりカットを描くには、お気に入りペンがあった方がいいと気が付いた。そこで11種のペンを買ってきて、お気に入りペン探しを始めている)


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行き交う人の恥骨を見つつ~ [スケッチ・美術系]

proportion2_1.jpg 絵を描き始めると〝基礎〟のなさを痛感する。例えば人を描く。骨格、筋肉、体型各部比率はどうなっているのだろう。今さら美学校へ通えないため、自分で勉強するより他にない。人体デッサン教本を求め「世界堂」へ行った。

 先日、秋葉原で買ったフィギアより人体プロポーションに近い人形が「漫画描き」コーナーにあった。多分ボークス(VOLKS)製。さて、書籍コーナーへ。分厚い「ヘア付き全裸女性の全ポーズ集」を手に取ったが、恥ずかしくて買えなかった。

 購入はロバート・バレット著『人物デッサンのすべて』(マール社)。なかなかいい書だった。同書に体型プロポーション図があり。自分流に複写をした(ボディビル写真から筋肉を描いた)。これはギリシャ人が確立した理想プロポーションとか。覚えやすく、以下に記しておく。

 まず「身体の中心は恥骨」。「恥骨・乳首・頭上」で2等分。「恥骨・膝下・踵」で2等分。計4等分。さらに4等分すれば8等身になる。現実は7.5等身。これに民族差・個性差が加わる。日本人は胴長で脚が短い。細身もマッチョも肥満体もいる。

 「肩幅=顔巾の3倍」。女性肩巾は2倍。「両手を広げた横巾=8等身」。つまり真四角の真ん中が恥骨。「足(爪先~踵)の長さ=肘から手首=顔の長さ=顔奥行きはやや短い」。顔の構造は「顔中心が眼」。「眼から頭上=目から顎下」。「額の長さ=眉毛~鼻=鼻下~顎下」。ここから、いかに個性的に描くか。

 これを覚えて街を歩けば、知らずうちに行き交う人の恥骨を探って、上下2等分するなど頭の中でデッサンをしていたりする。これを夢中でやると「あんた、どこ見てんのよ」と怒鳴られるかも。


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秋葉原でフィギア探し [スケッチ・美術系]

figure1_1.jpg 月曜日、「田端」の印刷屋さんへ。山手線に乗ったついでに上野・美術館へと思ったが休館日と気付いた。それで秋葉原へ行った。

 実はEテレ「漫勉」が好きで(半分は見逃している)、漫画家が激しいアクションシーンを描くのに、関節可動フィギアをいじりつつデッサンしている姿が映ってい、「あっ、それ欲しい」と思った。

 フィギアなら秋葉原と思った。後期高齢者のあたしは腰も曲がり、杖をつきつつ、フィギアのデパート「ラジオ会館」へ入った。初体験世界にキョロキョロ。だが、それらしき人形なし。エスカレーターを次々と昇って7階だったか、正面に様々な衣装を着た人形展示の店があった。オズオズと入ってみた。

 「あら、お爺さん、どんなお人形が欲しいの。おっぱいの大きいフィギアはこちらよ」。口ごもりつつ「関節が動かせるお人形を」と言った。するってぇと手をとるように店奥に案内された。「このコーナーがお望みのフィギア。どんなポーズもOKよ。少女と超グラマーのどちらがお好み?」

 片隅に置き忘れたかの男モデル2体あり。「あらっ、お爺さんは男好きだったの」。渡されたフィギアは「オビツ製アクションドール用素材男性バージョン・スリム」とあった。手の型違い2部品付き。顔は別売り。「好きなポーズにして、磁石盤があれば眺めるのにいいわよ」。それらも購って〆て約3千円。買ってから、この安さなら超グラマー人形も買えば良かったな、と思った。

 帰宅後に種々ポーズをとらせてみた。とりあえず藤田嗣治・戦争画の刺し違えるポーズにしてみた。うむ、ポーズのヒントにはなるが「人体デッサン」の練習にはならん。生身モデルに縁のないあたしは、やはり「人体ポーズ集」本で練習する他ないか。「世界堂」書籍コーナーにぶ厚い〝ヘア付き全裸女性のポーズ写真集〟があったのを思い出した。(続く)


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