SSブログ

へたも絵のうち=熊谷守一(3) [スケッチ・美術系]

morikazu2_1.jpg 熊谷翁はどんな絵で人気を得たのだろう。今回は前々回に続き「裸婦」「ネコ」を水彩で簡易模写。こんな感じの絵に加え、書と墨絵も売れた。絵は赤い輪郭線をもって幾つかの平塗り色塊で構成。しかも小さい板に描かれ、これを画友らは「天狗(仙人)のおとし板」と言ったそうな。

 画集には、これら絵がいかに優れたデッサンに基づいているかや、輪郭線の狭間・境界について小難しく解説されているが、隠居の絵画趣味(の小生)にとっては、それほどでもない写実力と思った。美術学校前の数点は〝ちゃんと描いている〟が、以後は荒々しい筆跡のフォーヴィズム、キュビズム的油彩と、五姓田義松が遺した風景画ラフ(習作)ばかり。例えばピカソが十代で写実を征服し、その後の写実打破とは大きく違って、熊谷翁は端から細部を描くのが苦手、億劫、ものぐさだったように思えてならない。

 これら絵に至る前のクロッキーも画集にあって「無形なイメージを含む無数の線が次々に塗り潰されて残った線の研ぎ澄まされて~」なぁんて記されるが、小生の感想は普通か下手なクロッキーが、推敲されてまともな線が残されたと思ってしまう。(素人は平気でこんなことが言える。改めて素人っていいなぁです。でも墨画はいい。美術館のカラスの絵は思わず見入って動けなかった)

 「上手は先が見えているが、下手はどうなるかわからないスケールの大きさがある」と言ったとか。二科研究生には下手を奨励、下手に元気を与えたそうな。(これも素人ゆえ言える事だが、二科は芸能人が入選する例からも伺えるがてぇした絵は少ない)。昭和40年、85歳の時の座談会では自身の絵について「写真や医者みたいに細かく見る見方もあるが、自分が絵を描くときは、或る物の明るさがどれだけあるか、或は色でもみんな寄せ集めた色がこれだけあるという風に見ている」と説明。

 画集を見ると、そんな絵を描き始めたのが50代後半からで、最初は風景画や裸体画が多く、次第に身の回りの花や昆虫や猫や鳥を描くようになっている。「簡明な形の面白さ、モダンな色が魅力。時代や流行、世俗を超越」の評価で人気画家へ。

 そんな絵にふさわしいのが寡黙だろう。彼の著作も「聞き書き」。ゆえに彼の絵を論ずると〝愚〟になる。あたしも細部を描かなくなったら寡黙になろう。熊谷守一翁の絵についての隠居お勉強はここまで。


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。