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近代水道の父、パーマー [青山・外人墓地]

spencer2_1.jpg キョソーネの重厚な墓と背中合わせに、横浜の上水道をはじめ近代水道の父と称されるヘンリー・スペンサー・パーマー(Henry S.Palmer)の墓がある。横浜のサイトには横浜水道記念館や野毛山公園の胸像、その業績も多数紹介されているが、新宿図書館には関連書なし。

 ネット調べで『祖父パーマー 横浜・近代水道の創設者』(樋口次郎著)を読みたく横浜図書館を検索。郷土史に欠かせぬ存在なのだろう市内全図書館が蔵書。「横浜へ行って読もうかしら」。試みに都立中央図書館で検索してヒット。むろん自転車で行く。ルート検索すると、なんと「青山霊園・中央通り~外苑西通り~広尾~有栖川公園内・都立中央図書館」と出た。

 同書冒頭に「彼は二ヶ月前に腸チフス罹って病床にいたが急性リューマチを併発。快方に向かっていたが脳卒中で麻布の自宅で逝去。明治26年(1893)、享年54歳」とあった。すでに紹介の宣教医師クレッカー、近代薬学行政に貢献のアントン・ヨハネス・ゲールツも腸チフスで亡くなっている。なんとも痛ましい。

 同書よりパーマーの経歴を簡単にまとめる。1838年、東インドの英国行政区マドイラス生まれ。1856年に王立士官学校を優秀な成績で卒業。英国領バンクーバー島で公共事業(測量、地図製作、公共施設建設)に従事。その後シナイ半島調査、ニュージーランドで金星の太陽面通過観測。1877年より工兵隊主任技術官として香港駐在。

palmerhaka1_1.jpg 明治12年(1879)、日本の現状分析に香港から来日。優れたレポート「最近の日本の進歩」などを発表。井上馨が注目。明治15年、中佐昇格で、東京のパーマー駐日公使館に滞在。井上馨より横浜の水道設計に適任と推挙される。

 鉄管による相模川・津久井郡より取水の計画書・見積書を日本技師と作成。明治18年(1885)よりパーマー監督で施工開始。明治20年、横浜市内に給水開始で横浜が歓喜に沸いた。同年、英国陸軍を退役。政府より勳三等を賜る。

 その後、大坂の水道設計、東京王子の国営製紙工場の浄水工場、奥州白河の皆既日食観測、函館の水道設計、横浜築港計画など。ジャーナリストとして『ザ・タイムズ』東京通信員として日本情報を発信。そして前述の明治25年に逝去。

 著者はパーマーの日本人妻の子。パーマー死後25年間独身を通した未亡人は横浜の貿易商に嫁して産んだ次男とか。今回の絵は久し振りに墨。そこに透明水彩と不透明水彩白でアクセント〈修正)。


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