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袋井「せんべいのやうな蒲団をきせられて~」 [狂歌入東海道]

28fukuroi_1.jpg 第二十八作目は「袋井」。狂歌は「せんべいのやうな蒲団をきせられて客のふくれる袋井のやど」。〝客のふくれる=不平顔〟だろう。

 絵は掛川宿を出て袋井へ向かう街道風景か。のどかな田圃と松並木の街道。弥次喜多らは「原川」を経て「名栗の立場」へ。ここの名産が花茣蓙(ござ)。

 「道ばたにひらくさくらの枝ならでみなめいめいをれる花ござ」。道端にさくらの枝で花が咲いたようだが、そうではなくてそれぞれが織った花茣蓙だ、と詠っている。「ならで=~でなくて」。〝枝=折る・織る〟の縁語洒落。

 弥次喜多らは「程なく袋井の宿に入るに、両側の茶屋賑しく、往来の旅人おのおの酒のみ、食事などしてゐたりけるを弥次郎兵衛見て「ここに来てゆきゝの腹やふくれけんされば布袋のふくろ井の茶屋」。

28fukuroibun1_1.jpg ここまで来た旅人らは満腹になるほど食って呑んで布袋様のような腹になる袋井の茶屋、と詠っている。ここでも〝ふくれけん=袋井=布袋様〟の洒落。彼らは宿場外れから、供を連れた裕福そうな上方者に話しかけられて吉原談義。「昼三の遊女を人におごってもらったが、あれはなんぼだろう」と問われる。

 「昼三」は昼夜共に三分の揚げ代の遊女。また江戸の金銭のお勉強。一両は四分。現代換算で一両=十二万八千円。一分は三万二千円だから、三分で九万六千円。とても庶民が遊べる額じゃない。弥次さん、自慢げに講釈すればするほどに満足な吉原遊びの経験なしが暴かれて、喜多さんにも馬鹿にされる。

 ちなみに、実際の十返舎一九は江戸に出て来て戯作者として売れ出した三十代半ば頃に吉原に入り浸った時期があるらしい。戯作者で最も吉原通いしたのが〝山東京伝と一九〟と言われているそうな。


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