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ボケと「いき」 [永井荷風関連]

boke1_2_1.jpg 荷風がらみ夏目漱石シリーズの最初に「荷風さんは現象学や実存主義がわかっていて、漱石はわかっていなかった」と書こうとしたが、ボケた頭で〝哲学〟もなかろうと、そんなことは書けなかった。

 漱石より21歳下、荷風より9歳下の九鬼周造が渡欧したのは大正10年(1921)だった。フッサールから「現象学」を学び、ハイデッカーから「実存主義」を学び、パリで個人的にサルトルからフランス哲学を学んだ(逆にフッサール「現象学」をサルトルに伝えたとか)。

 帰国したのが昭和2年(1929)で41歳(この年、荷風さんは「お歌」を囲っていた)。『「いき」の本質』を改め『「いき」の構造』を出版したのが昭和5年。そこには幾度も荷風作が引用されていた。

 荷風がらみ夏目漱石シリーズを記している時に、改めて『「いき」の構造』を読もうと紀伊国屋書店で購った。家に戻って本棚をよくよく見れば同じ岩波文庫の本があり、さらに函入りの1977年刊の27刷版まであった。貧乏隠居なのに無駄遣いをしてしまった。

 蔵書しながら、同じ江藤淳『夏目漱石論』(新潮文庫)も買ってしまった。ミスを繰り返して「あぁ、ボケ始めたかしら」。ボケれば死を迎えるのは先のことではない。同ブログのシリーズで、雑司ヶ谷墓地の夏目漱石の墓を掃苔した。その立派さに比して荷風さんの墓の衒いのなさよ。

 朝日選書の「安田武・多田道太郎対談『「いき」の構造を読む』の唯一の写真掲載が京都・法然院の九鬼周造の墓で、両人が「微塵の衒いのないスッキリした墓」(西田幾太郎の字で〝九鬼周造之墓〟と彫られている)と誉め合っていた。この墓のシンプルな良さは、九鬼関連書の多くがハイデッカー『ことばについての対話』の会話が引用されている。

 次に建築家・吉阪隆正と大島の関係シリーズを記したが、氏の墓も建築家らしく立派だった。建築家というのは斬新さ・奇抜さなど〝衒いのデザイン〟勝負のようなところがある。建築家は「いき」と対極にある生き方を選んだ方々なのかもしれない。

 過日、テレビで裏千家家元・千玄室氏と建築家・安藤忠雄氏が対談の映像をチラッと観た。茶道は「わび・さび」があるも、安藤さんには例のダハ・ハディド設計の新国立競技場デザインを選んだことからも伺える〝衒い好み〟がある。その両者が互いに讃え合っていたのだろうか。

 そんな〝たわけ〟をボケ始めた頭でつらつらと考えていたら、九鬼周造について少しお勉強をしたらいいかなぁと思った。氏の全集を読んでもなく(近くの図書館にあるから読み出すかもしれないが)、いい加減な勉強になりそうだが、まぁ、ゆっくりと遊んでみようと思った。挿絵はボケた頭で描いた下手なボケ。(荷風と九鬼1)


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