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「マドレーヌ夫人急死」閲覧続く [ブログ&アクセス関連]

madeleine.jpg 〝PCなし〟の大島で、ボケェ~と13日間を過ごした。帰宅して弊ブログを開くと、3年前に記した「藤田嗣治5:高田馬場でマドレーヌ夫人急死」の閲覧上位キープが続いていた(左図は同記事の挿絵)。

 目下開催中の東京都美術館「没後50年藤田嗣治展」の影響だろうが、同展は7月31日からで、その1週間前から閲覧上位(6位以内)が3カ月も続いているのです。

 同シリーズは2015年に、藤田嗣治のお勉強で幾冊もの関連書を読み、私流にブログ7回続きでまとめたもの。終了同時に東京国立近代美術館「藤田展」を観たので、今回の都美術館は完全スルー。

 同シリーズの、小生のちょっとした自慢は同記事ではなく、彼がパリに旅立つ前の新宿・百人町の新婚所帯地の特定。彼が結婚したのは明治43年(1910)。当時の陸軍軍医総監(森鴎外の後任)の父が大久保在住で、近所に息子のアトリエ付き新居を、当時の住所「百人町18」に建てたんです。そこで国会図書館の近代デジタルライブラリーより「東京市及び接続郡部地籍図」(大正元年11月発行)の「大久保村大字百人町字南通」地図を拡大しつつ探せば、なんと、はっきりと〝藤田嗣治〟と記入された地を発見です。

 そして、謎に満ちたマドレーヌ夫人の急死は、当時の新聞記事+多数関連書から、その死の謎を探った記で、表題で検索すると未だにGoogleトップ。美術系サイトに引用されているらしいのです。

 藤田翁は81歳没まで礼拝堂フレスコ画に情熱を注いだそうですが、小生はたった13日の大島暮しで完全腑抜け〝ボケェ~状態〟から、ブログ再開もおぼつかない。なんと、だらしないことよ。かかぁが言った。「まずは13日間も剃らずの髯、鼻毛を何とかしなさいよ。鼻毛が髯に繋がって猿みたいですよぅ」

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