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儒者の墓(6)大塚先儒墓所を訪ねる [朱子学・儒教系]

senjyumon_1.jpg いざ「大塚先儒墓所」へ。婆さん「そんな風体では墓所の鍵も貸してもらえないし、職質のお巡りさんが来ますよぅ」ってんで〝フツ―〟の格好で出かけた。有楽町線「護国寺」駅。不忍通り(富士見坂)を護国寺~豊島岡墓地先際の小道を左折。同墓地沿いに進むと「吹上稲荷神社」へ至る。お賽銭、二拍二礼して社務所へ。

 あんれぇ~、閉まっている。神社参拝趣味風の年配者に「先儒墓所」を訊ねれば「はぁ~」。それほど知られていない。

 出直そうと未練っぽく振り向けばドアホン(我家も最新ドアホン設置したばかり)が眼に入った。「先儒墓所を訪ねて来ましたが~」に、若い女性の声「ハァ~イ」。社務所の窓が開いて氏名、住所、電話番号を記し、鍵をお預かりした。なんと、小生の前の記入者住所は愛知県だった。

 同神社から北へ50m先、住宅に挟まれて「大正三年九月建」と刻まれた「大塚先儒墓所」石柱。その鉄柵は開いてい、その奥の扉が施錠されていた。その先に「大塚先儒墓所」690坪が住宅、豊島岡御陵に挟まれて広がっていた。

 『大塚先儒墓所保存会報告書』の略図片手に各儒者の墓を掃苔。各墓石に一輪の花が手向けられていた。貝原益軒調べでは「儒者の墓には仏教のように花を手向けることはない」と記された文言があったと記憶するが、実際はどうなのだろう。

senjyutizu_1.jpg 墓所に入ってすぐ正面に「故博士寒泉岡田先生之墓」(岡田寒泉)の墓。岡田氏墓地は泉寒先生を除いて墓碑なし。土饅頭跡の丸く置かれた石のみが遺っていた。右最奥が室氏墓地で4基。最左が「室鳩巣先生之墓」。保存会報告書の口絵写真には墓碑後に芝に覆われた墳墓があったが、今は丸く置かれた石が埋もれかけていた。

 その左に池上村から大正3年に移葬された「木下順庵先生之墓」。墓碑には「木恭靖先生之墓」。さらに左側に柴野氏墓地。その最左に「征夷府故伴讀栗山芝先生之墓」が柴野栗山先生之墓。墓所奥の豊島岡御陵寄り左の区域が尾藤氏墓地。「江戸故掌教官二洲藤先生墓」が「尾藤二洲先生之墓」。これまた同報告書口絵写真には、芝に覆われた墳墓が写っていたが、今は丸く置かれた石だけ。左最奥が古賀氏墓所。古賀精里はじめ同家の基が多数並んでいた。墳墓はなし。

 墓所には永井荷風が記した桜が、今は古木となって幾本かが聳えて、春には人知れぬまま美しい墓所風景になるのだろうと思った。さて、儒者の墓を掃苔後は、改めて彼らのことを少しお勉強しなければいけません。(続く)

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