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内調(4)研究費を払っていた127名 [政経お勉強]

naikakufu_1.jpg 『内閣調査室秘録』は第二部から志垣氏の回顧録(小活字で2段組でビッシリ)。昭和34年(1959)にCIA研修。帰国後はCIA東南アジア担当とジョイントワーク。昭和37年(1962)頃から国際学者・若泉敬氏に核政策の依託研究。その2年後、中国核実験。若泉氏の「日本は核武装せずの国是を貫き、米国の核の保証を取り付ける一方、核武装の潜在能力を持つ」と、他の委嘱学者4名の「カナマロ会」研究が佐藤栄作政権の非核政策になる。

 同年頃に「内調・審議員会議」発足。メンバーは学者・事業者・司法トップ・各省OBら。毎週木曜日開催で各5万円の謝礼。日記には各会テーマと出席者名。佐藤内閣の木村俊夫官房長官時代から、週1の「内調」報告が定着。昭和43年(1968)年頃からの日記に、「ニューオータニ」の会合が多くなる。誰と会って何を話したかが記されている。 佐藤内閣終盤(昭和46年、大阪万博が終わった翌年)に山崎正和、高坂正堯、黒川紀章ら若手による「政策科学研究会」発足(以後20年余続く)。この会合日、出席者、議題が記される。志垣氏、この頃になると日本の将来は大丈夫と引退を思ったとか。

 「内調」が委託研究費、資金援助した127名が50音順に実名で紹介されている。昭和42年(1967)に「朝日新聞」が「内調の研究費」を報じ、学者リクルートがやり難くなったと記す。127名の中にロケットの糸川博士の名あり。会合もニューオータニが多いことで、小生思わず「オヤッ」。小生の社会人3・4年目はPR会社勤務で、同社は月1「例の朝飯会」をニューオータニで開催。同社顧問に糸川博士がいたような。また入社前の同社は佐藤総理のPR活動もしていて「佐藤首相の新聞に大きく載ったあの写真この写真も同社のパブによる」と聞いた。同社も「内調」に関係していたのかしら。

 現「内調」から委託費を得ている団体(法人)は発表されているが、さらに首相夫妻に会食をおごってもらった芸能人、文化人、ジャーナリスト、マスメディア幹部らの一覧も、後世に発表されるかも知れません。同書に関してはここまで。興味ある方はご自身でお読み下さい。

 写真は現「内調」が入る「内閣府庁舎(低い方の建物)」。高い建物は「中央合同庁舎8号館(内閣官房、内閣府)」。小生風体芳しくなく、正面から撮れば職質されそうで、建物裏側を撮った。両ビルの向こう側が首相官邸です。

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