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光子⑪ 第一次世界大戦(A) [牛込シリーズ]

eidokusen1_1.jpg 光子さんにはいろんな事を勉強させられる。日清・日露大戦に続き、今度は無知の第一次世界大戦です。参考は木村靖二著『第一次世界大戦』と飯倉章著『第一次世界大戦史』。

 まず発端はサラエボ事件(ボスニアの首都サラエボ訪問中のオーストリア皇帝の皇太子フェルディナイト大公と妻ゾフィーが、セルビア人民族主義者に暗殺された)。暗殺者グループがセルビアの情報機関の支援を得ていたことが判明。

 上記大公夫妻と懇意のドイツ皇帝カイザーが、オーストリアは「ドイツの全面支援を当てにしてよい」の〝白紙小切手〟(セルビア背後のロシアが出て来た場合はドイツも動くの意。なんだか日米の関係に似ていなくもない)。セルビアもロシアの「白紙小切手」を得て、バチカン半島で第一次世界大戦が始まった。

 当初は当時国間の戦いで留まる筈だったが、ロシア総動員令でドイツ・フランス共に総動員令で戦線布告。ドイツ軍がルクセンブルグ(ベルギー・フランス・ドイツに囲まれた公国)に侵略。イギリスもフランス支援で参戦決定。

 かくして「ドイツ・オーストリア・トルコ・ブルガリア=中央同盟国」VS「ロシア・フランス・ベルギー・モンテネグロ・イタリア・ルーマニア・ポルトガル・ギリシャ・アメリカ・日本も参加の連合国」という全欧州を巻き込んだ大戦に拡大。光子の長男・次男は徴兵され、次男リヒャルトは病患ありで不徴兵でイダの許を離れず二人は結婚へ。光子、次男を勘当する。

tintao2_1.jpg 日本は、日英同盟の関係上で、ドイツ租借地の中国山東半島・靑島のドイツ海軍基地VS香港英国海軍に加担。山東半島のドイツ軍4,600人に日本軍6万人が総攻撃。

 バチカン半島ではオスマン帝国(トルコ)軍がコーカサス地方のロシア領に侵攻。ロシアがイギリスに救援を求めて逆転。英仏艦隊はガリポリ半島(トルコのエーゲ海へ伸びた半島)のトルコ軍を攻撃。

 西部戦線(ベルギーからスイス国境)では、ドイツがベルギーを攻略。フランスはドイツ領にされたロレーヌ地方奪還を試みるも敗北。両軍死者それぞれ20万人。ベルギー南西部ではイギリス大陸派遣軍とドイツ軍が戦闘。ドイツは英仏軍を撃退し、パリ近郊まで迫る。

 一方、東部戦線はロシアがセルビア支援を後回しにして、ドイツ領の東プロイセンのドイツ軍を攻め、オーストリア~リトアニア~ベルリンへ進軍。オーストリア軍はドイツの援軍を得て反撃に転じた。ドイツ・オーストリア軍はロシア領ポーランド~ワルシャワへ進撃。

 1914年6月のサラエボ事件から同年12月までの戦闘で死傷者フランス軍26万5千人、ドイツ軍14万5千人とか。行方不明者も多大で、その大半が捕虜とか。狭い欧州全土に戦火拡大で、さらに激しい展開になる。

 写真上は英軍・独軍の歩兵激戦。写真下は日本軍の青島攻城軍の入城。(大正4年刊『大戦争写真帖』より。国会図書館デジタルコレクション)

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