離群性~ [読書・言葉備忘録]
生涯フリーランサーだった小生も、文字通り「離群性」人生だったらしい。詳しくは書かねど小・中学時代に疎外感を覚える事件あり。渋谷の高校に入学すれば、有名不良中から来たってんで、上級生らに地下部室で袋叩きの歓迎を受けた。高2からは学校より社会人の山岳会活動が主で、修学旅行費が山行費に化けた。
大学は、親の勧めで理工学部へ。白衣を着て試験管を振りながら「俺は何をやっているんだろう」とキャンパスに通うのを止めた。アルバイトを経て街の美術研究所へ。アル中絵描き先生が、深夜に酒に酔った独白テープを聴く講義の他は、まぁ独学せい~みたいな感じで、勝手に4年間在籍した。
広告制作会社に応募。「カンディンスキーを読んでいました」が気に入られたかで採用され、グラフィック・デザイナーで社会人になった。ラッシュアワー電車を嫌って、初任給でドロップハンドル購入で自転車通勤。ときに電車に乗れば、乗り換えの新宿西口地下はフォーク集会で、彼らを掻き分けて地上へ出ればフーテンがシンナーを吸っていた。
2年後にPR会社に転職。2年目に某企業に出向。両社狭間を経て計2年で退社し、以後は生涯フリー。所属会社も所属組織も所属同好会もなしで隠居に相成候。
「あぁ、離群性か」と呟いてみた。喜寿を迎えた金子光晴は「過ぎし日のこと、すべてはむなしかりき」と記していた。