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有楽町逢ふは奉行所ベンチにて [新宿発ポタリング]

minamibugyousyo1_1.jpg奉行所巡りは呉服橋門内「北町奉行所」から数寄屋橋門内「南町奉行所」へ。現在は呉服橋と鍛冶橋の中間辺りに東京駅が出来て、そこに八重洲橋が架かるも撤去・架橋を繰り返して今はない。この辺の詳しい経緯は<日本橋川(16)木下杢太郎の「八重洲橋撤去>でアップ済み。

 

そうつぶやく間もなく、有楽町駅前中央口・駅前広場の「南町奉行所跡」碑に到着。発掘された奉行所の石組でベンチが出来て、その背に史跡碑がはめ込まれていた。この碑は「有楽町マリオン」前にあったそうだが再開発後に移設。「北町奉行所跡」が知らぬまま歩いてきた“地”なら、ここもまた山の線「有楽町」から地下鉄へ乗り換えで幾年も利用してきた地。この歳まで知らずに南・北町奉行所跡を歩いていたとは、なんとも恥ずかしい。

 

minamibugyousyutudo_1.jpgminamizumen1_1.jpg「南町奉行所跡」碑の文言は… 南町奉行所は、宝永4年(1707)に常盤橋門内から数寄屋橋門内に移転し、幕末までこの地にありました。その範囲は、有楽町駅および東側街区一帯にあたり、平成17年の発掘調査では、奉行所表門に面した下水溝や役所内に設けられた井戸、土蔵などが発見されました。また「大岡越前守御屋敷」と墨書きされた荷札も出土しました。再開発事業では、石組下水溝の一部をここに再現するとともに、石材を事業地内でベンチなどに活用しています。

 

 同文の横には発掘時写真と奉行所図面が紹介されていた。まぁ、立派な建物だったことがわかる。しかし改めて切絵図を見れば、周囲の大名屋敷の広いこと。今は『有楽町で逢いましょう』は、南町奉行所跡のベンチってことらしい。それにしてもこの発掘調査が平成17年で、北町奉行所の発掘調査が平成12年。平成に甦った北・南町奉行所を訪ねた師走でした。


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