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湾岸9)大島と台場と海堡 [新宿発ポタリング]

jethasi_1.jpg 伊豆大島の車の按配、藪と化したロッジの庭、その他諸々で急きょ大島へ行くことになった。竹芝桟橋からジェットフォイル艇で1時間45分。レインボーブリッジ下を通過し、右に大井埠頭、左に台場・中央防波堤埋立地・新海面埋立地。そして富津側に「第二海堡」を見ると東京湾から大洋に出る。

 ここで改めて「台場・海堡」について。これらは韮山代官・江川太郎左衛門(江川英龍=ひでたつ、坦庵)によって、ペルー艦隊来航前から日本の「海防構想」として建議されていたもの。幕府はペルー艦隊来航に慌てて同建議より泥縄的に造ったのが「お台場」。なお同見分には坦庵の従者として桂小五郎が付いていた。そして明治になって江川代官建議の自然島・猿島を含めた「観音崎~富津岬」間に要塞島=海堡を築造にやっと着手。横須賀側から「猿島・第三海堡・第二海堡・第一海堡」の順で旅順攻略などに使用の要塞砲が配備された。

dai2kaiho_1.jpg 目下「猿島」は観光島で、「第三海堡」は浦賀水道航路拡充のために平成12~19年の7年間を要して撤去。そして今、船から見る「第二海堡」は地震崩壊で浦賀水道に土砂が流れ込まぬように護岸整備中。

 かく東京湾を脱すれば、伊豆大島は近い。老夫婦のあたしらの島暮らしは、おおむね夕刻になれば「浜の湯」(水着の露天風呂)に浸かりつつ夕陽を愉しむ。夕陽が伊豆半島先端に沈む光景の素晴らしいことよ。陽が沈めば島は〝夜〟。海沿いの我がロッジは文字通り漆黒の闇。降るような星、月明かりに照る海、風に騒ぐ木々と波の音。そう、この地は昔むかし弥生遺跡の地で、さながら悠久の時代に戻ったような島暮らし。

simayuhi1_1.jpg そう云えば東京湾だって12~13万年前は間氷期(氷河と氷河の間)で、上昇した海面で関東地方の大半は海だった。約2万年前に海面が下がって陸地が広がり、そこをナウマン象が歩いていた。唯一の川が古東京川=利根川系で、やがて旧石器時代人=古東京人が住み着いた。縄文・弥生時代に従って再び海面上昇で東京湾ができて平将門、太田道灌、徳川家康へ。江戸後期に百万都市〝大江戸〟の誕生。現在の東京人口は1335万人で、臨海副都心の就業人口は5万5千人、居住人口1万4千人。ちなみに伊豆大島は年々減少で現在は8284人。

kikyou1_1.jpg さて〝温泉と薪ストーブ〟堪能の10日後に帰京しようとすれば台風接近でジェット艇が走らず、久しぶりに大型船「さるびあ丸」で竹芝桟橋へ。浜松町や汐留は今や高層ビル群のビジネス街で〝夜〟だというのにスーツ姿の雑踏。人々をかき分けつつ大江戸線に乗り込んだ。

 夕陽が沈めば漆黒の闇と化す島から、眠らぬ街へのギャップに頭がシビレる。次は過日にレインボーブリッジを歩いて渡った、その後をレポート。


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