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「夢二・晴雨・お葉」関連書雑感 [スケッチ・美術系]

kikufujioyou1_1.jpg 〝責め絵〟の伊藤晴雨と竹久夢二とお葉について、関連書それぞれ記述違いが多いゆえ、今回はそれらの検証。まず間違いの指摘。尾崎左永子著『竹久夢二抄』(1983年刊)にこんな一文あり。

「夢二の代表的作品といわれる『黒船屋』は、抱いている黒猫の前足から女の右手の指の形まで、マリー・ローランサンの絵とそっくりだという点でもよく知られているが、この顔立ちは彦乃である」

 嘘おっしゃい! ローランサンに黒猫を抱く女はなく、正しくは前回記した通りキース・ヴァン・ドンゲン。加えて顔立ちは彦乃(=丸顔)ではなくお葉。竹久夢二を書く方が、数行に核心的間違いを二つも犯している。

 お葉が夢二に会う前まで〝責め絵師・伊藤晴雨〟のモデル、愛人だったという記述は、概ね伊藤晴雨の文章、またそれらを編集の福富太郎著『伊藤晴雨自画自伝』からの引用が多かった。その一例を紹介すると~

「私が関係を結んだ女は、秋田生まれの俗称〝嘘つきおかね〟という女で、故・藤島武二氏の専属モデルで、私が大正五年から七年頃迄三ヶ年打っ通しに使った女で(中略)~此女は後に竹久夢二君が、私の手から奪い取ってしまった」

 もう一文。「それ以前から私に情婦が出来て居た。東京美術学校に通って居たモデルで、俗に〝嘘つきお兼〟で通って居る兼代という女で、五年ばかり関係を続けた。~中略~秋田産れの、東北美人系の瓜実顔で~中略~五年間にこの女を写生した画稿が積んで山を成して居たが、戦火に焼かれて、今は一枚も無くなってしまった」

 そして同文紹介の福富太郎は「晴雨は話をおもしろくする旺盛なサーヴィス精神があったようで、〝お葉さん愛人説〟の一件も、素直に信じていいのかどうか」と結んでいた。この辺は〝お葉〟に焦点を絞った金森敦子『お葉というモデルがいた』にしても、これら引用にとどまり、真実に迫る取材がなされていない。

 夢二が早稲田実業生だった頃は平民社に出入りする社会主義者で、その辺は荒畑寒村『寒村自伝』が記しているが、画家の世界になると、かくも曖昧な書が多いのはどうしてだろうか。また〝夢二伝説〟は早稲田実業、雑司ヶ谷、鶴巻町、戸山町(姉が在住?)など、意外にも我が近所での展開多しと改めて認識した。

 追記)伊豆大島・三原山「もく星号墜落」を記した弊ブログでは、辻潤の息子・辻まことや竹下夢二の息子・竹下不二彦らが昭和12年頃に金鉱探しに夢中になっていたことを記している。

 なお絵は、竹久夢二が大正8年に菊坂(本郷)菊富士ホテルの自室で撮ったというモノクロ〝お葉〟写真から、色付きで描いてみた。

 以上3回に亘った竹久夢二の参考書:小川晶子『もっと知りたい竹久夢二~生涯と作品』、栗田勇『竹久夢二写真館〝女〟』、尾崎左永子『竹久夢二抄』、河出書房新社刊『生誕130年永久保存版 竹久夢二』、伊藤晴雨著・福富太郎編『伊藤晴雨自画自伝』、久世光彦『へのへの夢二』、金森敦子『お葉というモデルがいた』。


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