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小松崎茂と藤田嗣治、池田大作や [スケッチ・美術系]

komatuzaki5_1.jpg 昨年末に小松崎茂が描く零戦や戦艦の〝海〟を模写アップ。その時は画集参考だが、今年は評伝『異能の画家 小松崎茂』(根本圭助著)を読んだ。面白かった個所をメモ。

●映画館でクロッキー:昭和10年、20歳。挿絵画家を目指した彼は、映画「油地獄お艶殺し」他を手許も見えぬ映画館内で毛筆クロッキー訓練。凄い努力です。●クロッキー会:音羽町の瀬戸物屋二階を岩田専太郎がお金を出して若手挿絵画家のクロッキー会場にした。後に挿絵画家として大活躍する青年らが集っていた。皆さん、しっかり腕を磨いていた。

●藤田嗣治は偉かった:小松崎は昭和17年、日本橋三越で開催「陸軍美術」に『ただ一撃』(50号油彩。敵機を追撃の隼)を出品。藤田嗣治が同美術理事長で「よく描けている」とほめた。後日の陸軍美術主催スケッチ会に出席すると当時の大画家らが勢揃い。モデルは麻布三連隊の重装備兵士。宮本三郎がくわえ煙草でスケッチをすれば、藤田「宮本君、煙草を消しなさい」に宮本「ハイ」。日本画家がモデルを写真に撮れば「君は写真屋か。絵描きは絵を描きなさい」。それほど藤田嗣治は偉かった。

●長者番付の画家の部で第2位:30歳、終戦。戦意高揚作を描いてきた彼はGHQに睨まれていると、出版界に戻るのをためらった。再び仕事復帰すればまた大人気。三日徹夜で仕事をこなす。編集者らも泊まり込みで原稿待ち。そのなかに日本正学館発行「冒険少年」あり。社長は戸田城聖で青年を伴っていた。彼の名は池田大作。

●もうひとつの戦中戦後史:評伝だが、上記例からも伺える通り、彼が出会った人々の多彩さ。東京大空襲の体験記や復興の姿。同書は挿絵史でもあり、さらにもうひとつの戦中戦後史。「松岡正剛の千夜千冊」にも取り上げられていた。読み応え充分です。●なお小生は「小松崎茂の絵に夢中になった世代」よりやや下の世代で、プラモデル趣味なしゆえ、彼の絵は完全スル―だった。


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