SSブログ

北斎のデッサンを直し描く(悪玉踊り3) [北斎・広重・江漢他]

akudama41_1.jpg 北斎の腕・手のデッサンがおかしい。踊り図解ゆえ説明的に描いたのだろうが、腕が不自然にねじ曲げられている。では、どう描けばいいのか。想像してもわからないので、上半身裸でポーズをとり、かかぁに写真を撮ってもらって、それを見た。「ふむふむ、扇子を持つ右手はこうで、左腕と手の形はこうか」と描き直した。(北斎には足が6本指だったり、親指と小指が逆だったりもある。相当の速描きだったと思われる)

 2月20日のテレビ東京「クロスワード」で浦沢直樹が紹介されていた。彼の机奥に可動式手鏡がセットされてい、「これを見て手を描くんですよ」と彼は言っていた。鏡に己を写せば左右逆になる。頭の悪い小生は、左右逆映像を見てどう描けばいいのかを考えたら、頭がこんがらがってしまった。結論は、ゴチャゴチャ考えずに「親指が内側」と思えば、左右間違えずに描けると気付いた。


コメント(0) 

飛んで行きたい主のそば(悪玉踊り2) [北斎・広重・江漢他]

akudama21_1.jpg 北斎の「オジさん褌踊り」を「若い女性」に描き替えた。果たして上手に描けましょうか。漫画家志望ならば、人体ポーズも想像で描けるだろうが、そんな訓練なしのあたしは四苦八苦。手足をはじめデッサンも不確か也。絵の教本に「なぜ絵描きが人体を描くか。人体はデッサンの狂いが如実に出るゆえである」。そんな文を読んだ記憶がある。

 己の未熟さ・無謀を知りつつ、こんな試みの始まり。果たして次も描けますでしょうか。首がないのは頭を前にグッと突き出しているため。動きはトンビゆえ両手をバタバタと飛ぶ気持で横跳びポッピング。くずし字は「此すじハとぶ印也」の「印」くずし字をメモ。「可保可多ち=かほかたち=顔形」。「人を描く+くずし字復習」両方のお遊び。

akudamakoi31_1.jpg 次の図は苦労せず描けて、先行き明るくなったか。くずし字は「こと」が合字。「かたちをすへたいを弥(ね)ぢらす」「こ連(れ)ハからすのあゆむかたちにとゝのへてすべし」。からすはホッピング、ウォーキング、横にスキップもする。


コメント(0) 

北斎の悪玉踊り(1) [北斎・広重・江漢他]

akudama3_1.jpg 北斎関連書の表紙見返し(見開き)に「悪玉踊り」が載っていた。原書〈画)を見たくネット検索。「絵本・踊独稽古」(文化12年・1815、版元:鶴屋金助)がヒット。初編目次に「登里夜舟」「気やぼう寿どん」「悪玉おどり」「團十郎冷水売」が収録。北斎のゆかいな絵に入りたいが、まずは詞から。くずし字を少し勉強したので筆写・解読から参りたい(句読点や行替は小生。解読間違いはご了承下さい)。

チリチンチリチン とんび・からすにならるるならば、とんでゆきたやぬしのそば。チリチンチリチン トツツルテン ツテツン ツツツン チリチツツンチャン。チャンチャンチャン チリチツツン チリチリ チンツルチンツル ツンチリチンチリチン。

ぬしとふたりでくらすなら さけでくろふ(酒で苦労)もおきながし。チリチンチリチン トツツルテン ツテツンツツン チリチツツンチャン。

チャンチャンチャン チリチツツン チリチリチン ツルツルチンツル ツンチリチンチン。なべかまへっつい(鍋窯竈)チリチツツン どふこ(銅壺)やくハん(ヤカン)にすりばち(擂鉢)か ツルツルツン すりこぎ(擂粉木)か ついでにおやじも チゝチリチン チンチン。

そへぇ(添え)じゃいなぁあぁ アゝよいトコトントントン あゝアゝめったに(滅多に)でまかせ(出まかせ)あしまかせ(足まかせ)でん八和尚はくもをやみ(雲を闇)いさみちらして(勇み散らして)いそぎゆく(急ぎゆく)。続く

 「どふこ=銅壺、やくハん=やかん」の解読に難儀した。「めつた」の「め」がクセ字だが、後で「面を咥へ」と同じ字で「め」と判読。「めつた=滅多」も古語辞典にあり。なおこの詞は、清元の「うかれ坊主」の最後に同詞が遺っている。そこでは「でん八和尚」は「源八和尚」になっている。

 「悪魔おどり」のそもそもは、弊ブログでもおなじみ山東京伝の黄表紙「心学早染艸」収録。真面目な商人に息子が誕生。悪魂が入り込もうとするのを天帝が阻止し善魂を入れた。評判のいい息子に育ったが、18歳のうたたね中に悪魂が入り込んだ。吉原通い。やがて身を崩して追剥へ。道徳先生を襲ったら逆に説教されて善魂を取り戻すというお話。

 これが歌舞伎になって、悪魂キャラクターが躍るシーンが人気となり、江戸中に流行ったそうな。詞(うた)は〝戯れ歌〟だが、北斎の絵(漫画)がめっぽう面白い。


コメント(1) 

新宿の蝶にも負けぬルリビタキ [新宿御苑の野鳥]

ruribitaki2_1.jpg 新宿御苑の梅を観に行った時のこと。入苑と同時にシジュウガラ、ヤマガラ、エナガが飛び交う姿を見た。鳥撮りの方に話しかけたら「ルリビタキも出ていますよ」と、撮った紙焼きを下さった。「まぁ、素敵な写真。額に入れて飾りましょ」と、かかぁが言った。

 ルリビタキ♂が出る現場では、ルリビタキの写真入り名刺を下さった方もいた。鳥撮りは好い方が多い。帰宅後に「新宿 ルリビタキ」でネット検索すれば、見覚えのある(自分の)写真が4、5カットあった。

 「ルリビタキ彼方此方に舞ひ出でり」のタイトルで町田・薬師池、北本自然観察公園、そして新宿御苑で撮ったオス・メスの写真など。確かあたしが最初にルリビタキを撮ったのは富士五合目・奥庭で、その後はタイトル通り彼方此方で撮った。

 新宿御苑でいただいたルリビタキの写真は、実に良いショットだった。いただいたお礼に、ここは描いてみようと思った。野鳥の絵は年初めに四苦八苦してスズメを描いたので、二度目の野鳥描き。今回も難儀するかなぁと思ったが、30分程で描けた。

 初めて描く「花鳥」は手こずる。だが一度描けば次から筆が走るようになるらしい。ならば次々に未だ描いていないモチーフに挑戦です。絵を描き始めて丸1年も経っていないゆえ、隠居ながら〝初体験(モチーフ)〟は無限。


コメント(0) 

紅梅や見ぬ恋作る玉すだれ [花と昆虫]

yotabiume1_1.jpg 前回、速写「八重の紅梅」を描いて、芭蕉句「紅梅や見ぬ恋作る玉すだれ」と書き加えた。同句は概ねこう解釈されている。「紅梅が美しい家に玉すだれがかかっている。王朝文学の趣が揃ったこの家には未だ見ぬ佳人が住んでいるようで、なんとなく恋しさを覚える」。

 絵を描きつつ、果たしてその解釈でいいのだろうかと首を傾げた。「伊勢物語」六十四「玉簾」で男が口説く。「吹く風にわが身をなさば(わが身を風に出来るなら)玉すだれひま求めつつ入るべきものを(玉すだれのすき間を求めて入り込むのに)」。女の返歌「とりとめぬ風にはありとも玉すだれたが許すべき(誰が許して玉すだれのすき間から入ってくるのよ)」。

 この場合の「玉すだれ」の〝玉〟は簾の美称だが、小生は枝垂れ紅梅が〝玉簾〟のようで、そこから軒下の簾が見えるという〝ダブルイメージの遊び心〟で詠んだ句と解釈したい。芭蕉より百年前の歌人・細川幽斎に「軒ちかき梅が香ながら玉簾 ひまもとめいる春の夕風」がある。梅を〝玉簾〟と詠っている。

 小生が一昨日描いたのは新宿御苑の紅梅。その横に茶室「楽羽亭」がある。その前に梅(と蕾)が咲いて玉簾のようで、そこから茶室の簾が見える。その絵を想像して描けば、こんな絵になる。

 ついでにつまらん句を紹介。「蔭清くその儘絵がくまどの梅」。誰の句だと思いますか。北斎句。「富嶽三十六景」を描いていた頃の句。宿六心配著「謎解き北斎川柳」には北斎の下ネタ・下世話川柳670余が紹介されているが、時にこんな俳句もあって戸惑ってしまうと紹介されていた。北斎はどんな梅の絵を描いたのだろう。


コメント(0) 

梅は一筋縄で行かない [花と昆虫]

mitabiume1_1.jpg  新宿御苑の「梅」が満開です。「梅」は撮るも詠むも苦手です。かつて咲き始めの梅を撮ったが、花弁やオシベが水気足らずで乾き縮んだ感。そこで「紅梅や咲くと同時に姥になり」と詠んだことがあった。

 紅梅の蕾のほころび始めは、ピンクがちらっと覗いて妙に艶っぽい。「紅梅や朱唇ほころぶ色気かな」。蕾が割れた瞬間を「春近し朱唇を割ってぽっと咲き」とも詠んだ。しかし梅は300種もあるとか。撮っても詠んでも、種によって趣が違う。一筋縄では行かない。あの節くれ立ち苔むした幹からして小難しい。

 「おまいさん、湯島天神へ行ったことがないよぅ」と新宿生まれのかかぁが言う。そこで大江戸線「上野御徒町」下車で行った。「梅まつり」で大賑わい。「宝物殿」に入ったら、なんと!横山大観、菱田春草、川合玉堂、奥村土牛、杉山寧、伊東深水、前田青邨など日本画の巨匠らの梅の絵が一堂展示。ベストタイミングの絵画鑑賞なり。だが描かれた梅は、紅梅の一重の丸みのある5枚花弁ばかり。節くれ立って苔むした枝・幹で画面構成がされて鳥が止まっている。まぁ、同じような絵ばかりだった。

 あたしは新宿御苑の梅を描こうと試みた。だが一重の白梅はあるも「一重の紅梅」は見当たらず。結局「八重の紅梅」をスケッチ。最初は不透明水彩で入念に描いたが、上手く描けなかった。ならばと〝速写+透明水彩〟で描き直し。「梅」は撮る、詠むに加えて「描くも苦手」と相成った。来春には上手に描けるようになるだろうか。


コメント(0) 

大はしゃぎ二歳の孫の春一番 [散歩日和]

rei2sai2_1.jpg 歩き始め、喋り始めたばかりの孫。公園でたっぷり遊んだ。足はくたびれ、よれだしているのに春一番が戯れた。

 細く柔らかな髪が大きくなびく。それを面白がって、風に向かってまた走り出した。


コメント(0) 

福寿草と日本水仙を描く [花と昆虫]

fukujyuhoa1_1.jpg 半年振りに「花」を描いてみた。初心者ゆえスケッチの教本(平山郁夫著)の記述を思い出した。概ねこんな内容。「線には速写もジワジワと引く線もある。花鳥は繊細で複雑な形を写し取るのが肝心。感情を抑えて微細に描きましょう」。

 慎重に観察しつつ描けば、この福寿草の花は開き過ぎだなぁと思った。確か咲き始めの形は大鉢かパラボラアンテナ状。弱い冬の陽を花芯に集めて温度を上げて虫を誘っていたはず。開き具合には〝花には花の事情〟があるらしい。花言葉は「永遠の幸福」だが〝毒草〟ゆえフキノトウと間違えて食せば一大事。

fukujyu5_1.jpg 日本水仙の花弁は6枚(外側3枚はガク)で、白く柔らかそう。中心に筒状の「副花冠」あり。ここが肥大の「ラッパスイセン」など多種あり。

 水仙句は多いが、日本水仙の特徴を詠んだ芭蕉句「其にほひ桃より白き水仙花」。白い花弁が引き立つ。白樺派・木下利玄に「真中の小さき黄色のさかづきに甘き香もれる水仙の花」。副花冠を詠っている。

 花を描くのは難しかった。描き終えてネットで花の絵を見た。梅や桜は概ね図案化された描き方が多くて面白くなかったが、福寿草や水仙は描き手それぞれに捉え方、描き方があって面白かった。花を描く画家は多い。〝花を描く〟楽しさが少しわかったような気がした。ジワジワ線で描いた後は、速写(の線)で福寿草の花を描いてみた。


コメント(0) 

寒桜撮らずに描くぞ今年から [スケッチ・美術系]

toritori3_1.jpg 春の陽気。新宿御苑へ行った。例年より早く寒桜が咲き、群れ舞うメジロを撮るカメラマンが大勢いた。それは小生にも欠かさぬ〝春の行事〟だったが、今年はクロッキー帖にカメラマンの後ろ姿を描いた。十人も描いたか。立ったまま左手でクロッキー帖を支え、右手で鉛筆+万年筆は極めて不安定。帰宅後に二人分を彩色で仕上げた。

 御苑は野鳥撮影とスケッチのご年配方が眼に付いた。野鳥撮影の方は概ね個人か数人で「何か(珍しい鳥が)出ましたか」と声を掛ければ、よほどの狷介翁でなければ野鳥談義が始まり、撮った写真を見せても下さる。「トモエガモがまだいますよ。ホラ、綺麗でしょ」と長玉(超望遠)のご婦人。

 一方、スケッチの方は何故かグループで、携帯椅子に座って彩管を揮っていらっしゃる。そのなか、とても素晴らしい絵を拝見して思わず「凄い、素敵」と口に出た。画面一杯に大樹の幹を色彩豊かに描いていらっしゃった。スケッチ紙は「ブロックタイプ」。画材は「色鉛筆と透明水彩です」と教えて下さった。グループの先生だろうか。

 実はあたしも携帯椅子に座り、さらには画架を構えた安定した姿勢で写生をしてみたいが、他人が行き交う場では恥ずかしくて出来ない。あたしにはどこかに「絵はこっそり描くという〝後ろめたい〟気持ち」があるらしく、これは何なのだろう、問題だなぁと思った。カット絵は〝後ろめたい気持ち〟で背後からこっそり描いた絵。


コメント(0) 

ヨガ三人重ね図の弁 [スケッチ・美術系]

balance2_1.jpg 前回の体操図を描いた後、トイレでアイデアが浮かんだ。「ヨガポーズの組み合わせで天空まで描けたら面白そう」と。だがイメージ通りに描けるワケもなく、三人重ねで終わってしまった。

 「人」を描こうと思ったのは、前々回カット絵「胸部CT検査を受ける自分」を描こうとしてハタと困ったことによる。自分の姿を見ること叶わず。CT検査機の記憶も曖昧。だが漫画家ならば、訓練の蓄積によってスラスラと描くに違いない。あたしも少しは「人」を描くことに慣れなくてはいけないと前回の「腰痛体操図」に至った次第。かくして今回は「ヨガ三人重ね図」。


コメント(0) 

クロッキー帖と腰痛体操の図 [スケッチ・美術系]

youtuutaisou3_1.jpg 己の下手な絵に「スケッチブックはもったいない」と気が付いた。2月に入ってからのカット絵は「クロッキー帖」に描いたもの。名は「クロッキー帖」だが、いわゆる〝クロッキー〟はしないから「エスキース帖」だろうか。

 いや「エスキース」の意もスケッチや下絵だから、あたしの場合は「いたずら描き帖」が相応しい。「スケッチブック」だと構えてしまうが「いたずら描き帖」だと鼻歌交じりで気軽にペンを走らせることができる。

 その気軽な気分は例えば「原稿用紙+万年筆からワープロに切り替えた時」の気分に似ている。原稿用紙の時は、気合を入れて書き出したものだが、ワープロにしたら咥え煙草にコーヒー、鼻歌交じりでキーボードを叩き始めて、調子が出て来た時にヨシッ!となる。絵を描き始めたばかりの者にとっては、まずは上手下手より〝描く習慣〟が大事だろう。かくして気軽に描ける「いたずら描き帖」は、マルマンのクロッキー帖でバッグに入るSサイズと、ポケットに入るSQサイズを手許に置いた。紙はコピー紙よりやや薄い。

 小生の机横には、使用済みコピー紙を半分に切って裏面使用のメモ紙の束が常備されている。これはメモの使用後はゴミ箱で、後で「あの時のメモは~」とゴミ箱を漁ることままなり。メモも「いたずら描き帖」を使えばいいかもと思っている。

 この絵の参考は、大病院整形科にあった「慢性腰痛を軽くする体操」チラシ。紙が薄いから軽く水彩を乗せただけで紙が波打ってしまう。


コメント(0) 

長らへて医療機潜り春を見ゆ [暮らしの手帖]

kennsa1_1.jpg 最近、耳慣れぬ最新医療検査機器に身体を委ねることあり。歩くと足裏がチクチクするので診てもらおうと思った。うっかり「痺れもある」と言えば、医者がうれしそうに「MRI検査(磁気共鳴画像検査)」をしましょ、と言った。

 検査台に耳栓をして横たわる。宇宙船のような中にもぐり込むとグワングァンの大音響。強い磁力・電波で体内画像を撮っているらしい。背骨を横から撮った写真を見せて「ホラ、この背骨が歪んでいる」。次に脊柱内写真。「上の方の穴に比しココの脊柱菅が狭くて神経を圧迫。脊柱菅狭窄症だな」。

 かくして血流がよくなる薬を飲むことになったが、肝心の足裏のチクチクはマッサージ系らしく整形医は無関心。北斎の足の模写の際に覚えた「足根球が痛い」と言えば、「私たちはそんな難しい言葉は使いません。ココやソコでいいでしょう」。

 風邪をひいていたので、風邪薬をもらおうと内科へ寄ればレントゲンを撮られた。「よくわからないから、もう一度撮らせて下さい」。翌月にまたレントゲン。今度は「CT検査を受けて下さい」「オイオイ、何を調べているの」「肺ガン」「ウヒャ~」。1週間後のCT検査まで、生きた心地がしない。なんだか本当に胸が悪くなってきた。10年前に禁煙したが、それ以前はチェーンスモーカー。覚悟を決めて検査台に横たわった。結果は、何でもなし。

 以上は大病院。今度は最寄りの診療所で「健康診断」を受けた。検便に血の反応ありで「大腸ガン検査を受けて下さい」。「ネットには大半が痔による血の反応とか。俺も痔なんだ。ケツから何かを突っ込んで調べるなぁんざ絶対にイヤだぜ」。「一度も受けたことがないのでしょ。受けましょ」(結局、ケツから内視鏡+ポリープ除去を3度も受けることになった)

 病院は「薬漬け」にすると知っていたが、「検査漬け」にもするらしい。あたしはフリーゆえ、会社員だったら受けるだろう定期健康診断に無縁のまま隠居を迎えた。この歳になると、この身体は自分のものではなく病院が管理するものらしい。


コメント(0) 

記事数1680×?=累計閲覧数168万 [ブログ&アクセス関連]

 先日「記事管理」を見たら、偶然ながら記事数1680で累計総閲覧数168万と同数字が並んでいた。1記事あたり1,000閲覧ってとか。

 同日、4年前の2月1日「亡き犬の日向で吾が本を読み」が2回閲覧されていた。一昨日の記事と同じく「冬の斜めに差し込む日向」と同テーマ。「さて、どんな内容だったか」と自分の記事をクリックすれば、写真は犬ではなくて、ビルの狭間に舞い降る雪のスローシャッターだった。

 そんな曖昧な記事を閲覧して下さった方は、どのようにして4年前の記事に辿り着いたのだろうか。記事数が1680だと、自分でも忘れた記事もあって、閲覧記録を逆クリックして昔の自分を振り返ったりもする。これもまたブロガーの愉しみのひとつかも。

 最近は写真からカット絵になった。絵に関心を持って「画像検索」もするようになった。するってぇと、とんでもない所で自分のヘタ絵に遭遇して「ウヒャ~、恥ずかしい」となる。ブログは恥晒し。かくして恥が拡散して行く。


コメント(0) 

冬麗ベランダに出で爪を切り [暮らしの手帖]

tumekiri4_1.jpg 我が家7Fは東面に窓。早起きゆえ、朝日が昇る美しいい光景を日々愉しんでいる。太陽が南寄り天空に昇ると、周囲の建物と部屋の家具配置にもよろうが、部屋の中に斜めの陽が差し込む。かつて共に暮らしたコッカー種の愛犬は、その斜めに差し込む狭い日向でよく丸くなっていた。最初は線のように細かった日向が、春に向かって20㌢、40㌢と次第に幅広くなって行き、夏になれば灼熱で遮蔽カーテンの出番になる。

 冬晴れで冷たい風も吹かぬ昨日、窓を開けて日向のベランダに足を出して爪を切った。この爪切りをよく見れば「あしのつめ」と記されていた。石川さゆり『飢餓海峡』のノベルティー(販促グッズ)。同曲は平成6年4月リリース。「あぁ、あたしは22年間も、コレで足の爪を切って来たんだ」と思った。

 昭和50年(1975)頃から音楽業界の外部スタッフとして働いてきたから、部屋のどこかに、抽斗の隅っこにと様々な楽曲販促グッズが隠れている。本棚のどこかには中島みゆき「魔女の辞典」(41年前に作った小冊子)もあるはず。忘れやすい性質なんだが、これを作った時のことは妙に覚えている。

 朝日が昇る悠久のドラマ、冬に差し込む日向、愛犬の思い出、「あしのつめ」と書かれた爪切り、どこかにある「魔女の辞典」~。あれやこれやを思い出しつつのカット絵に、駄句を「くずし字」で添えた。昔の幾つかのことは妙に覚えているのに、苦労して覚えた「くずし字」は、勉強を怠ればすぐに忘れてしまう。


コメント(0) 

小川千甕:絵は何でもありがいい [スケッチ・美術系]

zenga1_1.jpg 某画家の随筆集に「純粋絵画VS原稿料の絵」趣旨の章があり。結論は「ファインアートも職業になれば嫌なことも付きまとう」で締め括っていた。絵描きもお金が大事とハッキリ言えばいいのにと思った。「絵を売ることを知らぬ?」熊谷守一も、極貧生活を見かねた画商やコレクターらによって人気画家になった。

 上記が絵に関するお金の話。次に「画家のデッサン力VS漫画やイラストの画力」云々も騒がしい。そんなのどっちでもいいじゃないかと思う。モネは写真を見て描いたと指摘されて「写真を見て描いても、満足に描けない画家が多い」と一蹴した。

 小川千甕(せんよう、1882~1971)の本(図録)を読んだ。彼は15歳で仏画師へ奉公。20歳で欧州帰り洋画家・浅井忠の門下生に。人体デッサンや写生に励み、次に陶器の装飾(デザイン)絵付け。28歳で上京し「ホトトギス」に挿絵。各誌に時事漫画も描いた。31歳でヨーロッパ遊学。帰国後に日本画「珊瑚会」結成。(34歳で伊豆大島滞在)その後は俳画、南画(文人画)、禅画も描いた。昭和42年、85歳で上野松坂屋で武者小路実篤・熊谷守一と三人展。88歳の米寿展後に没。晩年は子供みたいな絵を描いていた。

 彼にとっては純粋絵画もイラストや漫画も、デッサンの上手下手も関係なく何でもありだったような気がした。あたしは絵を描き始めて1年に満たぬが、歳相当の絵ならば枯れた俳画のような絵を描くのが相応しいような気もする。そう思って小川千甕の晩年の禅画「芭蕉庵」一部を真似してみた。

 神田川沿いの「関口芭蕉庵」には、この絵のような5㍍ほども天に伸びた立派な芭蕉が繁っている。カット絵は「コピー紙+鉛筆+透明水彩+万年筆(プラチナ・カーボンインク)+筆ペン+修正液」。画材も何でもあり。


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。