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鳴海「たかぬひし梅の笠寺春さめに~」 [狂歌入東海道]

41narumi_1.jpg 第四十一作目は「鳴海」。狂歌は「たかぬひし梅の笠寺春さめに旅うぐいすの着てや行らん」。「たかぬひし=たか(誰が)ぬいし(縫ったのか)」だろう。この解釈には難儀した。笠寺の観音様は笠を被っているそうで、衣も着ていたのだろうか。「行らん=推量の〝らむ〟=行くのであろう」。「旅うぐいす」の意がわからず宿題です。

 膝栗毛の「鳴海宿」は狂歌二首を含めても僅か五行で、次の「宮宿」へ移ってしまう。どんな宿場だったのだろう。改めて地図を見れば、「鳴海宿」は伊勢湾の奥、現・名古屋港近く。港に注ぐ天白川の河口すこし上流沿い。弥次喜多らは鳴海宿に着いて、まず一首~

 「旅人のいそがば汗に鳴海がたこゝもしぼりの名物なれば」。絵を見れば〝有松絞〟と同じように絞りを店頭に飾った店の連なり。ここでは〝有松絞り〟ではなく〝鳴海絞〟になっている。同じような絵が『尾張名所図形・鳴海宿』にもあった。これで「ここもしぼりの名物なれば」の意を了解。〝鳴海がた=鳴海潟〟。〝汗・しぼり〟は縁語だろう。

41narumiuta_1.jpg 宿場を出て天白川に架かる〝田ばた橋〟を渡ると「笠寺観音」へ。笠をいただきもふ木像なるゆへ、この名ありとかや~と記して~

 「執着のなみだ雨に濡れじとやかさをましたるくはんをんの像」。冒頭狂歌の「笠寺」が詠われている。「執着(煩悩)の涙雨に濡れじとや(濡れないように)かさ(笠)をましたる(被っていらっしゃる)くはんをん(観音)の像」。「まし・たる=いらっしゃっている、おなりになっている」尊敬語。「くはんをん=観音の旧仮名くわんお(を)ん」。

 これしきのことで手こずっていると、己の文学知識・素養のなさを痛感する。「あぁ、文学部へ行っていればよかったなぁ」と思う。絵が描けない時は「あぁ、美術学校へ行けばよかったなぁ」とも悔やむ。このブログは誰も見ていないだろうから告白すれば、あたしは「理工学部応用化学科中退」です。あの時代は長髪でドロップアウト、中退がカッコよかったんです、と負け惜しみ。でも、これは心の底から「若い時分にもっと・もっと勉強しておけばよかった」。


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