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四日市「梅が香に袖ふりあふて泊り村~」 [狂歌入東海道]

44yotukaiti_1.jpg 第四十四先目が「四日市」。狂歌は「梅が香に袖ふりあふて泊り村つえつき坂をのぼる旅人」。

 弥次喜多らの宿はむさくるしく、相部屋だった。先に風呂に入った喜多さんが弥次さんに「婀娜な女が湯加減を訊いてきたから、(夜の)約束をしてきた。おめぇが入っている時に、もう一人の年増が話しかけてくるかも」。

 弥次さん、年増を待つ長風呂で湯あたりで倒れてしまう。深夜に二人は壁伝いに婀娜な女の部屋へ夜這い。部屋を間違えたか、触れば菰に巻かれた石地蔵で〝死人〟かと大騒ぎ。「はひかけし地蔵の顔も三度笠またかぶりたる首尾のわるさと」。「はいかけし=這い掛けし=夜這い」。「仏(地蔵)の顔も三度」にかけて、笠を被りたいほど恥ずかしい。

44yotukaitiuta_1.jpg 早朝に宿を出た二人は「やうやうと東海道もこれからははなのみやこへ四日市なり」。四日市に来て京が近づいたせいか、街道がなんとなく華やいで来た、と詠っている。やがて「日永の追分」。左の鳥居をくぐれば伊勢参道道で、右が京。なんと!弥次喜多らは左へ曲がって伊勢参りへ行ってしまう。「狂歌入東海道」は彼らと別れて京へ向かいます。

 絵のように長閑な四日市だったが、今は石油コンビナートの街。昭和34年頃から〝四日町ぜんそく〟で公害との闘いが繰り広げられた。そんな四日町を過ぎて京へ向かえば、丘陵を登る〝杖衝坂(つえつきさか)〟。冒頭狂歌の「つえつき坂をのぼる旅人」となる。

 ここに芭蕉句碑「徒歩ならば杖つき坂を落馬かな」。伊賀へ四度目の帰郷の際、この坂を嫌って馬に乗って落馬したそうな。この句は〝季語なし〟の有名句とか。


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