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一瞬の秋、一瞬の雪山 [暮らしの手帖]

akiakaneosu_1.jpg 春と秋が好きだが、昨今は酷暑が長引いて、一気に晩秋。そして雪も降った。秋を楽しむ間もない。季は逸したが、背伸びすれば歌舞伎町が見える東新宿に訪れた〝一瞬の秋〟の記録が、7Fベランダ他に飛んで来た赤トンボ。

 赤トンボ(アキアカネ、秋茜)は、翅を体の下に徐々に下げて休むとか。♂♀共に翅を下げている。オスは成熟すると腹部も赤くなり、メスは背中が赤くなるのもいるが腹部は淡褐色らしい。

 24日の雪は「東京の11月初雪、1962年以来54年振り」とか。1962年(昭和37年)の雪の思い出がある。社会人山岳会の新人2年生。富士山で滑落やザイルワーク訓練後に、厳冬期・南アルプス縦走合宿に参加。深い雪との闘い。そこに切迫形相の伝令が来た。稜線の風を避けた地に全員が集められ、先輩隊の「甲斐駒・赤石沢奥壁登攀隊」三名遭難の報。縦走を中断して、甲斐駒へ急行する旨が告げられた。

akiakanemesu2_1.jpg 今は更地らしいが甲斐駒五合目小屋?が会の拠点になった。社会人ゆえ多くは帰京も、あたしは最後の遺体収容まで滞在。小屋に電報が来た。「大学進学手続きの締切迫る。帰京せよ」。

 大学入学。山岳部の勧誘を断った。亡き登攀隊員・須藤氏の赤シャツを形見にいただいて、それを着て武甲の沢登りに行った。下流の沢でテント泊。深夜「逃げろ」の怒声でテントを這い出し、ブッシュに取り付いて振り返れば、土石流がスローモーションのようにテントを呑み込んで行った。

 先輩の形見の赤シャツをはじめ全てを失って、交番でお金を借りて帰京した。しばらくして同山岳会三年在籍で退会。山をやめた。今、ネット検索したら甲斐駒の奥壁取り付き、八丈バンド辺りに慰霊プレートがあると知った。54年も前の〝山の思い出〟。この歳になれば、それも幻のような一瞬の思い出。


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護国寺骨董市で文鎮二点入手 [暮らしの手帖]

buntin2_1.jpg 過日、自転車で護国寺・骨董市へ行った。「銭山に乗る亀」と「古代刀貨レプリカ」の文鎮を買った。銭山に乗る亀は「龍亀(ロングイ)=躰は亀で頭は龍」が多いが、これは普通の亀。重いのに小さく可愛い。小さな紙にメモをする時の文鎮に使えそうだ。

 一方「古代刀貨」の正体が分からぬも〝幾度も見た記憶〟があった。鉄扇、出土品、武具かしら~さまざまと検索したがヒットせず。Goodleの類似画像検索もしたがヒットせず。

 「ゴミみたいのを買ってきて」と文句を言われるのを覚悟でかかぁに意見を求めた、〝古代の刀みたいね〟と言った。そこで「刀風文鎮」検索で、やっとヒットした。わかるまで三日を要した。中国は春秋戦国時代の斎国他で流通した〝古代刀貨・刀銭〟のレプリカだった。反っているので「反首刀」。狩猟や漁労用の小刀が原型らしい。象形文字風漢字は「〇〇〇法化(貨)」で、最後の二文字は法で定めた貨幣の意だろう。

 後日、息子に自慢したく「コレなぁ~んだ」と訊けば、こともなげに「昔の貨幣だろ」と即答。「ど・どうして知っているの」。「子供時分の図鑑に〝世界の貨幣〟として載っていた」。あぁ、そうだったのか。

 亀も古代刀貨も、誰がこんなレプリカを造っているのだろう。骨董(風)文鎮を検索すれば江戸・明治・大正の名工による箱入り・名入りで2万~10数万円あり。だがネットには数千円でも〝欲しいなぁ〟と思う逸品もある。この俄か〝文鎮蒐集〟は十個も集めれば満足しそうゆえ、もう少し集めてみましょう。

 追記:実はその後に行った「代々木公園ケヤキ並木・大江戸骨董市」で面白い物を入手した。その話はまた後日。


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「スマホと古井戸」物語 [暮らしの手帖]

furuido1.jpg 近所の裏路地へ入ったら、古井戸があった。スマホのシャッターを押せば「ガシャガシャガシャ」と凄まじい連写音。静かな路地ゆえ腰を抜かすほど驚いた。なぜこんな余計な機能を付けたのだろう。

 その後は「連写をさせない=LivePhotosをオフ」にして写真を撮る。シャッター音を消す法もあるらしいが、面倒なのでスピーカーを指で塞いで撮った。それも面倒になってテープで塞いだ(電話時にテープ着脱が簡単な小細工をして)。

furuido8nen_1.jpg そしてまたスマホの調子が悪くなった。「Gmail」アプリが<ネットワークリクエストはタイムアウトしました>と出て、埒が明かない。ネットを見れば、多くの方がコレに困っていた。息子が再インストールで直してくれたが、連動していたか「あの表示が消え、あの機能が使えず」など。なんだか、無性に〝ガラゲー〟の安定感が懐かしくなった。

 「Windows10」の強引アップグレードの誘いで「10」にしたことがある。最初は新機能を喜んでいたが、仕事で使えぬ機能が幾つかあった。慌てて「8.1」に戻してもらって、慣れ親しんだ画面・機能にホッとしたものだ。だからと言って今さらガラゲーに戻るのもシャクだ。スマホは新機能開発にかなり無理をしているな、と思った。

 古井戸写真を見れば、昔も撮った記憶あり。調べればブログ開始の8年前頃で、未だスマホ登場前のこと。両写真を見比べれば〝朽ち行く8年〟が見えた。それは我が肉体も同じ。高齢になって俄かにCT検査、MRI検査、大腸内視鏡検査が続いた。己の身体内部映像を見るなどということは想像も出来なかった。「朽ちたこの肉体で、あと何年生きられるだろうか」。

 子供時分は井戸のある生活だった。祖母は洗濯の〝濯ぎ〟に入ると、孫のあたしに井戸を汲み続けることを命じた。まだ家にテレビも電話もなく、ラジオから広沢虎造の浪曲が流れていた。「こんなに時代が変わっていいのだろうか」。地球も世界の政経も悲鳴を上げている。


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遠山金さん&江戸の時間 [くずし字入門]

5-1komonjyu2_1.jpg 九月中旬から毎日曜に二時間五回の「古文書中級講座」(新宿歴史博物館主催、久保貴子講師)を受講した。講師は何度も「復習が肝心」と繰り返した。「狂歌入東海道」シリーズが終了し、お勉強ノートでもある弊ブログで順不同で少しづつ復習です。

 右ハ、昨廿日昼九時頃、高田四家町家持(いえもち)留五郎家前二而(て)不知子細(しさいしれず)、前書両人二而及口論(口論に及び)万之助義、半右衛門頭江疵付(きずつけ)、同所へ打倒れ罷在(まかりあり)候二付き、今日遠山左衛門尉様番所へ御訴奉申上、御検使奉願(ごけんしねがいたてまつり)候二付、同町御検使場江、着所様并(ならびに)村役人中御召連(おめしつれ)、只今御立合可被成(なされべく)候、右得御意度(ぎょいをえたく)如此(かくのごとく)御座候 已上(いじょう)。

 冒頭に「昼九時(ひるここのつどき=昼12時)とあったので、江戸時代の時刻のお勉強。一日二十四時間を十二等分。一刻が約二時間、半刻が一時間、四半刻が三十分。

edonojikan1_1.jpg 数字は易学で尊ばれた「九つ」を頭(暁九つ=深夜0時、昼九つ=正午)に八つ・七つ・六つ・五つ・四つで六等分。「四つ」の次がまた「九つ」から繰り返す。明六つ=午前6時、暮六つ=午後6時と数字が揃う。さらに午前・午後の区別をつけるべく「十二支」を当てる。

 午前は「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)」の六刻(12時間)。午後は「午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)」の六刻(12時間)

 詳しく記せば 子の刻=暁九つ(深夜0時)中心の一刻(2時間)/丑の刻=暁八つ(午前二時)中心の一刻/寅の刻=暁七つ(午前四時)中心の一刻/卯の刻=明六つ(朝六時)中心の一刻/辰の刻=朝五つ(朝八時)中心の一刻/巳の刻=朝四つ=午前十時中心の一刻(2時間)。あとは図を参照。


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電車内で〝iPhoneスケッチ〟 [スケッチ・美術系]

dennsyade1_1.jpg スマホでお絵描きは、アプリが固まらぬよう簡略な線・色がいい。だが絵は簡略・省略こそが至難。ゴッホ「ああ、二、三本の線で人物が描けるようにならなければ~」と浮世絵を観つつ言ったそうな。

 あぁ、それなのに!スマホの線はどこから出て来るかもわからない。江戸時代の鳥羽絵、大津絵、漫画初期のポンチ絵、今なら絵手紙のような絵になってしまう。

 そんな事を思いつつ地下鉄に乗った。まぁ、乗客の全員とまでは言わぬが、誰もがスマホで何かをしている。そんな光景を眼前にして、はたと閃いた。スマホ熱中の彼らをスマホでスケッチしてみよう。

 絵画系サイトを拝見すれば、電車内で乗客をこっそりクロッキーなどして腕を磨いている方々がいらっしゃる。小生は公衆の面前でスケッチブックを開き筆を走らせる図太さ、大胆さ、勇気はない。また街の「絵画教室」では数千円で「ヌードクロッキー」が開催されているが、これも恥ずかしく参加は出来ない。

 そこで電車内でスマホに熱中の方を、スマホでスケッチしてみた。案の定、スマホでスケッチなどしているとは思わぬのだろう、誰にも気付かれずに描いたのがこのスケッチ。


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神田と池袋の古本まつりで入手 [読書・言葉備忘録]

furuhoniti_1.jpg 昨年秋は大島暮らしゆえ〝秋の古本まつり〟へは行けなかった。今年はまず〝池袋西口古本まつり〟へ。読みたい本が少なく、代わりに〝文鎮〟を買った。〝文鎮蒐集〟が趣味になりそう。〝神田古本まつり〟へも自転車で行った。最初は端から数軒でビニール袋の限界で、後日にディバッグを背負って行った。購入本は以下の通り。

<江戸系>●北小路健『古文書の面白さ』(1984年刊、880円⇒300円)。古文書講座を受講する身。これは読んでみたかった。即、読了。

●中村幸彦校注『東海道中膝栗毛』(日本古典文学全集、1982年第10版、2600円⇒1000円)。小学館や岩波書店の古典文学全集は高田場場の古本街のあの店この店にあったが急に姿を消していた。ブログ「狂歌入東海道」シリーズでは図書館で何度も借りた(2週間で1度返却する規定)。この〝記念写真〟を撮る前に早くも書棚に収まってしまった。

●麻生磯次『芭蕉物語』(上・中・下巻、1975年刊、各1200円が3巻で1500円)。著者校注の岩波古典文学全集『東海道中膝栗毛』も早稲田古本街になく(神田にはあった)、結局、岩波文庫の上・下巻を紀伊国屋書店で購入。そんな経緯があって氏の『芭蕉物語』3巻にすっと手が伸びた。

●綿谷雪『考証 東海道五十三次』(1974年・昭和49年の刊、980円⇒500円)。ムック本とは違って入念・確かな考証が頼もしい東海道本。ブログ「狂歌入東海道」シリーズの最初から欲しかった。

●谷峯蔵『写楽新考 写楽は京伝だった』(文春、昭和56年刊、4000円⇒2000円)。〝山東京伝〟好きゆえに手が出た。実は同著者の4年後の毎日新聞社刊『写楽はやはり京伝だ』を所蔵している。ここでは前著にはない耳の筆癖、口や唇の得意な描写が京伝と共通していると指摘。いい機会ゆえ両著を併せ読んでみましょう。

<美術系>●ジル・ネル『ルノワール』片手では持てない重量の大型超豪華画集。定価不明⇒1500円。国立新美術館「ルノワール展」を観たので、いい画集が欲しかった。

●福永武彦『ゴーギャンの世界』(1961年刊、700円⇒500円)これも都美術館の「ゴッホとゴーギャン展」を観たので購入。

●圀府寺司『ファン・ゴッホ~自然と宗教の闘争』(2009年刊、4000年⇒1800円)。上記と同じ理由。美術展会場で画集、関連書を求めるのもいいが、後に古本探しをするのも愉しい。

<その他>●田中裕『ヘルマン・ヘッセ人生の深き味わい』(1997年刊1500円⇒300円)。子供時代にヘッセを読み、中年になって『庭仕事の愉しみ』を読み、隠居して水彩画家・ヘッセに興味を持った。

●ノンフィクションはやはり佐野眞一だと思っているが、氏の『沖縄 だれにも書かれなかった戦後史』(2008年刊、1900円⇒500円)は未読ゆえ購入。

 ※ちなみに「神田古本まつりで買った本」で検索したら、皆さん、なかなかいい掘り出し物をゲットされていらっしゃる。来年はもっと丹念に探しましょ。


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毒吸出器を購入 [週末大島暮し]

dokusuitoriki_1.jpg 先週末に大島へ行った友人より電話。「庭が茫々だぞ」。庭仕事へ行かねばと思っていたが「酷暑続き・冬到来」で行く機会を逸した。しかし行く準備はしていた。

 ウチの近所に昔「日テレゴルフガーデン」なる打ちっぱなしがあった。若い時分はよく通ったが、今は「新宿イーストサイドスクエア」なる巨大オフィスビル。その東裏にアウトドアの「A&Fカントリー本店」があった。過日ふらっと入って「THE EXTRACTOR(エクストラクター)を買った。毒の吸い取り器なり。

 「毒吸取器はアウトドア愛好者の必需品」なる文を読んだ記憶がある。今夏はテレビで〝スズメバチ特集〟が多かった。大島ロッジは二度も巣を作られた。大島では「これしきの事で役場や警察へ泣きつけない」。

 二階ベランダ上の軒下に28㎝ほどの巣があった時は、夜間は活動停止と勝手に判断し、深夜にゴミ袋持参で忍び寄り一気に被せ取った。二度目は玄関軒下の巣は15㎝ほど。造り出したばかりか。部屋内より数ミリの隙間からジェット噴射の殺虫剤を吹きつけた。弱った頃を見計らい、外から長い棒で突っつき落とし、再び部屋の中からジェット噴射で退治。

 スズメバチの他にも毒虫がいる。ムカデに二度刺されて悶絶した。椿の島ゆえチャドクガもいる。マムシもいる。島ではアウトドア用品ではなく生活必需品だろう。店員が「私の母は千葉ですがハチに刺されました。この製品は片手で吸出しが出来ますからお薦めです」。

 どういう仕組みなのか、注射器とは逆で押し込むと傷口がギュッと吸引される。傷によって「吸引カップ」大小各種、毛深い個所がやられた際の毛を剃る剃刀までセットされた優れ物。皮膚が盛り上がって吸引したら虫の場合は60~90秒、ヘビは3分ほどで毒を吸い出すらしい。むろん、そんな目に遭わないことが何より。

 東京でも、隣に変な人が住み出して身の危険を感じることあり。こんな物は遣いたくないが用心のために〝暴漢撃退スプレー〟を用意した。島も都会もサバイバルです。 


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〝スマホの文鎮〟と〝文房清玩〟 [暮らしの手帖]

buntin1_1.jpg スマホ、タブレットが固まることを〝文鎮(化)〟と云うらしい。「iPhone」の「メモの手描き」が〝文鎮化〟した間に「池袋西口古本まつり」へ行った。書道系書籍の山に〝文鎮〟を見つけた。十二支の動物彫刻付き文鎮群。申年(猿)を探すもなくて、酉(鶏)を買った。

 家に戻って机に文鎮を置くと、妙に机上が落ち着いた。佇まいが出来たようで〝文鎮恐るべし〟と思った。今までの文鎮は味気ない「習字セットの金属棒」と「新潟土産の角ガラス」。調べものをする際に、何冊もの頁を開いたままにする場合が多く、以前から〝文鎮不足〟を感じていた。

 再び自転車を駆って「古本まつり」へ。さらに二つの文鎮「虎と牛」を買った。味気ない金属棒と角ガラスを破棄して、江戸っぽい文鎮を揃えたいと思った。仕事一途=PC駆使から、隠居後にアナログ世界が少し広がった。古文書のお勉強〝筆写〟で毛筆を使うようになり、絵を描き始めて水彩(透明・不透明)各種用具、ボールペン、万年筆などが徐々に増えて来た。

 〝文房清玩〟は文房(書斎)で清玩(清く遊ぶ)の意らしい。〝文房四宝〟は墨・硯・筆・紙。裕福な文人ならば、高価な文房具を愛でるのだろうが、小生は貧乏隠居ゆえ、万年筆は一本四千円の色違い「ラミーサファリ」(黒・黄・赤・青のボディ)四本で、筆ペンは「ゼブラ毛筆・硬筆」。筆置きは箸置き、ボールペンは百円ほどで、絵筆はほどほどがいい。

 すべて安物だが〝お気に入り〟に定まるまでは紆余曲折。ボールペンは40種を試み、万年筆は〝ペン先が鉄〟ゆえ、四本それぞれ違った書き味になるよう入念に砥いだ。黒インクは三種遍歴で定まった。そこに新たな文鎮群。文鎮を持つとその重さが何とも心地よく、思わずニンマリしてしまう。

 デジタル世代の虎年生まれの息子が遊びに来た時に〝虎の文鎮〟をあげたら、机がちょっと淋しくなってしまった。江戸っぽい文鎮を揃えるべく、ハタと気付いて<青空骨董市で「文鎮蒐集」>をしてみようと思い付いた。花園神社、護国寺境内、代々木公園の欅並木へと、いざ出動です。


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iPhone手描きが〝文鎮化〟 [暮らしの手帖]

kyakuhiki_1.jpg 「iPhone」の〝手描き〟にハマったと記したが、面白いことはそうそう(然う然う)続かない。保永堂版の「御油(旅人留女)」の絵が面白かったので、それを描いてみようと思った。こんな感じの凄まじい客引きで、気の弱い小生は江戸時代の東海道は歩けそうもない。

 ご覧の通り上手に描ぬゆえ、より上手にと再トライ。画面をピンチアウト(拡大)して細部を描いていたら、なんと絵が固まってしまった。押しても、擦っても、叩いても、ウンともスンとも動かない。スマホを手にして十日足らずで早くも故障か。メーカー窓口に持ち込む他はなかろう。

 スマホが固まった数日後に、思い切ってAppleサービス窓口へ電話をした。相談しつつ己のスマホの「メモ」をタップすれば、なんということでしょう、あれほど頑固に固まっていた画面が消えていたじゃないか。どうやら過負荷が原因で、デジタル内部で勝手に時間をかけて問題を処理したらしい。

 スマホで絵を描く時は〝固まらない〟ように簡略の線・色に限るのだろう。スマホやタブレットが固まることを〝文鎮・文鎮化〟と云うそうな。そんな言葉を知らぬまま、スマホが文鎮化した間に「池袋西口古本まつり」へ行った。読みたい本は少なかったが、毛筆系書籍の間に埋もれていた〝文鎮〟を買った。

 家に戻って文鎮を机へ置けば、妙に定まった。机の佇まいが整った~とでも云うのだろうか。えらく気に入って、また新たな文鎮を買いに行った。(続く)


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京・内裏「おもい立さは先よしといそ五十路~」 [狂歌入東海道]

56dairi_1.jpg 保永堂版最後は「三条大橋之図」だが、「狂歌入東海道」第五十六作目「大尾(たいび=最後)」として「内裏(だいり)」が描かれている。狂歌は「おもい立さは先よしといそ五十路こえてみやこをけふはつの空」。

 ボストン美術館は「おもい立さ〝い〟」だが、「おもい立さ〝ハ(ば)〟」だろう。さらに同美術館は「けふみつの空」。〝ミ〟と〝者のくずし字=は〟が似ていて「ミ・は」を迷ったが、筆運びから推測すれば「は」ではなかろうか。「けふはつの空」。〝ミ〟ならば「けふミつの空」で「今日見た空」。「いそ=数多い」。とりあえずこう解釈しておく。最後まで狂歌解釈に惑わされました。

 さて広重は何故に「内裏」まで描いたのだろう。「内裏」は京都御所。平安京ではなく江戸後期の「内裏」を調べれば、なんと松平定信が復元し、その形が今に至っていると知って、思わず声を上げてしまった。

56dairiuta_1.jpg56dairiup_1.jpg 定信と云えば〝寛政の改革〟。浅間山噴火を端にした天明大飢饉で、江戸は緊縮財政・風紀取締。それが恋川春町を自刃に追い込み、山東京伝が手鎖五十日の刑、蔦重が財産半分没収の刑など。その最中に定信は京都・天明大火で焼失の内裏を、しかも平安京の形式で復元したと!江戸の庶民文化を締め付けた「寛政の改革」の一方でそんな大事業をしていたとは。改めて松平定信をお勉強してみよう。また広重が「内裏」を描いたのは「八朔御馬献上」帯同で内裏へ入ったゆえ、と推測したがいかがだろうか。

 数年前の「池袋西口古本まつり」で朽ちた五十六枚綴りの「狂歌入東海道」を入手し、その〝狂歌(くずし字)〟解読をと軽い気持ちで始めたら、四カ月余も要してしまった。

 当初は酷暑をさけて冷房部屋でお遊びの積りだったが、早や秋は過ぎて冬を迎えつつある。その間に「古文書講座」受講もあった。ケツから何かを突っ込まれてポリープを二度に渡って取った。〝長かったなぁ〟と思いますが、十返舎一九は『東海道中膝栗毛』は八編十七冊で完も、弥次喜多らの道中記は二十年余(三十八歳の初編から五十八歳の十二編完)も書き続けた。それを思えば四カ月は僅かなもの。

 これにて「狂歌東海道」シリーズ終了です。狂歌の解読・解釈、また机上の東海道五十三次で記述誤りも多かったと思います。なお参考資料は「日本橋」の項に列挙しました。終盤に入手の本も多く、例えば『東海道中膝栗毛』校注の麻生磯次著の『芭蕉物語』(上・中・下巻)を神田の古本市で入手。広重、一九に加えて芭蕉と共に東海道を歩くことも出来たかなとも思います。気が向いた加筆、修正して行きます。


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京・三条大橋「鳴神の音にきこえし大橋は~」 [狂歌入東海道]

55kyouohhasi_1.jpg 第五十五作目は「京・三条大橋ノ図」。狂歌は「鳴神の音にきこえし大橋は雲の上ふむこゝちこそすれ」。柿本人麻呂「鳴神の音のみ~」と同じく〝なるかみ〟と読むのだろう。

 この狂歌入東海道の「三条大橋」は真正面からで、江戸出立「日本橋」は真横から描かれた図。比して保永堂版の「三条大橋」は横から、「日本橋」は真正面からの図。広重さん、細かく気を遣っています。

 三条大橋へ至る前に「粟田口刑場跡」あり。約一万五千人が処刑されたとか。明智光秀の遺体も晒された。大きな町の街道外れには概ね刑場あり。品川の「鈴ヶ森刑場」、日光街道の千住「小塚原刑場」、中山道の大宮「小原刑場」など。治安維持の見せしめとはいえ残酷なり。

55sanjyouuta_1.jpg さて、弥次喜多らも伊勢詣り後に京に入っているはずだが~。彼らは奈良海道を経て伏見まで来たが、京へ入らずに大阪への下り船に乗ってしまう。鉄道開通の明治十年まで三十石客船が稼働。だが伏見~大阪間で大雨に遭って接岸。その待機中に小便で上陸。再び乗船の混雑で、間違えて上り船に乗ってしまう。伏見に戻った彼らは御所仕えらしき女らに三条大橋への道を訊ねるも、馬鹿にされたか〝五条の橋〟を教えられる。

 結局〝五条の遊所〟に上がってしまう。喜多さん、コトが済んだ後で、相方が彼の着物で男装して逃亡。逃がしたと迫られて褌一つで放り出された。その後で〝三条の宿〟で一泊するも、彼らに京は向いていなかったか。〝雲の上ふむこゝちこそすれ〟とまで詠まれた三条大橋の感慨を一言も記さずに大阪へ行ってしまう。

 〝五条の遊所〟とは。ここは五、六年前(2010年に摘発・閉鎖)まで鴨川の「五条大橋~七条橋」右岸は庶民相手の遊所(遊郭~五条新町~赤線~五条楽園)があったそうな。今も遊郭風建物、赤線カフェ風建物が数多く残っているらしい。お上品な京都だが、やはり〝悪所〟は欠かせなかったのだろう。

 かくして『東海道中膝栗毛』の〆はなんとも歯切れが悪い。京からの道中ならば、日本橋に立たずに内藤新宿か品川宿で遊びまわって終わり、みたいな感じ。十返舎一九は二十年も書き続けてキレを失ったか、未練一杯で引き延ばしたか。

 それでも現・三条大橋の橋詰めには〝弥次さん喜多さんの銅像〟が建っている。その点は広重の方が華麗に「三条大橋」で〆ている。おっと、まだ一作「京・内裏」があった。


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大津「君が代のたからを積みて門出の~」 [狂歌入東海道]

54ohtu_1.jpg 第五十四作目は「大津」。狂歌は「君が代のたからを積みて門出(かどいで)の仕合(しあわせ)よしといさむうしかひ」。漢字に〝読み〟を入れたが、これで正しいだろうか。「仕合よし」は古語辞典で〝事の次第よし・なりゆきよし〟。同時に荷馬の腹当てに染め抜いた語(丸に〝仕合〟や〝吉〟など)。掛詞だな。広重の絵をよく探せば、荷馬に腹当てにそれら文字入りの絵もあった。

 草津宿から「瀬田の唐橋」を渡ると、右に琵琶湖の広がりが見える。湖沿いに歩くと膳所城跡の先が「矢橋」からの船着き場。絵はここを描いたのだろう。大津宿は物流要所で本陣二軒、脇本陣一軒、旅籠七十一軒。

 芭蕉は湖水東岸を見て「辛崎の松は花より朧にて」と詠んだ。松が朧に見える趣を「朧かな」と言い切らず、余韻を残すべく「朧にて」とした。広重は「近江八景」で〝唐崎の松の朧〟を描いている。

54ohtuuta_1.jpg 大津には芭蕉の墓、膳所・義仲寺がある。「おくのほそ道」の旅を終えた芭蕉は、西(故郷の伊賀、畿内、京)で過ごす事が多くなった。元禄七年に御堂筋「花屋仁左衛門」の離れで永眠。舟で伏見まで下って義仲寺に埋葬された。同寺〝無名庵〟が元禄二年頃からの拠点で、門人によって新築されていた。辞世は「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」。

 本陣は「礼の辻」を左折した辺り。その一画に「大津絵」を売る店あり。「東海道名所図会」に店の様子が描かれている。横井也有『鶉衣』の一文を思い出した。「鳥羽絵(漫画)の男は痩せてさびしく、大津絵の若衆は肥えて哀れなり」。大津絵は旅土産(民画)。今も五代目が三井寺参道で店を出しているらしい。

 芭蕉「大津絵の筆のはじめや何仏」。正月に名句が浮かばず、大津絵では年初めにどんな仏を描いているのだろう」と詠った。当時(元禄)の大津絵は阿弥陀、三尊仏、十三仏など仏画のみ。その粗雑な筆致が俳諧の可笑味と共通なるものありと感じていたそうな。(麻生磯次『芭蕉物語』参考)。

 宿場を出ると「走井茶屋」へ。保永堂版は「大津・走井茶屋」。店前の街道を牛馬の列が描かれてい、冒頭の狂歌「勇む牛飼い」がここで登場する。大津~京都間は、物資運搬の牛馬のために「車石」が敷かれていた。その絵の左に「名水・走井」も描かれている。名物は「名水(走井)餅」。ここで餅を食ったら、京は目前なり。


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草津「たのしみの日数かさねて春雨に~」 [狂歌入東海道]

53kusatu_1.jpg 第五十三作目は「草津」。狂歌は「たのしみの日数かさねて春雨にめぐむ草津の旅の道芝」。変体仮名は「可=か、年=ね、亭=て、耳=に」。

 草津宿は中山道との分岐・合流の追分あり。本陣二軒、脇本陣二軒、総戸数五百八十六軒の約三割が旅籠だったとか。弘化三年頃に建造の田中七兵衛門本陣が復元されて(国史跡に選定)一般公開。江戸時代末から続く旅籠「野村屋」、大田道灌の祖先「大田酒造」等あり。

 絵に名物「うばもちや」の看板の茶屋が描かれている。同店は現・国道一号線に店があるそうだが、昔は宿場を出た矢橋道への分岐角にあった。保永堂版「草津・名物立場」も同店が正面から描かれている。

53kusatuita_1.jpg 絵の看板は「うばもちや」だが、それを説明する文は「うばがもちや」と〝が〟が入っている。「うばが餅、姥が餅」。あんころ餅の天辺に小さな白餡がちょこんと乗って〝乳房風〟。近江源氏某の幼児を育てた乳母の乳房。家康、芭蕉、近松門左衛門も食べたとか。

 さて矢橋道から約3㌔ほど北上すると矢橋船着場。琵琶湖を渡って大津への早道だが「もののふの矢橋の船は速いけれど急がば回れ瀬田の長橋(勢田橋、唐橋、臥竜橋。長さ260㍍)」。武士なら船ではなく確実な橋を渡って行け。「急がば回れ」の諺が生まれた地。次の「大津」を経れば、いよいよ京です。


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広重をiPhone6sで遊ぶ [狂歌入東海道]

ukiyoezensin_1.jpg 7月1日に軽い気持ちで始めた「狂歌入東海道」の〝狂歌・くずし字〟遊びだが、丸四ヶ月を過ぎたのに、未だ京に辿り着けない。その間に私事はさまざま。その一つは〝ガラゲーをスマホ〟に換えたこと。

 ツイッターとかインスタグラムとか、スマホでゲームや音楽にも興味はなし。だが街に出れば、電車に乗れば、まぁ全員とは言えぬも人々はスマホで〝何か〟をしている異様な光景が展開。未だ満足にしゃべれない孫までもが親のスマホをタップ、スワイプする見事な手つきよ。

 「そろそろ換え時かなぁ」。当ブログへのアクセスもスマホからの閲覧が増えた。パソコン想定の長文ブログは、スマホではどう見えるのだろうか。そんな話を息子に言えば「iPhone6s」&格安セッティングをしてくれた。

 で<ハマっちゃったんです> スマホの電話操作を覚える前に〝スマホで絵を描くこと〟に。専用アプリではなく「メモ」の手描き、「写真」のマークアップ、「メール」のフリーハンドそれぞれに違った機能で〝お絵描き〟が出来る。

 iPhone6sの液晶画面は4.7㌅。横幅が指三、四本分。その小さな画面に太い人差指を擦れば、0.5㍉ほどの線が描ける。指のどの辺から線が出て来るか予測不能。そのままならぬ結果が〝ヘタウマ風な絵〟または〝絵葉書風な絵〟を生む。思惑外れ、ズレ効果の線が面白かった。

kataguruma5_1_1.jpg だが指では余りに塩梅が悪く、ビッグカメラでタッチペン2種を買ったが、使いものにならず。近所のドンキで別の2種を入手。580円の固い6㍉程のラバー製ペンがなんとか使えた。6㍉丸ペン先から0.5㍉ほどの線で、多少は精度向上だが、あのズレ感は失われない。

 調べれば「スマホ」用〝お絵描きアプリ〟もある。さらに「iPad+Applepencil」の組み合わせもあり、本格的には「ペンタブレット+PC」でアニメ作家や漫画家らのようにデジタルお絵描きの世界へと広がるらしい。

 だがそこまで行くと、あの〝ままならぬ・まどろっこさ・ズレ感〟は失われる。また小液晶画面ゆえ細かく描けず、勝負は簡略線という点も面白い。当分はコレで遊んでみようと思った。

 「狂歌入東海道」より〝鉢巻きの馬方〟と〝川渡りの肩車〟(当時のご婦人は下着なしゆえ恥ずかしかっただろう)を描いてみた。顔の鼻や眼はピンチアウト(拡大)して勘で描き足した。


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