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そして古希の〝おまさ〟 [スケッチ・美術系]

omasa1.jpg Windows「ペイント」で鬼平、盗賊を描けば〝女隠密・おまさ(梶芽衣子)〟も描きたくなった。「ペイント」三回目で、少し慣れてきた。

 しかし年増密偵の艶を発揮の〝おまさ〟だったが、描いているうちに婆ぁになってしまった。それも過日放映の最後の「鬼平犯科帳」テレビ放映のためだろうか。中村吉右衛門〝鬼平〟をはじめレギュラー出演陣の、まぁ歳を召されたことよ。声が出ない、声と肌に艶がない。無理をしてはいけません。

 ちなみに彼らの年齢を調べてみた。全編(27年間)出演の〝おまさ〟は、なんと古希を迎えるとか。昭和22年、神田生れ。おや、新宿生まれの我がかかぁと同年だ。吉右衛門が昭和19年、麹町生まれ。あたしと同い年だった。

 同年生まれの粂八(蟹江敬三、江戸川区生まれ)は3年前の69歳で亡くなった。昭和24年、中央区生まれの彦十(江戸屋猫八)も、昭和10年生れの筆頭与力・佐嶋(高橋悦史)もこの世にはいない。

 昭和20年、東京生まれの大滝の五郎蔵(綿引勝彦)は大病を克服して頑張ってい、与力仲間から〝いじられ役〟の若い木村忠吾(尾美としのり、目黒区出身)にして51歳。もう〝いじられ役〟は似合わない。

 それにしても、東京生まれの俳優陣がよく揃っていた。東京弁が自然に使える方々ばかりだったが、今はそれも望めぬ時代だろう。東京生まれは東京在住者の半分にも満たないとか。芸人も電波・活字媒体関係者も然り。小生は新宿・大久保在住だが、街をすれ違う人々の言葉は外国語も多い。

 振り返れば小学生時分は、教室の後ろまで机がビッシリで1クラス5、60名。それが1学年で10組まであって、当然ながら全員が東京生まれだった。東京の人口は2050年まで増え続けて1398万人へ。一方、日本の総人口は今年秋で1億2692万人。前年より16万人減で、すでに減少傾向が始まっていて、約100年後には僅か4286万人(将来推計人口)になるらしい。

 〝おまさ〟をWindowsで描きつつ、東京いや日本の明日は、どう変化してゆくのだろうと思った。


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甲州街道端の店に盗賊忍入 [くずし字入門]

komon3-1_1.jpg 古文書講座復習6 ブログ絵に〝盗賊〟を描いた次は、古文書も盗賊文書です。襲われたのは甲州街道端の荒物屋。

 乍恐以書付御訴奉申上候 角筈村源助店(だな)六左衛門奉申上候、私義、甲州道中往還端(おうかんばた)二而(にて)木綿荒物類商売仕罷在(つかまつりまかりあり=つかまかりあり?)候処、先月廿八日夜、表口戸押明ケ(おしあけ)盗賊忍入(しのびいり)、見勢(みせ)へ差置(さしおき)候売物・銭ともに被盗取(ぬすみとられ)候品。左之通り 一 桟留縞反物 四反 一 木綿切 弐十程 一 さし足袋 四足程 一 雪駄 四足 一 銭六貫九百文 箱二入 〆五品

 文は続くが、ここで区切る。「往還端」はちょいといい響きだ。「大川端」は隅田川の右岸。浅草・吾妻橋~浜町辺り。「井戸端」も懐かしい。「池の端の師匠」と云えば故・柳屋三亀松師匠。上野・不忍池に面した地。「往還」は往来する道。往還端=街道端。五街道以外は「腋往還」。

 ン十年も馴染の印刷屋は山手線「田端」駅近く。駅改札口は道灌山台地端で、エスカレーターで下ったホームが崖下になる。一方、荒川・隅田川沿いの低地から見れば低地際。両側から見ても〝田端〟か。江戸名所図会通りの地形がそのまま今も遺っている。

 ここはそんな呑気な話ではなく、恐ろしい強盗の奉申上書。「私義=〝しぎ〟ではなく〝わたくしぎ〟=私の個人的な事で恐縮ですがの謙遜的な意」。単に「義=ぎ」は「こと、=について」。「金子有之義(きんすこれあるぎ)」や窃盗犯の名の後に付く「義」は「~について」の意。「差置(さしおき)」はいろいろ解釈されているが、差=接頭語ゆえ〝置いた〟の意でいいだろう。他に難しい言葉もないから、ここは「くずし字」の練習のみ。(続く)


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鬼平を描けば盗賊も~ [スケッチ・美術系]

touzokuhaikei.jpg Windows「ペイント」がちょっと面白くなって来た。今回は「油絵風+背景」を試みた。背景は「ペンキマーク」を右クリック。色を選ぶ。ペンキマークが背景位置にあるのを確認して左クリック。これで塗り潰される。取り消しは右クリック。

 きれいには切り抜けないから、輪郭周辺は同色の〝筆〟で塗り残しを潰して行く。(右か左クリックかを間違えて記したかも知れぬが、やってみればわかる)。

 背景色の上から、さらに別の色を乗せられる。また油絵風は、きりがなく筆を加えたくなってくるが、これはデジタルゆえ適当に止めるのがいいだろう。

 ここまで描いてサイズが「73.1KB」と云うのは、どういうワケだろうか。サイズダウンしなくてもブログアップできる小容量。描く前の設定がいけないのだろうか。

 すでにWacom社の「Intuos(インティオス)Art medium」を初期設定済だが、まだWindows「ペイント」で遊んでみたい。エアブラシ、クレヨン、マーカー、水彩も試し、静物や風景も描いてみたい。


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鬼平・志ん生・荷風と絵 [スケッチ・美術系]

onihe2kaime.jpg もう少しWindows「ペイント」に慣れようと、再び中村吉右衛門の〝鬼平〟を描いてみた。似る似ないより「ペイント」使いに慣れること。

 池波正太郎『鬼平犯科帳』を読み始めたのは何時からだろう。ちょっと仕事に、生きることに倦み始めた五十代の頃か。

 これはかかぁも夢中になって、次から次へと読んでいって、文庫本すべてを揃えた。あたしは一回読めばいいのだが、かかぁは繰り返し読んでいる。中村吉右衛門のテレビ〝鬼平〟も繰り返し観ている。

 そんな歳になってくると永井荷風も読みたくなってくるらしい。早稲田の古本街で全集を購った。駄句を始めたのも荷風句を真似たくてのこと。荷風全集は今も本棚から引っ張り出して読んでいる。

 晩年になると「古今亭志ん生、志ん朝」の落語が聴きたくなってくると誰かが言っていた。随分と前に「志ん朝」のカセット全集を購い、志ん生はダビングで揃えたが、目下のところまだ聴きたいとは思わない。

 一昨年から絵を描き始めた。ヘタなりに面白い。動けなくなったらベッドの上で荷風を読み返し、志ん朝を聴き、絵を描いているかもしれない。そのためにも、絵はもうすこし上手にスラスラと描けるようになっていたい。むろん、そんな時は〝デジタルお絵描き〟ではなくクロッキー帖に鉛筆、ペン、水彩だろうなと思っている。 


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クロッキー帖、二年目へ [暮らしの手帖]

croquis1_1.jpg 小生の〝ブログ絵〟を見た友人が、キングジムの「ショットノート」に描いてiPhoneで撮る(歪みなく撮れる)・管理する法をアドバイスしてくれた。すでに小生は今年初めからマルマン「CROQUIS」(SSサイズ、218×255)を手帳・メモ・簡単スケッチ用に使い始めてい、この年末で二冊共一杯になった。

 各百枚で、裏頁を使うことも多く、二冊で概ね三百頁が埋まった。二冊の使い分けは成り行き任せ。一冊は途中から「狂歌入東海道」のメモ帖になり、最終五十六作「内裏」までの調べメモがビッシリ続き、最後は「古文書講座」ノートになった。

 もう一冊はスケッチ他。北斎絵本『踊独稽古』の褌姿の〝悪玉おどり〟を女性に変えたシリーズをはじめ、ブログ絵になったものが多い。最後は「iPhone」の使い方メモ。ブログ絵にする場合は、一眼レフで撮ってPC上で編集(平行やトリミング、色の調子)してサイズダウンでブログアップ。元写真はCDRで保存管理。

 先日、四谷図書館へ行ったら『手帳で楽しむスケッチイラスト』なる書あり。手帳達人?らそれぞれがアイデアを紹介していた。クロッキー帖から手帳に換えた方もいたが、小生は描かぬ日あり、日に何頁も書く場合があって「日付け入り手帳」は向かない。

 他の方のアイデアで、描いた隅に「日付スタンプ」を捺すと言うのがあった。「これは良い」と、さっそく高田馬場の竹宝商会でシャチハタの回転ゴム印1450円を買った。

 手帳にスクラップ派の人も多かった。小生も十返舎一九の年表、美術展半券、幾つかの領収書などを貼っている。次に凝った方の例。フリクションペン(描き・消える)で下書き、そしてペン入り。それをデジタル・スキャンしてフォトショップで彩色。これはもうプロの領域。

 次に人物、風景などジャンル別に手帳を使い分けている方もいた。これも〝一考〟したい。小生の机辺にはすでに新クロッキー帖が四冊スタンばっている。一冊は早くも〝デジタルお絵描き〟の使い勝手メモ用になっている。

 また若い時分は縁のなかった病院だが、この歳になって病院へ行く回数も増えた。〝老体維持・管理帖〟なんてぇのが必要かも。病院はやたらと紙発行ゆえ、クリッピングのし易い一回り大きいSMサイズ(308×255)がいいかもしれない。さて、来年のクロッキー帖はどんな内容で埋まるだろうか。


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鬼平と流刑と大島と [くずし字入門]

komon2-2_1.jpghatakekazai1_1_1.jpg 古文書講座復習5 遂に鬼平が遠島を仰せ付ける文書が教材になった。江戸の流人は当然のこと伊豆諸島へ。伊豆大島が流人御免になったのは寛政8年。それ以降の遠島は概ね三宅島、新島、八丈島になった。

 この文書は寛政5年ゆえ、遠島先は大島だったかも知れない。だが大島は幾度も大火に遭って、古文書類焼失で「流人」記録は残っていない。さて、以下文書の「留五郎」はどの島に流されたのだろうか。

乍恐以書付奉申上候 豊島郡角筈村名主・組頭・百姓代奉申上候、當村百姓留五郎義、先達而(せんだって)長谷川平蔵様於御役所(お役所において)遠島被仰付(おおせつけられ)候二付、家財闕所(かざいけっしょ=付加刑で家財没収)二被仰付候二付、此度畑屋敷家財望人有之(望む人これ有る)候ハゝ入札可仕旨(つかまつるべくむね)、御触御座候、右畑屋敷土地悪敷(あしき)、村方望人無(のぞむ人なく)御座候、依之(これにより)別紙直段附二而(ねだんつけにて)村引請二被仰付(むらひきうけにおおせつけられ)被告下置く(くだしおかれ)候ハゝ、御請可(おうけるべく)奉申上候、何分右之段御聞済(おききずみ)被成下(なしくだされ)候様奉願上候、以上。

 上記筆写の「畑屋敷家財」の所、「家」の字が抜けた。「敷」と「家」のくずし字がちょっと似ていたためのミス。その原文部分を写真で紹介。ここから解読するのだから、いかに大変かが分かっていただけよう。〝別帋〟は紙の異体字〝帋〟です。なお講師説明では、留五郎の畑屋敷を望む者はなく、角筈村が合計一両二分で買い取ることになり、留五郎が属していた組合の者三名が同額を上納したそうな。


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Windows「ペイント」で鬼平を描く [スケッチ・美術系]

onihei10.jpg 古文書講座復習で長谷川平蔵が出てきた。目下は「デジタルお絵描き」模索中ゆえ、Windowsの標準装備アプリ「ペイント」でテレビの〝鬼平〟を描いてみた。

 Windowsをン十年も使っていながら〝描く〟ことの興味なしだったゆえ、標準アプリで絵が描けるとは思わなかった。スタート画面から「アプリ一覧」表示で〝丸いパレット〟マークの「ペイント」アイコンを、デスクトップに貼り付けた。

 現PCはWindows8.1。「ペイント」の筆はブラシ、カリグラフィ・ブラシ1と2、エアブラシ、油絵ブラシ、クレヨン、マーカー、鉛筆、水彩ブラシと多彩。線の太さは4種。図形を描く機能もある。

 早速マウスを動かしてみた。線がブルブルと揺れる。これが「ペイント」の最大特徴か。比して「iPhone」の液晶に描く場合は、線がどこから出て来るか予測不能で、思い通りに描けずに〝ヘタウマ〟風な絵になるのが特徴(魅力)。

 要領がまったくわからぬまま、手探りで描いてみる。まず「鉛筆・黒・最細」でアタリを描く。線が太く灰色でぼやけている。似せて描くのを諦めて、いろいろと試しつつ描いた。こりゃ、慣れるまで幾度も描かないとダメだろう。保存後に「ブラシ・最細・黒」がミリペンのような極細線が描けると知って描き加えてみた。まぁ、ブルブルと震えることよ。

 また同イラストを「jpg」で取り込んで、サイズダウンすれば、本当にボケて汚くなった。まぁ、これにてiPhoneもWindowsも〝お絵描き機器・ソフト〟なしでも絵が描けることがわかった。すでに「Intuos Art」入手済だが、やはり絵は手で描く方がいいような気になってきた。


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長谷川平蔵様江御引渡二相成候 [くずし字入門]

komon2-1_1.jpg 古文書講座復習4 講師は今の日本人が最も日本語を知らないと言った。受講者全員が首をすくめた。そう江戸・明治の子らは漢籍の素読をしていた。

 ちなみに荷風の場合を調べれば、明治22年に小日向の黒田小学校尋常科4年を卒業後、同じく小石川・竹早町の東京府立師範付属小に入学し、その帰途に儒学者某の許に立ち寄って「大学」「中庸」をあげていた。

 過日の神田古本まつりで購入した北小路健『古文書の面白さ』(新潮選書)を読んだが、著者は大正2年生れで、満5歳の誕生日から小学校卒業まで父より「四書」(「大学」「中庸」「論語」「孟子」)の素読を受けたと記していた。もうボケ始めた小生だが、昔の日本人に少しでも近づこうと古文書講座復習を続ける。

 乍恐(恐れながら)以書付(かきつけをもって)御訴(おうったえ)奉申上(もうしあげたてまつり)候 一(ひとつ) 豊嶋郡角筈村名主・年寄申上候(まず最初に誰が申しているかを記す)、私共并外六名、今廿九日太田運八郎様御役所江、被召出候処(めしいだされ候ところ)、其村二而(て)當正月中被召捕(めしとられ)候入牢人共、此度、長谷川平蔵様江御引渡二相成候間、右御役所江可相廻旨(あいまわすべくむね)被仰渡(おおせわたらせ)候二付、罷出(まかりいで)候所、右壱件當御役所御懸(おかか)り二相成候旨被仰渡(おおせわたらせ)候、依之(これによって)右之段御届ケ奉申上候、以上。(以下略)

 召し捕られて入牢していたのは、角筈村の留五郎ら。同家で二度も賽博打をしてい、角筈村は留五郎外四名、中野村の者三人が捕まっていた。この文書は寛政5年のもの。〝寛政の改革〟でとりわけ取り締まりが厳しかったのだろう。

 長谷川平蔵が出てきた。この講座会場・新宿歴史博物館から新宿通りを横断して向こう側の谷を下った辺り、須賀町・戒行寺が長谷川家の菩提寺。「長谷川平蔵供養碑」がある。長谷川家三代の墓があったそうだが今は行方不明。杉並・堀之内の妙法寺の北側隣接に戒行寺墓地を移転した際に、親族連絡なしで無縁仏にばって埋もれているという説もある。


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デジタルお絵描きの保存ファイルは? [スケッチ・美術系]

sumahotabi_1.jpeg 久し振りにiPhone6sの「メモ・手描き」で絵を描いた。PCへ送信したら、今までは「jpg」ファイルから「png」になってい、その画像をクリックすれば中国語風文字バケ画面になった。

 今までは「メモ・手描き」と「写真・マークアップ」で描いた絵は「jpg」で、「メール・手描き」のみ「png」。それでもPC上で簡単に「jpg」変換し、容量を少なくしてブログアップ。これらが簡単に出来たのだが、すべてが叶わなくなった。

 「あぁ、もうスマホで絵は描けねぇや」。この辺の事情を知るべく某ショップへ電話。「それはGmailの問題だからGoogleに訊いて下さい」とそっけない。次に「Appleサポート」へ電話。「難しそうですから〝Apple Stor〟で直接相談されたら~」。

 「いいねぇ、あたしは新宿だが最寄り店は」。「実はこの電話、北海道で受けていまして、私に土地勘がありませんが~」に思わず笑った。昨今のコールセンターが繋がる先はどこだがわからない。英語圏なら繋がった先が外国の場合もあろう。

 札幌在住らしきお嬢さん?は銀座・渋谷・青山3店舗のうち、渋谷店の予約が取れましたと親身な対応。改めてiPhone6sの領収書66,744円を見れば「Apple Shibuya」で、息子がコレを買ってくれたショップじゃないか。

 すべては「Gmail」の「ネットワークリクエストはタイムアウトになりました」で、リセットしてからの諸々不具合もあり。それを別にし、担当者になぜに保存ファイルが突然に「png」に変わったのかと質問すれば、担当がベテランらしき女性に代わった。

 まず「Gmail」リセットからの不具合と云えば「設定~メール~アカウント~Gmail」の画面を開いた。そこに「メール・連絡先・カレンダー・メモ」との接続選択画面あり。「Gmail」リセット後に塩梅が悪くなったのはこの四つで〝あぁ連動していたのか〟と納得。

 次が本題。手描き絵をGmailでPCへ送信すると、なぜ突然に「jpg」から「png」になったか。「png」クリックでなぜ文字バケするのか。担当者は送信テストを幾度が試みた後に中座した。どこかで調べていたのだろう。再び現れた時に「jpgとpng」や「Gmail」関連記事がアップされたPC持参で、こう説明してくれた。

 「iPhoneサイドではこの辺の変更を一切していませんから、Gmailサイドがイラスト系を〝png〟に変更されたと推測されます。また画像クリックで文字バケ風画面になるのはイラスト制作過程がバケたものですから気になさらくても大丈夫だと思います。〝png〟はiPhoneでもWindodwsでも使えますから、画像右クリックで「jpg」変換で使えると思います」。

 そして、自身のPCに「png」関連のネット記事をアップさせ「〝png〟はイラスト向きのファイルですから、使いこなしてみてはいかがでしょうか」と言った。

 帰宅後、彼女が見ていた「jpgとpngの違い」や「Gmail」のサイトにアクセス し、幾つかを読んでみた。結論は~写真は「jpg(=JPEG)でもいいが、デジタル制作のイラストは容量が軽くきれいな「png」がよい。「jpg」では容量が重く、かつ容量を少なくした時にノイズまみれで汚くなってしまう。というようなことが記されていた。

 また保存形式は他にも作画ソフトのオリジナル形式、BMP、Photoshop、TIFF、Targaなどがあると知った。だが相変わらず自身のiPhoneからPCへ送信の画像は「png」で、それをクリックすれば文字バケしたような画面で、その先に続かない。かくしてデジタルお絵描きは諦めて、この顛末をクロッキー帖で描いてみた。それを見ていた婆さんが言った。「やっぱりお爺さんに〝デジタルお絵描き〟は無理ですよう」。

 追記:上記をアップ後の電車内でネット検索すれば「JPEG⇒⇚PNG」の無料アプリがあった。ダウンロードすれば、瞬時に望みのファイル形式に変換。画像が文字バケすることもない。これで問題解決。こんなに簡単なことを、誰も教えてはくれなかった。


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為相知候得者(あいしらせそうらえば) [くずし字入門]

komonjyu1-2-3_1.jpg 古文書講習復習3:少しだけ読めるようになった気がするも、新たな教材になれば、また唸り出す。〝覚えては忘れるの繰り返し〟。今回は以前も勉強したはずの「為」のお勉強。

 口上書 昨廿七日、四谷角筈村抱屋敷内(かかえやしきない)、暮時頃見廻二罷出候処、居宅長屋ゟ(より)北之方百間程先、林之中立木二中間体之男、首縊(くびくくり)相果居(あいはており)候二付、相士(あいし=同僚)松下清七付置(つけおき)、屋敷役人大村金右衛門方江、為相知候得者(あいしら〝せ〟そうらえば)、早速罷越、様子見候而念入番人附置申候(ばんにんつけおきもうし候)、尤其節怪敷者(もっともそのせつあやしきもの)も見懸不申(みかけもうさず)、何時何方ゟ参り、首縊相果居候哉、曾而(かつて)不奉存候、此外可申上義無御座候(このほかもうしあげるべき義なくござ候)、以上。

 曾而(かつて=嘗て、嘗て)は、下に打消しの語を伴って「全然、決して。かねて、今まで一度も、ついぞ」。肯定文では「以前、昔」。

 「為」については、吉川弘文館『古文書の読み解き方』を参考に左図を書きまとめた。「為=ため」「為=使役の助動詞、せ・せ・す・する・すれ・せよ」「為=として、為御祝儀(ごしゅうぎとして)」「為=なす、被為仰付(おおせつけなされ)「為=たり、可為曲事(くせごとたるばし)可為遠慮(えんりょたるべし)」など。

tame2_1.jpg このブログは自分の勉強ノートでもあり。ガラゲーからスマホに換えて〝良かったなぁ〟と思う一つは、机のパソコンから離れて、例えば電車の中でもスマホで自分のブログを開き、古文書の復習が出来ること。図だけをアップし、何度も繰り返しスラスラと読めるようにお勉強です。


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デジタルお絵描き [スケッチ・美術系]

sumahodee_1.jpg 「狂歌入東海道」シリーズを続けている間に絵を描かなかった。久し振りに絵筆をと思えば、不透明水彩絵具が固まっていた(透明水彩は固まっても可)。新たな絵具を買おうかしら、いやアクリル画に挑戦してみましょうか。

 いや、ここ最近「スマホでお絵描き」をしたのだから、この際〝デジタルお絵描き〟体制を整えてみようかしらと思った。

 小生の絵は〝ブログ挿絵〟程度ゆえ、プロが使うような本格的なデジタル機器は必要ない。調べたらスマホ用の、容量を気にせぬクラウド保存のお絵描き無料ソフト「MediBang Paint Pro」があるそうな。ネット上で「使い方講座」もあるらしい。

 だが、如何せんスマホでは画面が小さ過ぎる。しかも小生の「iPhone6sのGメール」の塩梅が相変わらずよろしくない(実はこの挿絵、最初はスマホ「メモ・手描き」で描いたが、以前のようにPCへJPGで送れず、全てがpngになってい、かつバケている。よって慌てて手描きしたもの)。

 かくしてiPhoneでのお絵描きは避けて、その延長上とも言うべき液晶ディスプレイへ直接描く「iPad pro+Apple pencil」が良さそうだ。だがその費用、ざっと10万円超。iPhoneに7万円を投じたばかりの貧乏隠居は、ここしばらくは我慢です。

 ここまで考えて「あぁ、パソコンがあるじゃないか」と気が付いた。そこで「Wacom社のIutuos Art medium(ペンタブレット+スタイラスペン+簡単ソフト付きで1万6千円ほど)」があると知った。同封ソフトはCorel社「Painter Essentials5」らしい。同ソフトが気に入らなければ「CLIP STUDIO PAINT PRO」(ダウンロード版5千円。立派なマニュアル本も市販されている)もいいらしい。これなら2万円もあれば、とりあえず〝デジタルお絵描き〟が出来そうとわかった。

 ってことで、来年のブログ挿絵はソレで行きましょうか。果たして隠居老人に〝デジタルお絵描き〟が出来ましょうか。翁がそう記せば、媼(おうな)は「馬鹿だねぇ、絵は手で描くもんだよ」と笑った。


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重量級文鎮は抄紙機竣工記念 [暮らしの手帖]

syasiki_1.jpg 代々木の「大江戸骨董市」で〝バカみたいに重い文鎮(置物)〟を買った。鉄の塊だ。売る方も買う方も、笑いながらの愉快な売買交渉だった。

 なぜこんな物に手が出たか。実は画集や分厚い書籍を見開きにしつつ、キーボードを叩くことままあり。そんな時は重量級押えが必要で〝セロテープ台〟を使ってい、それに代わると思ったんだ。

 物は「十條製紙・釧路工場、昭和三十五年六月竣工記念274吋抄紙機」縮小型記念品。抄紙機(しょうしき)とは、紙を連続的に抄く機械(製紙機)。100㍍8秒で紙を製造するとか。

 この釧路工場の歴史が面白い、前田製紙~北海製紙~富士製紙~王子製紙~十條製紙~現・日本製紙と激動を秘めている。当時の世界最大新聞用紙抄紙機で同工場6号機。歴史的価値があるらしく、王子・飛鳥山「紙の博物館」に縮尺模型が展示されているそうな。

 同抄紙機完成の昭和35年は「ダッコちゃん人形」ブームだった。小生は高校生で、特注の革製本格登山靴を求めるべく、麹町の文具卸店でアルバイトをしていた。ミゼットの助手席に乗って、横浜・有隣堂へ納品。第三京浜走行中の急ハンドルで横転。二人で車を起こし、投げ出されて〝ひしゃげた教材粘土〟を手でペタペタと長方形に直して無事納品。今後、この重量級文鎮を使う度に釧路工場の激動史へ思いを馳せ、ミゼット横転と登山靴を思い出すだろう。

 過日「東京フォーラムの大江戸骨董市」へ行ったが何も買わなかった。何故に手が出なかったのだろうと考えた。己の〝にわか文鎮蒐集〟にポリシーがないと気付いた。●ガラクタはもう買わない。●ン万円の文鎮を幾つも集めたいとも思わず。そこからウ~ンと熟考。やはり手が出るのは、「面白い(曰く、ワケあり、ユニークな形)文鎮」だなと思った。今後、そんな文鎮に出会えるでしょうか。


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龍ってなに? [暮らしの手帖]

ryu3_1.jpg ガラクタ文鎮のなかに〝龍〟が二つ。この歳まで〝龍〟に無関心。無知ってこと。その世界を覗けば龍関連書(龍研究者)があり、龍マニアもいる。これを機に初めて〝龍〟の世界を覗いてみた。

 基本的にはインドの蛇神、水神のナーダが、中国に渡って神獣、霊獣化。五本爪の龍が皇帝の象徴になった。ゆえに韓国では四本爪の龍。日本に龍が登場したのは弥生時代。弥生土器に龍あり。古墳時代には壁画の四神に青龍。平安時代の密教では雨の神として龍王。「法華経」にも龍が登場。龍神信仰が浸透した。

 日本の龍には中国からの陰陽道、仏教の龍王・龍神、そして日本土着の龍(大蛇)の影響があるとか。〝龍蛇〟は爪なし脚なしで大蛇に近い。宝刀魚、摩訶薩魚もいる。その後に天・地・海で三本爪の龍が多くなったか。北斎が描く龍を見れば、すべて三本爪。龍へのこだわりがあったか、最晩年に描いたのも龍だった。

 以上、いささか乱暴な龍の概念まとめだが、西洋のドラゴンの影響も無視できないらしい。しかし、それら由来などは次第に薄れて、今は様々な龍がいる。寺社の向拝、木鼻、出三斗、欄間、天井絵、襖絵、手水舎。神輿や山車にも龍がいる。北斎に限らず浮世絵師や日本画家は龍を描く。子供時分に浅草の縁日で〝一筆描きで龍を描く〟露天商を見た記憶がある。そして十二支のなかに唯一の想像動物として龍が組み込まれている。

 角は鹿、頭は駱駝、髭は鯰、眼は鬼、体は蛇、腹は蜃気楼の蜃?とか。鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛とか。他にも鎌倉時代の蒙古来襲を防いだのは諏訪大明神の龍蛇で、大地震や噴火をおこすのも龍。山には龍穴がある。

 ちなみに「龍」とだけで新宿図書館で蔵書検索すれば六千件もヒットした。それだけ浸透しているんですね、だが皇帝、神話、宗教には関心薄く、辰年生まれでもなく、名に龍の字も付かず、身体に龍の刺青も彫っていない小生には、何だかとても厄介な存在です。以上、黒田日出男著『龍の棲む日本』(岩波新書)やウィキペディアなどを参考にした。

 写真の真鍮(黄銅)製の龍は、顔が短く狆みたいで、左足の四本爪で如意宝珠(にょいほうじゅ)を持っている。これを文鎮にして何かを書いたら、いい事・悪い事が起こりましょうか。


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大江戸骨董市の掘出し物 [暮らしの手帖]

REGALpen_1.jpg 過日、自転車で代々木公園ケヤキ並木「大江戸骨董市」へ行った。ガラクタ文鎮をいろいろ買った。その中に「龍の置物」(値札2,000円)に「REGALペン立て」を抱き合わせで「2,500円で持ってけぇ~」と店主。

 家に戻って「REGALペン立て」を検索すれば、なんとヤフオクで6,800円の落札。その紹介文は「REGALウエスタンブーツ型ペン立て、真鍮製、アンティーク珍」。それをまぁ、500円で入手したことになる。

 さらに調べれば1976年より靴購入者へのノベルティーとして作られたもので、製造は「吉田三郎商店」とのネット情報あり。それなら骨董と云うほどの古さもない。

 骨董の価格は〝あってないようなもの〟と知るべし。某店でネズミの文鎮がガラスケースに入っていた。「名のある人の作かえ」。店主はばつが悪そうに「いえ、実にいい形をしているじゃないですか」。青空骨董市の価格は店主の主観ってこと。数十万、数百万の骨董はいざしらず、貧乏隠居の小遣い程度の骨董売買は愉しいお遊びです。

 写真の通り汚れたままの「REGAL」を「PIKAL(ピカール)」で磨き、40年前の黄銅色の輝きを甦らせつつ、思わずフフッと笑ってしまった。今は金ピカになって、iPhone用タッチペンがぴったり収まっている。

 さて、買い込んだガラクタ群を並べ見れば、早くも「ガラクタ」は卒業したい気分になってきた。今後の文鎮蒐集は〝お気に入り厳選〟かな。実は同骨董市で逸品を見た記憶あり。それは緩く歪曲した金板の上にカモノハシの精緻な銀彫刻が載っていた。西洋文鎮(ペーパーウエイト)にもいいものがあると知った。

 次は、ガラクタ群のなかの〝超ガラクタ〟の幾つかを紹介したい。(続く)


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角筈村で首縊相果罷在候 [くずし字入門]

komon11_1.jpg 古文書講座の復習2:教材は享和二年(1802)の新宿・角筈村で自殺者発見の報告書。講座より気の向いた教材のみの復習です。古文書は直筆ゆえ人によって丁寧な字、癖字、下手な字、乱暴な字、メモ書きなど多彩。実に読み難い。

 小生はまず、それらを〝漢字くずし方辞典〟に載っているような正しい?字〟のように書き直し(左写真)てから解読、音読する勉強法を採っている。

 乍恐(おそれながら)以書付(かきつけをもって)御届奉申上候。一(ひとつ)角筈村名主傳右衛門(右は読まず〝でんえもん〟)奉申上候、當村秋元但馬守様御抱屋鋪(おかかえやしき)御囲内(おかこいない)二、年齢五十才余二相見江(あいみえ)候男、楢之木枝江細引二而(て)、首縊(くびくくり)相果罷在(あいはてまかりあり)候、尤着服之義者(もっともちゃくふくのぎは)、木綿藍じま綿入レを着シ、下ニ縞木綿単物(ひとえ)を着シ、太織帯を〆、脇指(差)を帯(たい)シ、相果居(あいはており)申候、依て此段、以書付御訴奉申上候、以上。

 おぉ、享和二年と云えば、十返舎一九が『東海道中膝栗毛』初編を出した年ではないか。四編までの版元は日本橋・通油町の村田屋治郎兵衛。長谷川時雨の生まれ育った地。現・日本橋大伝馬町。

 新宿・角筈村は現・新宿西口高層ビル群と熊野十二杜辺り。今〝角筈〟の地名はないが「角筈公園」「角筈図書館」などに名を残している。首縊男は〝中間体〟とか。内藤新宿で遊び過ぎて破滅の道を歩んだ男だろうか。


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