SSブログ

清張(7)「もく星号」と「伊藤律」 [読書・言葉備忘録]

seicyomokusei1_1.jpg 『日本の黒い霧』文庫下巻に半藤一利の解説あり。そこに「たとえば〝「もく星」号遭難事件〟などはどうであろうか。ナゾの深さは理解できるけれども、具体的推理や疑惑の構図については少し疑問を感じてしまう点がないわけでもない」の一文。

 小生はブログ以前のHP「週末大島暮らし」の〝島日記〟(削除済)に松本清張「もく星号」関連3作を読みつつ、その感想を書き連ねていたことがあった。弊ブログになってからは甘粕事件(大杉栄、伊藤野枝らを殺害)~辻潤(野枝の夫でダダイスト)を読み、その息子の辻まことが撃墜機で散乱した宝石類を拾ったことを知って、5年前に弊ブログで「辻まこと」(1~5)をアップ済。これらを併せて短くまとめてみる。

 松本清張は昭和35年に〝運命の「もく星号」〟(現文庫本は〝「もく星」号遭難事件〟と改題)を書いた。その8年後、昭和49年に長編『風の息』(文庫では上・中・下巻)で、もく星号は米軍機に仮想敵機として「撃沈」されたと書き直した。

 清張はそれでも不満で、平成4年8月の死去直前の4月30日初版『一九五二年日航機「撃墜」事件』を書いた。前作『風の息』に全面的に手を加え、前作を破棄するとも記した。だが巨匠の執拗な探求心をもっても、謎を残したまま逝ったようだ。

 同機にはダイヤ売買の美女・小原院陽子が乗っていた。彼女が持っていた宝石類は、軍接収ダイヤがGHQへ渡り、そこから闇ルートで流れたものと推測。結果、墜落現場に宝石類が散乱した。三作目には実在の彼女の写真、自宅内スケッチも掲載だが、清張は三作目で何を書こうとしたかは定かではなく迷宮に入った。

 小生は、当時の大島に「米軍沿岸警備隊」が駐留していたことを、清張さんが見逃したために迷宮に嵌ったのではないかと推測した。GHQは昭和20年から23年まで「大島観光ホテル」接収だが、石川好著『ストロベリーロード』には米軍沿岸警備隊は何故か20年以上も島にいた」と記されている。駐留軍に詳しい清張さんらしからぬミス。そうHPに記せば、当時の大島支庁長より「検視医が未だ元気ですから取材なさったら」のメールを下さった。小生の元スタッフが、三宅島NLP基地反対闘争をレポートした『いま、三宅島』を上梓しているが、小生はノンフィクション作家でもなく、その取材はご辞退した。

 また『日本の黒い霧』上巻最後に収録の『革命を売る男・伊藤律』は、昭和55年(1980)に本人が帰国して「スパイ説」を否定。関係者が同書出版差し止めを要求する事件も起きた。現在の文春文庫には、文藝春秋出版局による「作品について」が付加されて、スパイ説否定の関連書が紹介され、併せてお読みくださいと記されている。多分その形が両者話し合いの結果なのだろう。松本清張のノンフィクションは、鵜呑みせずに関連書も併せ読みましょうという忠告がここにありそうです。


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。