SSブログ

加藤郁乎「俳人荷風」(1)浅草の「おもかげ」 [永井荷風関連]

kafuhaiku1_1.jpg 本題は加藤郁乎「俳人荷風」だが、まずは甘粕正彦が最期に読んだろう荷風「おもかげ」から入る。甘粕正彦が満映理事室で青酸カリで自決した時に、机上の「濹東奇譚」に遺書三通が挟まれていた。自殺前日に「何か軽い読み物を」と求め、スタッフが荷風「おもかげ」を渡した。甘粕の最後の読書が永井荷風だったとは、なんとなく愉快なり。そんなワケで、本題に入る前に、ちょいと荷風「おもかげ」から。えぇ、本番前の前戯ってこと。

 「おもかげ」は21頁ほどの小品。その内容を知る人も少なかろう。久々に本棚の奥から「荷風全集・第九巻」を引っ張りだして再読。物語は吉原・門外で客待ちの辻自動車・運転手の豊さんのモノローグ。

 豊さん、大使館の二号さんがお得意だった時分に、そこの小間使い・おのぶさんに惚れて所帯を持った。間もなく新宿の洋食屋で食った牡蠣フライが当たって、おのぶさんだけがあっけなく逝った。おのぶさんが恋しくてたまらねぇ。そんな折、浅草の歌劇館の踊り子に、おのぶさんそっくりの女を見つけた。歌劇館通いが始まった。踊り子の名は萩野露子。

 そんな或る日、歌劇館に向かう途中で「豊ちゃん」の呼び声。年増のお妾さん・玉枝さんぢゃないか。女給時分に酔い潰れた彼女をよく送っていったもの。誘われるまま家に上がるも口説かれそうで、踊り子に夢中なんだと打ち明けて外に出た。

 するってぇと小走りに走る露子さんがいるぢゃないか。無我夢中で追いかけた。喫茶店に入って踊り子仲間と談笑する露子さんをうっとり見つつコーヒーを手にすると、袖口に血がつき腕時計がない。ズボンを探れば財布もない。掏摸にやられた。「車に戻ってお金を持ってきます」と店を出たが、玉枝さんちが近い。玉枝は婆やに金を払いに行かせて、結局は炬燵で差しつ差されつ。深間、いや旦那の眼を盗むツバメになってしまった。

 しかし露子さんが忘れられぬ。やがて劇場プログラムから露子の名が消えた。半年後、松戸を流していて彼女の踊り子仲間を乗せた。露子さんは舞台で血を吐き、相当に悪いそうな。「彼女をを恋人にしていたら、おのぶと同じ哀しい別れになったに違いない。俺はつくづく女に縁がないなぁ」。そう思うと、むやみに女を買い散らすようになってしまった・・・、そう述懐したところで、吉原の空は暗いも東の空がうっすら明るくなってきたで終わっている。

 甘粕正彦は青酸カリで自決する前夜に、ほんとうにこんな「おもかげ」を読んだのかしら。


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。