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加藤郁乎「俳人荷風」(6)嵐雪と荷風の西瓜 [永井荷風関連]

kafutamanoi2_1.jpg 「寺じまの記」は、ほぼ全編が玉ノ井ガイド。まず雷門前からバスに乗り、乗り降りする人々の観察、次々に変わる景色、玉ノ井車庫下車で「ぬけられます」の看板を次々縫って路地や建物、女たちの様子や事情の詳細見聞記。安岡章太郎「私の濹東奇譚」でも、玉ノ井への案内は同小説より「寺じまの記」の方が役立つと。写真は「断腸亭日乗」に書かれた荷風さんの玉ノ井地図メモ。マメな荷風さんです。

 「町中の月」は、銀座から始まる月見ウォーク。佃のわたし場から湊町へ、稲荷橋の河口は東京湾汽船会社の大島行き桟橋と待合所あり。稲荷橋欄干に身を寄せれば為永春水「春暁八幡佳年」(天保7年作)の若旦那と猪牙舟の船頭との月夜の会話を思い出すと、その一節を紹介。読んでいると同じコースで月見ウォークしたくなる。荷風さんの月見句・・・「枝刈りで柳すヾしき月見哉」 しかし東京大空襲直前の昭和19年になると「月も見ぬ世になり果てゝ十三夜」。

 「郊外」は三頁に満たぬ超小品。廣津柳浪「秋の色」の叙景文が引かれている。現在の早稲田鶴巻町の一帯は田圃で、関口のほとり、神田川、芭蕉庵辺りの長閑な景色。小生、そのちょい上流の高戸橋際に住んでいたこともあって身近なり。とは云え廣津柳浪の同作は明治35年頃の実景。さらにその33年後の昭和10年末の荷風が「もう、そのような景色は利根川、荒川上流まで行かなければなるまい」。ははっ、平成の今はどこまで遡れば、そんな景色が見えるのか。

 次が「西瓜」。冒頭に「持てあます西瓜ひとつやひとり者」。壱居獨棲の弁に加え、繁殖行為と避妊について得々と語っている。それはさておき、嵐山光三郎「悪党芭蕉」を読んでいたら嵐雪句「身ひとつもてあつかへる西瓜哉」があって、「あんれぇ、荷風さん、これをもじったな」。加藤翁は荷風句を「俳味諧謔の玄人好みの一句」と記すが、翁は確か飯島耕一との共著「江戸俳諧にしひがし」で、其角(江戸座)詳細を解説していた。嵐雪の同句に気付かなかったか。

 また、この荷風句は、川村三郎の亡き妻へのオマージュ「いまも、君を想う」冒頭に引かれていた。今はスーパーに行くってぇと、老人や晩婚お一人様のために八つ切りスイカも売っている。


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