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加藤郁乎「俳人荷風」(2)巴里の「おもかげ」 [永井荷風関連]

omokage.jpg 本題の加藤郁乎「俳人荷風」(岩波現代文庫、今年7月刊)になかなか入れぬが、そもそも同書を得たのは角田房子、佐野眞一の「甘粕正彦」を読んでい、己が余りに満州、関東軍、朝鮮併合などに無知で、焦り慌てて新宿・紀伊国屋に走ってのこと。読書は古本か図書館本がメインで、滅多に新刊書店には行かぬが、上記関連本を探すなかで新刊「俳人荷風」に気が付いた。そんなワケで本題前に甘粕正彦が最期に読んだろう「おもかげ」が気になった次第・・・。

 さて、「おもかげ」は前回記した「浅草のおもかげ」の他に、「ふらんす物語」収録の巴里の「おもかげ」もあり。フランス暮しの経験ある甘粕には、こっちがふさわしいか。

 荷風さん、夢見るカルチエラタンに着いた夜、カフェに入った。隣へ座った女に「あなたは日本の方ぢゃ有りませんか」と話しかけられた。巴里には何歳かわからぬ化粧上手な女が多い。荷風さん、ちょいとカマをかけてみた。「あなたは大分日本人にお馴染みがあるとみえますが・・・」。彼女は某画家と夫婦のように暮した時期を懐かしがって「これがあの方から頂戴した指輪です」。二朱金が指輪に細工されていた。荷風さん、その某画家が十年ほど前に巴里留学をし、今は日本で大家然としていて彼が描いた「裸婦美人」を思い浮かべる。

 「別れた後は泣いてばかりでは生きて行けませんから、また前のような商売に出ました」。そして次々に出てくる巴里留学の日本人名。荷風さん、そうした彼らが日本に帰ると、強いて厳かな容態を作り、品位を保とうと務めている顔・顔を思い浮かべる。姐さんの名は「マリリン」。

 甘粕正彦は「おもかげ」を読んだ後に青酸カリで自決。54歳だった。それから67年後、今年5月に加藤郁乎さんが初の荷風俳句論の校正を終え、「あとがき」執筆中に心不全で亡くなった。83歳没。その加藤さんが同書でそれとなく教えてくれた。「君、当時、甘粕に『おもかげ』を渡したってことは、その表題がついた短編集のことだよ」。

 「濹東綺譚」刊の翌年、昭和13年に「おもかげ」が岩波書店より刊。秋庭太郎著「考證 永井荷風」をひもとけば、こう書かれていた。・・・これは短編小説「おもかげ」「女中のはなし」、歌劇脚本「葛飾情話」、小品文「鐘の音」「放水路」「寺じまの記」「町中の月」「郊外」、随筆「西瓜」「浅草公園の興行場を見て」、俳句「荷風百句」の諸篇を収め、写真版二十四葉、菊版二百四十七頁、著者装丁の貼函入の美本である。

 あぁ、ならば甘粕さんも「荷風百句」に眼を通したんだ。 それで「大ばくち 身ぐるみぬいで すってんてん」などという戯れ句を書き遺したか。して、その初版を見てみたいと検索すれば、2001年に初版本復刻「おもかげ」が出ていて、なんと定価7,770円とか。


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