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夢枕獏「大江戸釣客伝」(7) [読書・言葉備忘録]

jyoukyouji_1.jpg 前回の続き。多賀朝湖(英一蝶)のお墓・承教寺を出て海側に下ると東海大高輪キャンパスがある。建物前に「足もとに眠る近世寺院」と題された史跡案内有り。同キャンパスの校舎建て替えにともなう発掘調査で、失われた近世寺院の全貌が明らかになったと記されていた。

 『江戸切絵図』の「芝三田 二本榎 高輪辺絵図」にかぶせて現在の同大キャンパスの敷地が太線枠で示されている。(写真)。承教寺と證誠寺の半分、そして国昌寺がすっぽり収まっている。この発掘で国昌寺の本堂などの遺構が発見されたそうな。(写真)。なお承教寺の墓地は昭和33年に隣接する小学校の拡張で、現在は池上本門寺・承教寺墓域に移転。英一蝶の本当の墓もそっちに移されているとか。

 この絵図をよくよく見ていると、同大高輪キャンパスの左上辺りに、なんと、宝井其角の菩提寺「上行寺」を見つけてしまった。★永井荷風は最晩年の昭和31年11月29日に其角墓に詣でているが、同寺は昭和38年に伊勢原市に移転。現在はそこに其角と父で医師だった東順のお墓、そして「宝井」と呼ばれたこんこんと湧いていたという井戸の石組も移されているとか。

 余談★同大キャンパス右下に赤穂浪士が眠る「泉岳寺」がある。元禄時代の各寺の位置関係がよくわかる。「上行寺」のサイトを拝見したら、赤穂浪士が吉良上野介の首を持ち、まず立ち寄ったのが「上行寺」だが、同寺は徳川幕府とつながりが強かったので立ち寄りを強く拒んだために「泉岳寺」へ行った・・・の口伝えがあると記されていた。★同大キャンパス右上に広大な「細川越中守」がある。ここは今「都営高輪アパート」で、アパート奥に「大石良雄外十六人忠烈の跡」がある。元禄十六年(1703)二月四日、大石内蔵助ら十七人が十七人の介錯人によって切腹した場所。

 其角の「上行寺」、朝湖(英一蝶)の「承教寺」。二人は菩提寺も隣同士。加えて共に医師の子。二人の縁の深さを改めて思った。(このシリーズおわり)

 ★夢枕獏「大江戸釣客伝」は江戸前の釣り、江戸俳諧、其角、朝湖(英一蝶)、芭蕉、生類憐令、忠臣蔵、流刑、伊豆諸島の歴史へと波状マルチ的に興味が広がって面白かった。★最後に・・・本当に其角と朝湖は釣り好きだったのだろうか。大嘘だろうなぁ。★なお「大江戸」なる言葉は、江戸後期の化政期(文化・文政期/1804~1829)に百万人都市になって生まれた言葉と承知している。元禄に「大江戸」なる言葉はなかったのでは・・・。

 ★このシリーズ参考書:今泉準一「其角と芭蕉と」、小石房子「江戸の流刑」、嵐山光三郎「悪党芭蕉」、段木一行「伊豆諸島の歴史」、飯島耕一「『虚栗』の時代」、来栖良夫「波浮の平六」、今川徳三「八丈島犯科帳」、「大島町史」、「伊豆諸島東京移管百年史」など。


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