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芝浦の昭和探し [新宿発ポタリング]

sibaura3_1.jpg ポタリングは運動ゆえ、どこを走ってもいいが、ちょっとした目的があると走りやすい。東京湾汽船の芝浦移転を記したので「そうだ、芝浦を・・・」走ってみることにした。

 新宿基点に走るは★城北方向(文京、豊島、板橋、北) ★城東方向(千代田、台東、江東、墨田、江戸川、足立、葛飾) ★城西方向(中野、練馬、杉並、世田谷、渋谷、武蔵野、西東京) ★城南方向(港、目黒、品川、大田)に大別される。

 芝浦は城南方向。すでに品川から旧東海道で大森辺りまで走った。先日は高輪・承教寺へ「英一蝶」墓を掃苔。城南へのルートは★「外苑西通り」で麻布~白金~第一京浜へ ★「外苑東通り」で六本木~芝公園 ★「新宿通り」で皇居沿いに日比谷通りの3ルートあり。

 今回は皇居沿いに日比谷通りで増上寺から浜松町~竹芝~日の出~芝浦~田町界隈を走った。東京湾汽船が昭和11年に越前堀(霊岸島)から移転した芝浦埠頭は、現・東海汽船芝浦支店辺りか。ジェットフォイル艇が休泊するレトロな桟橋(写真上)は、ひょっとして当時の鉄筋コンクリート浮桟橋か? それにしてもこの辺のレインボーブリッジ、ループ道を真下から見上げる港は、ちょっと目を見張る光景なり。

sibaura2_1.jpg 次は東京湾汽船が芝浦移転披露に「芝浦芸者」が余興を・・・から芝浦花街の名残り探し。田町駅東口前に鹿島神社。ってことは、この辺り、昔々は「芝浜」じゃないか。熊公がカミさんに叱られて真っ暗んなかの芝・魚河岸へ行くってぇと未だ暗い。眼を覚まそうってんで浜んなかにへぇると足に財布の紐がひっかかって五十両拾った。(志ん朝)。

 その埋立地に、立派な木造建築の芸妓検番(写真下)が残っていた。施主は芝浦三業地(料理屋・芸妓置屋・待合茶屋)組合長で目黒雅叙園主の細川力蔵。雅叙園設計の酒井久五郎による近代和風建築。一階は芸妓の取次や清算の事務所。二階は舞台付き踊り稽古場の大広間。

 昭和11年建築だそうで、東京湾汽船移転と同時期。共に最も盛り上がっていた頃だろう。戦争が激しくなるに従って、検番は港湾労働者の宿泊所に。ってことは健さん・藤純子「侠骨一代」の港湾労働者もここに泊まっていたか。戦後の埠頭は接収され、検番は「協働会館」へ。大広間は地元住民の集会などに貸し出されたそうな。平成12年閉鎖。平成21年に港区の有形文化財になって、修復保存を待つ状態。

 その一画に往時の建物が数軒残ってい、築80年余の元芸妓置屋を改築して昭和45年頃に料理屋を始めとかの「芝浦料亭・い奈本」でランチのマグロ丼を食った。同夜、運動疲労で実に心地よく爆睡・・・。


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