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幸田露伴『芭蕉と其角』と「きゃたつ釣り」 [読書・言葉備忘録]

 飯島耕一<『虚栗』の時代>で知った『露伴随筆・第一冊』をひもとく。「芭蕉と其角」冒頭にあり。わずか九頁。「口語体」を嫌った幸田露伴ゆえ、旧字・旧仮名に古語混じり文体で、たどたどしく読んだ。芭蕉句の素晴らしさを「稍ゝ(やや)反対の性質の其角を出して、芭蕉の隠れたるところを発揮せんと」、同季語の句を並べ比していた。

 まず芭蕉。<三井寺の門敲かばや今日の月> 故事成語「僧は敲く月下の門」の「推す」と「敲(たた)く」かの迷いから「推敲」。月煌々とした景色に浮かれて僧も三井寺の門を敲く。芭蕉句にはこのような古き詩の「をかしみ」も忍ばせる。比して其角句は、<名月や居酒飲まむと頬かぶり> 月に浮かれて居酒を飲もうとしたが、月光があまりに明るく思わず頬かぶりの意。さて、どちらがいいかと問う。(「飲まむ=飲もう」)。

 もう一例をひこう。一昨日「ウラナミシジミ」を登場させたので蝶の句。芭蕉<蝶の飛ぶばかり野中の日かげ哉> に比し其角句<夕日影町中にとぶ胡蝶かな> 共に春の日ざしのやわらかにして広々とせし野中に蝶を飛ばせ、縦横自在楽しげに蝶の飛ぶところを詠っているが、芭蕉は緻巧にして、其角は快活なりと記す。ならば、ふふっ、露伴の句も挙げよう。<飛ぶ蝶に我が俳諧の重たさよ> 露伴さん、軽みが出ずに反省している。

 芭蕉と其角の句を上記のように次々に挙げて解釈、対照して「其角は句を案ずるに一座の人を眼中に入れず、常に天井を睨みて趣向を捜り出す。そうして一句が成れば、座客はみな驚き感じる。比して芭蕉句は平々淡々及ぶやすきと思われるが、客が各々家に帰りて後、改めて其の句を味はへば大いに芭蕉の妙を悟りて、到底及び難きを知れり」と記す。

 其角を揚ぐるとも又其角の真価を増すこと能(あた)はざる(~は不可能、できない)を知ればなり、と芭蕉の素晴らしさを説いている。無学ゆえ読み方、解釈が間違っていたらごめんなさい。

 なお、同書収録『鼠頭魚釣り』をおもしろく、楽しく読んだ。「鼠頭魚」すなわち「キス」。青キスの、かの「きゃたつ釣り」。夢枕獏『大江戸釣客伝』を読んで、其角つながりで辿り着いた『露伴随筆』だけに、「きゃたつ釣り」の名文に出逢えるとは。読んでい、ニヤリ・ニヤリと共感湧きて、釣りに胸躍らせた日々が甦ってきた。同作は著作権切れで「青空文庫」で公開されている。釣り好きの方にぜひ一読をおすすめです。


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