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なだいなだ著『江戸狂歌』 [狂歌入東海道]

kyoukaedo_1.jpg 「狂歌」のお勉強(2)。以下は、なだいなだ著『江戸狂歌』(岩波書店・1986年刊)の勝手要約です。

 著者の年代は笑えぬ時代が長かった。生まれが満州事変2年前。太平洋戦争の翌年に麻布中学から陸軍幼年学校。大日本帝国憲法下の幼年・青年時代。そう云えば小生の父の腹を抱え笑った姿も記憶にない。著者は「日本人は笑わない人間なのか」と思った。

 著者執筆時は中曽根内閣時代(今も安倍晋三内閣に笑えぬ人々は多い)で、アルコール中毒の治療従事に当っていた。その時に大田南畝(蜀山人)の狂歌に出会った。「われ禁酒破れ衣となりにけりさしてもらおうついでもらおう」「世の中は色と酒とが敵なりどうふぞ敵にめぐりあいたい」。

 なぁ~んだ、日本人は大いに笑っていたじゃないか。それは江戸・天明期。狂歌師らは、お上が嫉妬するほどの人気者。浮世絵、黄表紙、洒落本など庶民による大出版ブーム。南畝が狂歌集の募集をすれば荷車五台分、一千箱の狂歌が集まった。平賀源内は少し時代が早過ぎて狂死したが、彼の序文でデビューした大田南畝は〝江戸狂歌〟の寵児になった。

 だが、著者はそれら狂歌を読むも笑えない。何故だろうか。「そうか、笑いは情況のなかでこそ生きるもの」と気付く。封建時代は身分も定まり、何事もお上次第。そんな窮屈な世に「花鳥風月や恋歌」を詠う余裕もない。和歌の〝本歌もじり〟にホンネ、風刺、諧謔、滑稽を盛り込んで憂さ晴らし。〝本歌取り〟は伝統・体制を笑う。落首に庶民は喝采した。

 狂歌は士農工商の垣根なしで共に盛り上がった。ホンネや話言葉があった。生活の苦しさを笑い飛ばすパワーがあった。江戸狂歌は時代の華になる。

 だが狂歌が言葉遊びを越えて〝落首〟に及べば、お上は黙っていられない。「寛政の改革」で狂歌に手を染めていた武士らが粛清され、町民文化人とも言いたい戯作者、狂歌師、絵師、版元らも次々に手鎖の刑、財産半分没収、江戸追放など。大田南畝も狂歌から離れて「学問吟味」を受験。

 〝狂歌師〟なる生業も生まれたが、次第に洒脱軽妙、知的さも失って質の低下を招いた。やがて江戸っ子にとって決定的ダメージは明治維新(十返舎一九没の37年後が明治元年)。薩長が江戸を闊歩し、やがて大日本帝国憲法。皇国軍隊下で日本人は完全に笑いを失った。

 概ねこんなプロットで、時代変化に沿って次々に代表的狂歌を紹介しつつ〝江戸狂歌〟の趨勢が紹介されていた。江戸狂歌は江戸人らが自らの存在(アイデンティティー)を求め謳歌した幻の華だったのではないかと。


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