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嶋田「大井川渡りいそけは宿の名の~」 [狂歌入東海道]

24simada_1.jpg 第二十四作目は「嶋田」。〝越すに越されぬ大井川〟手前の宿場。絵は大河・急流の壮観な大井川渡り。手前に大名行列の一行。遠景に富士が描かれているから浜松側から見た大井川だろう。

 狂歌は「大井川渡りいそけは宿の名の妹がしまだの目にはとまらず」。さて、どういう意だろうか。弥次喜多らは、大井川渡りは肩車では危険ゆえ蓮台の料金交渉。平蓮台二人乗りは六人川越人足付きで「二人で八百文」と吹っ掛けられる。そりゃ高い!と弥次さんにまた馬鹿な考えが閃く。喜多さんの脇差を借りて長短二本差しのように見せて川問屋(武士が利用)で交渉。だが長く見せた脇差の鞘袋が折れ曲がってい、簡単に偽侍と見破られてコソコソと逃げ出す。

 そこで一首。「出来合のなまくら武士のしるしとてかたなのさきの折れてはづかし」。結局まともな値段(二人で四百八十文)で蓮台に乗った。ここで再びお金の復習。「一文=二十円換算」で、四百八十文は九千六百文也。当時の石工日給四百文より高く、裏長屋の家賃ほどだろうか。お金がなくば大井川は渡れない。

24simadauta_1.jpg 現・嶋田には当時の川会所や人足宿が復元されてい、川渡り事情が詳細説明されているらしい。田辺聖子『東海道中膝栗毛を旅しよう』に、そこで得た知識だろう詳細料金が記されていたので、それを引用する。脇通(一番深い場合九十四文)、乳通(七十八文)、帯上通(六十八文)、帯下通(五十二文)、股通(四十八文)。

 弥次喜多らが蓮台に乗れば、大井川の急流は目もくらむばかり。いのちをも捨なんとおもふほどの恐しさに、無事に蓮台を降りて一首~ 「蓮台にのりしはけつく地獄にておりたところがほんの極楽」。成仏して極楽へ行けば蓮の上だろうが、大井川では蓮台を降りた所が極楽だ。「けつく=結句、結局、むしろ、かえって」。

 この〝蓮台〟を〝火の車〟にして「火の車のりしはけつく地獄にておりたところがほんの地獄」と詠ったのが、諸田玲子の小説『きりきり舞い』のひとこま。晩年の一九家の大晦日〝掛け取り〟を免れようとする修羅場シーンで詠まれていた。また中風気味の一九が階段から落ちて「出来合のなまくら作家のしるしとて指の先のしびれて恥ずかし」。さすが諸田玲子と膝を打ったが、彼女の小説には、一九晩年にも蔦重が活躍しているような記述があったりの〝ポカ〟が多いのが残念。一九が三十四歳の時に、蔦重は寛政九年(1797)に四十七歳で亡くなっている。

 同小説は一九が『続膝栗毛』十二編刊で完結した五十八歳頃で、四人目の妻・ゑつがいて、三人目の妻・民が産んだ娘・舞(十九歳)が主人公。舞より六つ年上の北斎の娘・お栄(応為)が夫と喧嘩をして一九家に転がり込んでいるという痛快物語。余りに面白かったので目下続編読書へ。ウヘッ、読めばいやはや駄作なり。


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