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赤坂真理『東京プリズン』(34) [千駄ヶ谷物語]

akamari1_1.jpg 保科順子著『花葵~徳川邸おもいで話』に、GHQ接収で「マッジ・ホール」と名を変えた徳川邸を訪ねる記述があった。そこの将校らが何をしていたかは書かれていないも、将校クラブと聞けば〝松本清張的勘〟でクンクンと探りたくなる。クン!と反応したのが赤坂真理の小説『東京プリズン』(2012年刊、毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部文学書)だった。

 『東京プリズン』は、16歳少女が米国ハイスクール留学の進級に「東京裁判」見立てで「昭和天皇は戦争犯罪人である」を肯定するディベートに立つことになり、それを自身の母子の女系物語に絡めた内容。同小説を書くに至った理由を「そもそも私の家には、何か隠された秘密があった」で、母には英文科時代に津田塾を出た人から東京裁判資料の下訳を誘われて千駄ヶ谷の「マッジ・ホール」に出入りしていたキャリアが明らかになる。

 ネット掲載の著者インタビューで「それは事実で、父もGHQ通訳していた」と語っていた。著者は小説のなかで千駄ヶ谷をこう記す。「マッジ・ホールはGHQ接収前は徳川宗家になった徳川家達邸で、大河ドラマの天璋院篤姫が晩年を過ごした場所。つまりは、私たちは何代か遡ればすぐ江戸時代に到達してしまうのに、江戸時代をまったく断絶した共感不能なものとして感じている。マッジ・ホールは江戸と明治の断絶の象徴のようにそこにあったのだが、そこを通った昭和の人間は、すでにそれに思いを馳せることはできなかった。私たちは明治維新と第二次世界大戦後という大断絶を二度経験していて、それ以前と以後をつなぐことがむずかしくなっている」

akasakasinsyo_1.jpg そう、千駄ヶ谷の最も大きな魅力は、それら時代断絶の溝が幾つも秘められているところだろう。江戸時代の長閑な郊外情景と明治維新・大日本帝国の溝。寺社だけでも神仏習合、別当寺、神仏分離、廃仏稀釈などの溝。明治天皇を祀った明治神宮内苑と外苑の狭間の千駄ヶ谷。学徒出陣の舞台「明治神宮外苑競技場」と戦後の2度のオリンピック。軍部愚挙に耐え忍んだ日々とGHQ接収によるアメリカ文化の影響。戦前の高級住宅地と戦後の連れ込み旅館街のギャップ。そうした時代の断絶、溝の宝庫が千駄ヶ谷なんですね。

 そんな千駄ヶ谷に触れると、日本とは?を改めて考えたくなって来る。著者も同小説刊の2年後に、日本の諸状況に次々とクエスチョンを投げかけて日本再構築を試みる『愛と暴力の戦後とその後』(講談社現代新書)を著わしている。著者がそこから何を掴んだかは定かじゃないが、著者の今後の問題だろう。

 小生は、そうした断絶と激変の度に、日本人は何かを得て、大事な何かを失って来たような気がしないでもなく「千駄ヶ谷散歩」はウォーキングの域を超えて頭クラクラになる。軽い気持ちで始めた「千駄ヶ谷物語」。鴨長明『方丈記』全文くずし字筆写と同時進行だったが、『方丈記』が終わっても『千駄ヶ谷物語』は終わる気配が未だなし。困惑しつつの続行です。

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