SSブログ

天皇の戦争責任(39) [千駄ヶ谷物語]

syowatenno_1.jpg 『東京プリズン』の米国ハイスクール留学のマリちゃんのために、小生も「天皇陛下の戦争責任」について少しお勉強。まず『「東京裁判」を読む』から~

 半藤「ポツダム宣言は軍隊の無条件降伏で〝国体護持の保証を条件に日本国は降伏する〟と言っている」。保坂「つまり〝天皇を裁かない〟が条件」。半藤「だが国民は余りに愚か・残酷な戦争ゆえ〝何もかも糞くらえ〟の気分」。保坂「国体護持には三つの考えがあった。(1)旧憲法のままの形で継承。(2)旧憲法から離れるも天皇が主権者・元首は変わらない。(3)天皇の名前と存在が認められればそれでいい。

 半藤「天皇はマッカーサーと10回も会談。まさに〝たった一人の反乱〟で(3)まで頑張った」。保坂「裁判所条例を出したのが昭和21年1月19日。天皇を訴追しないと決めていた」。半藤「ゆえに御前会議にはふれていない。共同諜儀になりますから」。保坂「天皇を訴追したら米国は百万の軍隊が必要になるという認識もあった」。同書余白に小生のメモ。~米国は防共の為に天皇制を利用し存続させた。また同書には真珠湾攻撃は奇襲ではなく、半藤「ルーズベルトもハルもマーシャルも事前に知っていたから、奇襲と云えば米国が墓穴を掘るゆえ有罪認定から外れていた」

 次に古川隆久著『昭和天皇』(写真)を読む。第五章「戦後」。「木戸日記」に概ねこんな記述があると紹介。。天皇「戦争責任者を連合国に引き渡すのは忍び難い。自分が一人引き受けて退位でもして納める訳には行かないだろうか」。天皇は責任を感じていたが、木戸が「退位が皇室廃止に結びつく可能性」を指摘し、退位に至らなかったと。

 9月25日のNYタイムズの天皇インタビューで「裕仁、記者会見で東条に奇襲の責任を転嫁」の見出しで掲載。だが天皇発言とされる東条批判部分は、勅書の利用のされ方についてで、開戦判断の責任についての言及ではなかったと説明。

 天皇・マッカーサー会見10回の内容は、一部公開のみだが、その内容は「宣戦布告前に攻撃する意図はなかったが、そうなったことを含め、日本の行動に対し自分に最終的な責任があると明言していた」らしい。マッカーサーは「陛下が平和の方向に持って行くため御軫念(しんねん=天子が心を痛めること)あらせられた御胸中は、自分の充分諒察申上ぐる所」と同情。元帥側近のフェラーズ准将は「天皇の君主としての責任は明らかだが、天皇の〝聖断〟で米国被害を減らすことができた」。そして「天皇を訴追したら、さらに百万の軍隊が必要になる」。

 以後は、各自のお勉強にお任せ。なお同著には、昭和天皇批判論は井上清著『天皇の戦争責任』、擁護論は栗原健著『天皇』が定評高いと紹介。マリちゃんに教えてあげよう。それにしても千駄ヶ谷は、かくも様々な問題を考えさせます。次回から「ワシントンハイツ」の影響について。

コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。