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GHQの〝性とツツガムシ〟(44) [千駄ヶ谷物語]

hikari_1.jpg GHQによる影響は、ファッションや音楽よりまず先に日本に大影響を及ぼしたのが〝米兵らの性〟だった。秋尾沙戸子『ワシントンハイツ』のこんな記述に驚いた。

 「都民生局保険予防課長」の与謝野光が「GHQから東京の将校用、白人用、黒人用の性処理場3カ所の選定及び性病予防を仰せつかった」。あぁ!与謝野光と云えば、同氏の思い出本(左)から与謝野晶子・寛夫妻の「新詩社・明星」千駄ヶ谷時代を紹介したばかり。

 婦人解放を詠った母の長男ゆえ、その任に当たった気持ちはいかばかりや。当時の米兵らの性処理施策は二つ。一つは国務大臣・近衛文麿中心の日本政府施策として大森海岸の料亭「小町園」はじめの慰安所(ゲイシャハウス)設置。同ハウスに群がる米兵無数。仕事内容を知らずの応募女性もいて、眼を耳を被いたい悲惨・修羅場の展開。大金を稼いだ女性もいたとか。余りの凄さに7ヶ月ほどで閉鎖らしい。

 もう一つの施策がGHQプロジェクト。GHQに呼び出されたのが与謝野光課長。将校用に向島、芳町、白山の3地区。白人用に吉原、新宿、千住。黒人用に亀戸、新小岩、玉ノ井を選定。だがこれも米国本土の婦人団体などの抗議で1年半ほどで幕を閉じた。光氏「ペニシリンが実によく効いた」と言ったとか。

 行政主導の性処理慰安施策が閉鎖されれば、彼らの性は巷に及ぶ。米兵らに抱かれ、腕を組む女性たちが街を闊歩する。HGQは占領軍兵士の半減を打ち出すも朝令暮改。昭和25年に朝鮮戦争勃発で再び多数兵士が日本へ押し寄せた。

 かつて久保田二郎(ジャズ評論家)が「自由が丘、田園調布、成城なんぞ二流、三流のたかだか文化住宅地に過ぎず」とまで言った千駄ヶ谷邸宅街は、空襲後の復興時期にGHQの性に一気に呑み込まれて「千駄ヶ谷=連れ込み旅館街」となる。

 その性の浸透過程を探りたいが、その前に与謝野光のフォローもしておきたい。GHQ要請に命を張って拒否も出来たかも知れぬが、氏の経歴を見ると「〝七島熱〟研究で表彰」ともあった。〝七島〟と云えば伊豆七島。大島に多少の縁あるゆえ調べると「伊豆七島のツツガムシ病の研究」らしい。七島のツツガムシ(ダニ)特性の研究で、他と比較して症状は軽く、伊豆大島では「大人のハシカ」と呼ばれていたとか。その研究が島民の健康に寄与したことに間違いはなかろう。

 小生は昨年、1年間放置のロッジ庭に繁茂した大雑草と格闘して、脛が酷くかぶれた。新宿に戻って皮膚科へ行けば「草かぶれ」でペニシリン系だろう薬をいただきひと塗りで治った。「草かぶれとツツガムシ」の関係やいかに。次から米兵らの性が巷に拡散する様子を探ってみたい。

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