SSブログ

ヒトラー4:「HITLER'S CIRCLE OF EVIL」第一部 [政経お勉強]

hitler's_1.jpg 次にNetflixより映画「HITLER'S CIRCLE OF EVIL」(ヒトラーの悪の輪、共犯者たち)から、ヒトラーと側近らの動きを知っておこう。(独裁者がいれば、そこには必ず忖度、へつらい、忠誠の報いを求め、利用する人もいる。今の日本にも~)

 同映画は歴史家・作家・教授・博士8名のコメントに沿った映像で構成。同映画の第一部は、時間を遡って第一次世界大戦終盤から始まる。

 まずフランスで出撃待機中の国民的英雄操縦士ゲーリング(写真下)が登場。彼はドイツ撤退報に「皇帝が我々を裏切るはずはない」と信じ、敗戦は左翼政治家の裏切りと思い込む。航空機供与を拒否してドイツ本土へ強行帰還。だが戻ったドイツは政治面では法と秩序が崩壊、知識階級は極左と極右に分割。経済的には貧困と飢え。帰還した英雄操縦士には無関心で、彼は曲芸飛行で食い扶持を稼ぐ他にない。

geiringu_1.jpg 右翼で目立った存在はエッカート(劇作家、詩人、反ユダヤ人、裕福層に人脈)。彼はトゥーレ協会と手を組んで右翼思想を広める「ドイツ労働党」を設立。同協会にはアーリア人を弱体化させたのは劣った人種(ユダヤ人)と交わったのが原因で、劣った人種が国を支配してドイツが弱体化した~という説を信じていたそうな。

 1919年、ヴェルサイユ条約で約2600億マルクの賠償金が課せられたワイマール共和国には〝救世主〟が必要と思っていたエッカートは、野戦病院から帰還したヒトラーが聴衆を巻き込む演説姿に注目した。ヒトラーに魅了されたのは他にもいて、裕福な家の出のルドルフ・ヘスが1番弟子。教師の息子の18歳で人種主義崇拝のハインリヒ・ヒムラーもいた。

 エッカートはヒトラーの身なりを整え、マナーを教え、裕福な後援者を紹介し、彼の信念や理論の精査にも取り組んで彼を磨き込んで行った。まさに父子の関係~。ヒトラーが彼らの宣伝トップに収まると党名を「国家社会主義ドイツ労働者党」(頭文字からナチス。党名は一見左翼風も、労働者を共産主義から守ることを狙った意)へ。トゥーレ協会がアーリア人の起源を示すとした鉤十字をマークにした。

 条約でドイツ軍は軍規模縮小が求められていたが、戦争を愛する現役軍人レームは、秘密裏に義勇軍設立と兵器拡充をしていた。レームはその目的手段としてヒトラーに近づいた。1920年、エッカートとレームは、ナチス宣伝に新聞社を買収。エッカートが編集主任で、ヒトラーを〝救世主〟として売り込んだ。

 そこに曲乗りをしていたゲーリングが参加。かく体制が整うに従ってエッカートは側近の輪から外れていった。1922~1923年に超インフレがドイツを襲った。彼らにとって反乱を起こす絶好の好機到来。1923年11月に革命断行するも、16名が射殺されるなどで失敗。ヒトラーは禁固刑5年。ゲーリングは負傷してオーストリア亡命後にモルヒネ依存症へ。義勇軍を率いたレームも投獄。側近から外されて革命不参加だったエッカートは、彼らが獄中にいる間にアルコール依存症で死去。ヒトラーは獄中でルドルフ・ヘス(ミュンヘン大学政治経済専攻)に口述(ほぼ共著)させたのが『わが闘争』第1巻。ヒトラーは禁固5年も、翌年12月に釈放。その理由は後述。

 イアン・カーショー「ヒトラーのカリスマ的共同体は、まず彼に最も近い人々、ヒトラーに直接仕える〝従者〟によって構成され、彼らはその忠誠に対するヒトラーの報いを受けることで成り立つ(日本の戦国時代もそうだし、今の閣僚人事もそうと言えなくもない。ヒトラーが連立政権から独裁政権になるに従って、報いを得んとする〝従者〟らの嫉妬と闘いが過熱して、仲間内の悲惨な粛清事件も起り、ヒトラーのカリスマ性はさらに強くなって行く)」。またイアン・カーショーは「カリスマ支配」の脆弱性も指摘で、日本の長期一強総裁の崩壊(辞任)をも言い当てているようで実に面白い。

 写真は「HITLER'S CIRCLE OF EVIL」のタイトルバック。写真下はゲーリング。安達造著『ナチスの真相』(昭和8年アルス刊。国会図書館デジタルコレクションより)

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。