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ヒトラー6:再び「HITLER'S CIRCLE OF EVIL」 [政経お勉強]

kershaw_1.jpg 再び映画の戻って、ヒトラー出所から独裁まで、併せて側近らの動きを追ってみる。執行猶予で出所するレームに代わり、ヒトラーが逃亡2日後にランツベルク刑務所へ。死刑予測で落ち込むヒトラーだったが、公判前に俄かに奮い立つ。「この公判こそ、己を主張する好機ではないか~」

 彼は尋問に応えるより、自身を殉教者・救世主に見立てた政治論の大演説。法廷は拍手喝采。その裁判記録を各紙が掲載。それまで無名だったヒトラーが、右翼第一人者に躍り出た。

 バイエルン当局と司法機関も、彼への理解・同情で5年刑に結審。一揆失敗で落胆・混乱の仲間らも活気づいた。ケルン郊外の若い作家志望ヨーゼフ・ゲッベルスも、ヒトラーの新聞掲載の裁判記録に心を揺さぶられた一人だった。

 ヒトラーは20名の警備員に付き添われ、秘書役ルドルフ・ヘスが密着。支持者らの頻繁な訪問。監獄はさながらナチ「シンクタンク」化し、ヒトラーは毎朝、他の囚人にも自身の思想を講義・討論。ナチのゼミナール場と化した。(イアン・カーショー著『ヒトラー権力の本質』より。写真上)

 野心家ではない唯一の党員ヘスは18ヶ月の懲役で、尊敬するヒトラーとの生活を喜んだ。ヘスは学生時代の師(ミュンヘン大の師ハウスホ-ファー)から学んだドイツ窮状再建の国家拡大論で彼を勇気づけ、ヒトラーこそ指導者・救世主なるべく人物だと持ち上げ、クーデター失敗ならば次は選挙だと誘った。

S.Snohimura_1.jpg ヘスはヒトラーに自身の生い立ち、ユダヤ人と共産主義者がいかに国を滅ぼしたか~の人種主義を書きまとめろと勧めた。実際はヘスとの共著になる『わが闘争』を書き上げた。(資本主義や共産主義の問題をユダヤ人に責任転嫁し、第一次大戦でドイツを罰した〝連合国〟を責めた諸思想ごちゃまぜの猛毒のような国家主義の内容)。

 一方、武闘派ゲーリングはモルヒネ依存症。レームは軍と闘える組織を目指した突撃隊(S.A)を補強。ヒトラーは突撃隊の激化する暴力行為によって保釈が取り消されるの恐れ、ナチ党・党首も辞めると表明。

 1924年12月、9ヶ月の懲役を経て出所。彼の法廷演説に感動したゲッベルスは、早くも演説で頭角を現し、教師の息子で若いハインリヒ・ヒムラーも政治活動に専念し、24歳で党の補佐役に育っていた。党名「国家社会主義ドイツ労働者党」に変更。

 だが、ドイツは経済復興で安定と明るさを取り戻していて、彼らの主張に反応しない。ゲッベルスはドイツ中を1年189回もの演説行脚をする。だが1924年の選挙結果はナチ党への投票率わずか3%だった。

 改めてナチ党は選挙に勝つべく組織固めを開始。ヘスが日々の決定事項と党の方針を作成。ゲッベルスとヒムラーはアーリア人の特性を有し、祖先まで調べ上げた黒制服・黒ブーツ・ドクロ紋章の親衛隊(S.S、写真下。昭和8年のアルス刊『ナチスの真相』安達堅造著、国会図書館デジタルコレクションより)を結成など巻き返しに集中した。

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