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ヒトラー1:まずはじめに [政経お勉強]

wagatousou1_1.jpg 新宿区納戸町公園の「クーデンホーク光子 居住の地」史跡看板から、彼女の関連書を幾冊か読み、彼らが生きた「日清・日露戦争~第一次・第二次世界大戦」にも少し触れた。

 光子の夫ハインリッヒ・クーデンホーク・カレルギーの「オーストリア・ハンガリー帝国駐日大使」としての来日は明治25年末。即、青山光子と結婚。同地で長男次男を生んだ。次男・栄次郎(リヒャルト)が、後にEUの礎になる『パン・ヨーロッパ』運動を提唱した。

 一方、彼より5歳年上のヒトラーは、イン河畔ブラウナウ(現ドイツとオーストリアの国境の街)で「オーストリア・ハンガリー帝国」大蔵省の守衛から税関事務官へ昇進(1875年)後のアロイスと23歳下のクララの子として誕生。

 リヒャルトは第一次世界大戦で疲弊した欧州(米国より狭い地に28国家の諍い絶えぬ状況)を鑑みた復興再生に「パン・ヨーロッパ(欧州共同体構想)」を提唱した。その正反対に走ったのがヒトラーだった。皇帝のオランダ亡命後「ワイマール共和国」が、ヴェルサイユ条約で巨額賠償金を課せられ、植民地や産業や国籍をも失ったドイツ人等々を容認で、共和国に闘い挑んで「独裁国家」を築いた。

 最近(9月24日)のテレビ番組「アンネ・フランク生存者が語る「日記」のその後」を観た。余りの残虐さに途中で観るのを止めた。あたしは子供の頃に、姉本棚の『アンネの日記』を読んだことを思い出した。

 次に「Netflix」で映画『ヒトラー~最後の12日間~』(ヒトラー最後の個人女性秘書の証言を基にした独裁者の最後を描く)を観た。前述『アンネ~』には大量虐殺された遺体映像が多数挿入されていたが、後者は「ヒトラーと最後の側近ら」のパーソナリティーに焦点が当てられ、大量残虐とはちょっと結びつかぬ妙な違和感を覚えた。 

 戦争は死者をグロス(数字)で表わす場合が多いが、その数字・映像の裏にはかけがえのない個々人のパーソナリティーが詰まっている。死者をグロスでとらえる戦争など「絶対にしてはいけない」

 2013年、麻生副総理兼財務金融相は、自民党の憲法草案「緊急事態条項」について、都内ホテルでの講演で「あの手口を学んだらどうかね」と言ったそうな。(ワイマール憲法が誰にも気づかぬ間にナチス憲法に変わっていたように~の意。世界で最も民主的と言われたワイマール憲法の第48条第2項の緊急事態条項が〝絶対的な独裁に利用された=石田勇治講演より)

 菅内閣になっても副総裁兼財務大臣はそのままで、官邸は日銀、NHK、官僚、検察庁、マスコミに加え、今度はなんと!日本学術会議まで手を出したらしい。前内閣の「危ないなぁ」の危惧は何も変わっちゃいない。ここはやはりヒトラーの「手口」とやらをお勉強しておく必要もあるらしい。麻生さんもヒトラーに詳しいのだろう。かくして小生も遅まきながらヒトラーのお勉強です。ヒトラー関連書籍も映像作品多数。老いた頭で理解するのは難儀だが、まぁ、ゆっくりとお勉強して行きましょう。

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