凩の吹きのこしてや名残り揺れ [おくのほそ道]
芭蕉は一関の宿から往復4里で平泉・中尊寺に足を延ばして22句目<五月雨の降のこしてや光堂>を詠んだ。あたりの建物はみな朽ち崩れているのに、五月雨はこの光堂にだけは降らなかったのか、昔の華やかさを遺しているの意。
例の芸人・繁太夫の放浪記「筆満可勢」にはこう書かれているそうな。「此堂年久しき故、朽はてゝ風雨にかける故、さや堂といへるを拵へる。十年程以前に、盗来りて此箔をぬすみし故、所々取りし跡有る。開帳料三十九文」。
繁太夫より139年前の芭蕉も、現在「旧覆堂(さや堂)」として保存される建物で光堂(金色堂)を見たのだろうか。光堂が創建(室町中期)の輝きに戻ったのは昭和43年(1968)。500年余の荒廃を元に戻して世界遺産登録。現在の拝観料は800円とか。
さて、もじり遊びは「五月雨」を「凩(こがらし)」に、「降(ふり)のこしてや」を「吹きのこしてや」にして・・・<凩の吹きのこしてや名残り揺れ>と詠んでみた。光堂も名残り葉も、それが語るのは「無常」。
2012-01-07 07:11
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