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カワセミの電光石火狙いどり [新宿御苑の野鳥]

kawa6_1.jpg 2月初旬のこと。新宿御苑では彼方此方の池が凍って、この池の一画だけが凍らなかった。そこがカワセミのダイブ(餌獲り)ポイントになった。カワセミ撮りが並んでいたので、あたしも防寒ズボン、携帯椅子、一脚持参で並んだ。

 ダイブポイントにマニュアルフォーカスで「置きピン」。片眼でカワセミ、片眼でファインダーを見る体制でダイブする度に連写。水に突っ込む瞬間も、水から飛び立つシーン(写真)も撮れた。あとは背景、タイミング次第。数撮れば良い写真も撮れそうだが、「カワセミ専科」ではないので、そこそこで引き揚げた。

 後日、同ポイントに行けばカワセミを追い散らす人がいたり、池が汚れたりして、カワセミは同ポイントから去った。「おくのほそ道」シリーズで<カワセミや石より白き糞の上>と詠んだが、もう一度・・・。<カワセミの電光石火狙いどり>。カワセミが小魚を「狙い獲り」と、「置きピン」で「狙い撮り」の両意。

 新宿御苑は、あと1週間もすれば「寒桜にメジロ集合」の春の風物詩が愉しめる。


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姥の手が蕾定めや寒桜 [花と昆虫]

sakuratubomi1_1.jpg ちょっと前に撮った桜の蕾。閑な爺さん婆さんらが、それぞれ蕾を手にして状況を確かめていた。撮ってから約10日、今は綻び始めているやもしれぬ。

<姥(うば)の手が蕾定めや寒桜>

 姥の対義語が「尉(じょう)=老翁(おきな)」。冬鳥にジョウビタキがいる。漢字で「尉鶲」。これはジョウビタキ♂の頭部が灰色(銀色っぽい)で翁、尉ゆえの名前かしら、と思った。今度、鳥撮りのベテランに伺ってみよう。


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三万余街を駆け抜く春疾風 [暮らしの手帖]

marathon1_1.jpg 昨日の東京マラソン。3年前も写真付きでブログを記した。その時は、ランナー群をただ撮ったに過ぎぬが、今回は「スローシャッター+流し撮り」。撮った場所が道路反対側で良くなかったが、背景と走る足がいい感じでブレて、ちょっと写真の腕が上がったかと自画自賛。1/8sec F20 ISO200。

 一方、句は難儀した。<三万余街を駆け抜く春疾風> 

 マラソン参加者は約35000人。「駆け抜く」とすらっと記し、後で辞書をひいたら、ちゃんと「文語」とあった。こういうのはうれしい。これ程の人が一斉に走り抜けるのは「春嵐=春疾風(はるはやて)」のようだった。


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雪吊りや主役を梅に譲りけり [散歩日和]

yukituri1_1.jpg 過日(20日)、新江戸川公園へご近所ポタリング。その際にポケデジで撮った写真を、今になってパソコンに落として、「おぉ、これは句になる」と・・・。

 手前の「雪吊り」の後ろに紅梅が写っている。そう、公園に入って、まずはパッと見事に咲いた紅梅に眼を奪われた。

 <雪吊りや主役を梅に譲りけり> 大雪・寒波の変な天候だが、確実に春は近づいている。


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セシウムに蛤逃げて雀かな [新宿御苑の野鳥]

fuyusuzume1_1.jpg 俳句の季語には妙なのがある。「雀蛤となる(すずめはまぐりとなる)」。「蛤」の季が春で、「雀」の季が四季だが、この季語は秋。旧暦九月節の第二候(十月十二日頃)に雀が蛤になるという可笑しな話があるそうで、それが季語になったとか。雀の薄茶色の感じが蛤に似ているからか? だが十音の季語ゆえ句にならぬ。俳人らは面白がって「蛤」と「雀」を組み合わせた句を詠んでいる。ちなみに一茶は<蛤になつてもまけな江戸雀>。 あたしも遊んでみよう。

 今、東京湾に注ぐ河口の砂泥にセシウムが蓄積されつつあって、「浜の栗」こと「ハマグリ」がこれを嫌って、季語通り「雀」に化身して逃げ出した。季語「雀蛤となる」は、今日の日本の原子力行政の愚かな結果を先見していたのかもしれぬ。<セシウムに蛤逃げて雀かな>


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のほほんと蝶ちょう雲ぞ老い暮し [雲のお勉強帖]

cyoucyougumo1_1.jpg 古本屋で購った安藤鶴夫の小説「三木助歳時記」を読んでいたら、「蝶々雲」が出てきた。「あぁ、空を見上げるのもいいなぁ」と思った。「蝶々雲=てふてふ雲」。空が青く澄み、積雲から外れて風に流れ行く小さな白い雲で、季は冬。

 隠居しているのに、何かに追われるように、なにやら勉強したり、鳥撮りに行ったり、運動したりしている。ふと思うんですよ。「雲みたいに、もっと、のほほんと暮らせばいいのに」と。<のほほんと蝶ちょう雲ぞ老い暮らし>


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人と陽と虫を集めて福寿草 [散歩日和]

fukujyusou1_1.jpg 昨日、新宿御苑散歩。昨年は1月末には咲いていた福寿草が、やっと咲いた。枯葉の下から一気に吹き出たように咲き、枯れ野がパッと輝いていた。人が吸い寄せられている。老夫婦が携帯カメラで、お嬢さんが三脚でマクロ撮影。あたしは背後から望遠レンズで撮った。

 福寿草が人を惹き寄せ、そのパラボラ・アンテナ効果で花芯に陽を集め、その暖かさで虫が寄る。<人と陽と虫を集めて福寿草>

 去年は<福寿草ぬくもりて惹く術を持ち>。「おくのほそ道」シリーズの芭蕉句もじりで<御苑にて満面の笑み福寿草>を詠って、これで三句目。句は上達せぬが季節の記録です。季は「新年」。だが、今、咲いた。


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この春に市民権こそ祝メジロ [私の探鳥記]

utimejiro1_1.jpg 昨年2011年7月13日、環境省が野鳥で唯一、観賞用に一世帯につき一羽の飼育を許可していたメジロを、今年4月から捕獲・飼育を原則禁止と決めた。いよいよ、その施行が迫って、メジロが晴れて「完全市民権」とばかりに歓んでいる。

 今春、わが家のベランダに待てども来ぬメジロだったが、昨年より20日遅れ、2月7日から姿を見せ始めた。ローズマリーの上に止まり木を拵えて、ミカンを置けば、時に4羽のメジロが枝に止まったりする。これまた昨年の例だと、新宿御苑の寒桜が咲く頃に、わが家に遊びに来るメジロらが姿を消す。公園の彼方此方で花が咲き始め、花の蜜を吸いに去って行くのだろう。しかし今年は寒波・大雪で、未だ梅も寒桜の蕾は固いまま。もうしばらく眼を愉しませてくれそうです。

※新宿御苑の梅や寒桜はまだ固い蕾だが、きのう、新江戸川公園に行ったら大きな紅梅が八分咲き。芭蕉庵先の江戸川公園の梅も咲いていた。


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佇みて音姿知るコゲラかな [新宿御苑の野鳥]

kogera2_1.jpg コゲラ=小啄木鳥=ジャパニーズ・ピグミー・ウッドペッカー。雀より1㌢大きいに過ぎぬ小さな啄木鳥。

 コゲラ探しは、おしゃべりを止め、足音を忍ばせつつ木々の下で耳を澄ませる。そして木々の些細な動きを注視。・・・やがて木を叩くコツコツという微かな音が聴こえてくる。木の幹をまわり込みつつ忙しく採餌する姿も見えてくる。そうしてコゲラを見ていると、「寂」を愉しむ妙なる感覚が生まれる。

 微かな音を聴き込む受動・静の意識と、微細な動きを逃さぬ細心の注視・能との妙なるバランス。これがあって初めてコゲラ観察・堪能に至る。逆に言えば、コゲラを見つめている時は、この得難い妙なる域を愉しんでいるワケだから、「何がいるんですかぁ~」などと無粋に話し掛けてはいけません。<佇みて音姿(おとすがた)知るコゲラかな>


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山雀や秘めた実出して春を待ち [新宿御苑の野鳥]

yamagara3_1.jpg 過日、カワセミのダイブを見ていたら、そこに二羽のヤマガラが水を呑みにきた。「おや、今年の新宿御苑にはヤマガラ(山雀、シジュウカラ科)が多いのかしら」。

 そう思っていた昨日のこと。忙しそうなヤマガラを見ていたら、切株の下から、小さな木の実を引っ張り出した(写真下)。別の場所では、大きな木の樹皮の間から茶色の実を引っ張り出すシーン(写真上)を見た。ヤマガラは昆虫、クモ、果実を食うそうだが、冬季は木の実が多い。その実を樹皮の穴などに蓄える習性があって、これを「貯食」と云うそうな。

 鳥好きの老人らが屯する場では、概ねヤマガラは餌付けされている。新宿御苑ではそんな光景がないから、自然な生態を見ることが出来たのかもしれない。春の繁殖期には新宿御苑を去って行くのだろうか。

yamagara4_1.jpg


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老いぼれてあと幾春の愉しみぞ [おくのほそ道]

kannzakuramejiro_1.jpg 芭蕉の「おくのほそ道」は、敦賀に曾良手配の弟子が迎えに行って、三日を要して8月20日(陽暦10月3日)ごろに大垣着。160日間、約2400㎞に及んだ旅を終えた。深川「芭蕉庵」を引き払い<草の戸は住替る代ぞひなの家>を最初の句に芭蕉50句、全62句がここで終わった。最後の句は、<蛤のふたみにわかれ行秋ぞ> この句は大垣に集った門人らと別れ、伊勢の遷宮式を拝みに再び旅立つ際に詠った。句意は、離れ難い蛤の身とふたが別れるように、また皆と名残惜しいが別れなければならない。折から秋も暮れようとしていて、淋しさがしみじみ感じられるよ。

 旅立ちの最初の一歩、千住で詠った<行春や鳥啼き魚の目は泪>と対をなす句で締め括られている。共に別れを惜しむ句。「おくのほそ道」の冒頭文「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」で、「日々旅にして旅が栖(すみか)」が貫かれている。

 「おくのほそ道」定稿が出来たのは、旅を終えて4年後の元禄6年末か7年頃。旅の最中に詠んだ句の他に、同草稿を書いた元禄5、6年頃の句も多い。また「おくのほそ道」掲載句の他に、旅の途中で曾良に「書留」させ、これまた何度も推敲して後に発表された句も多い。

 さぁ、最後の句を遊んで、あたしの62日間にわたった「おくのほそ道」シリーズも終える。<老いぼれてあと幾春の愉しみぞ> 春はもうそこです。今は我が7Fベランダに遊びにきているメジロらも、間もなく新宿御苑の寒桜に群れ集うでしょう。つまらんシリーズにご訪問いただき、ありがとうございました。

 「おくのほそ道」シリーズ参考書:小学館「日本古典文学全集・松尾芭蕉」、岩波文庫「芭蕉おくのほそ道」を主に、次の本を参考にしました。金森敦子「芭蕉はどんな旅をしたか」、上野洋三「『奥の細道』の謎」、嵐山光三郎「芭蕉の誘惑」「悪党芭蕉」、山本鉱太郎「奥の細道なぞふしぎ旅」、安東次男「おくのほそ道」、山本健吉「奥の細道」、尾形仂「『おくのほそ道』を語る」他。 


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浪の間やシギが啄む餌に毒 [おくのほそ道]

kosagi3_1.jpg 芭蕉は西行の「汐そむるますほの小貝拾ぐとて 色の浜~」の「ますほの小貝」を拾ってみたく、敦賀から舟を仕立てて種の浜(色ヶ浜)に行った。<波の間や小貝にまじる萩の屑> 「ますほの小貝」は学名・千鳥ますほ貝。薄紅色がさす小さな貝。それに混じって萩の花屑があったよの意。

 あたしが鳥撮りによく通った葛西臨海公園は東京湾の最奥部で荒川河口と江戸川河口に挟まれている。今、福島原発から風に乗り散った放射能が、山や野を経て川に流れ込み、河口部に沈殿し始めている。場所によっては原発近海より高いセシウムが検出されている。やがて東京湾いっぱいに蓄積されようとニュースが報じていた。

 河口の底に溜まったセシウムをゴカイらが食い、それらを餌にするシギ、チドリをはじめの水鳥ら。彼らが優雅に餌を啄む姿を見るたびに、「あぁ、セシウムが」と思ってしまう。人の営み、故郷を奪い、物言わぬ水鳥らも蝕んでいる。いったい全体、原発はなんてことをしてくれたんだ。<浪の間やサギが啄む餌に毒> 


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鳥撮りは数にかちたる情趣かな [おくのほそ道]

torifuukei_1.jpg 元禄2年8月16日、晴れ。芭蕉は敦賀から有名な「ますほの小貝」を拾ってみたく、舟に乗って「種の浜」(今の「色ヶ浜」)に行った。まずこう詠った。<寂しさや須磨にかちたる浜の秋> 

 須磨は「源氏物語」以来よく語られる寂しい秋の地として名高いが、この浜の情趣は須磨以上であるよ。物語で美化された「須磨」に、物合せの用辞「かちたる」を使って、実景「種の浜」を褒めた。寂しさは「淋しさ」ではなく、しみじみした情趣。

 芭蕉がそこまで褒めた「色ヶ浜」だが、今は眼前に不気味な敦賀原発があって情趣どころじゃなかろう。福井に入って原発云々がくどくなってきたので、ここでは原発から離れる。

 この句のポイントは「かちたる」かな。あたしは隠居して「鳥撮り」を趣味にした。この趣味は、いきおい多種を撮ることに夢中になる。みていると、現役時代に営業ノルマに血祭りをあげたような勢いで鳥撮りに夢中の御仁がいる。鳥撮りポイントに行けば、そこの主のような狷介老人がいる。鳥撮り老人同士のケンカにも出くわす。でかいレンズを持った人が威張っていたりもする。どこか変だな。

 老人の鳥撮り趣味ってぇのは、鳥類学者でもなく、鳥類図鑑を作ろうってワケでもなく、高価でデカいレンズ較べの場でもなく、あくまでも「花鳥風月」を愉しもうって姿勢が本道だと思うが、いかがだろうか。ってことで<鳥撮りは数にかちたる情趣かな>と詠んでみた。写真はトモエガモを撮った見沼の池。あたしの場合は稀少種カモその個体だけではなく、そのカモがいた見知らぬ郊外の、見知らぬ風景の、それぞれの季節の情趣に接する愉しみの方が勝ったりするんだが・・・。


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豊かさや花鳥風月売り払ひ [おくのほそ道]

 芭蕉が敦賀に泊まったのは8月14日。「明日の十五夜の天気は」と宿の主人に訊くと「変わりやすいのが北陸路の常で、明日の天気はわかりません」と答えた。そして15日、雨が降った。<名月や北国日和定(さでめ)なき> 仲秋の名月を楽しみにしていたのに、なるほど、北国の天気は変わりやすいものよ。

 さて、スケール大きく地球を詠ってみよう。今は北極圏の氷が解けて、寒気が北半球に下がってきたそうで、日本だけでなくヨーロッパ各国も記録的寒波に襲われている。これまた地球温暖化の歪みでしょうか。<大寒波地球日和も定めなき>

 ちょっとスケールが大き過ぎた。鳥になって福井県を飛んでみよう。まず敦賀で上昇。眼下に「敦賀原発・2炉」と廃炉中の「ふげん原発」がある。ここから西に飛ぶ。「もんじゅ原発」がある。美しい白茶色の砂浜が続いて「美浜原発・3炉」、絶景の海岸線が続いて「大飯原発・4炉」、「高浜原発・4炉」・・・あぁ、まさに原発銀座だ。原発交付金で潤っているか、立派なハコ物も点在する。欲が欲を産んで歯止めがきかなくなった感がしないでもない。

 美浜出身の某歌手は、少年時代を振り返って「貧しかったが、豊かな自然が夢を育んでくれた」と言った。むろん芭蕉の時代はもっと貧しかった。しかし何処にも劣らぬ、須磨に勝ちたる花鳥風月の豊かさを誇っていたはずだったが・・・。<豊かさや花鳥風月売り払ひ>


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行く春や乗り越してゐる一人旅 [おくのほそ道]

 芭蕉は8月14日の夕暮れに敦賀に着いて出雲屋に宿をとり、気比神社に夜参りをした。月光がきれいで、神社前の砂浜が輝いていた。宿の主人がこう説明した。「昔、遊行二世(他可上人)が草を刈り、土や石を運んで水たまりを乾かしたりした。それが今も受け継がれて代々の遊行上人が神殿に砂を運んで、これを“遊行の砂持”と云う」。それを聞いてこう詠んだ。<月清し遊行のもてる砂の上> 「遊行=僧が布教・修行で行脚すること)

 敦賀には、某歌手が故郷の福井・美浜でマラソンをするので、その取材に10年余も通った。当初は一人旅。新幹線「米原」乗り換えで「敦賀」へ。途中下車して、何度か気比神社も散策した。ここから小浜線に乗り換えて「美浜」下車で取材現場に着。一度、「敦賀」で降り忘れて「鯖江」まで行った。なかなか戻る電車がこないので焦った。そんなこんなでマスコミ陣の一行に加わったりしたが、もっと気楽な方法はと、ファンクラブのツアーに便乗することにした。敦賀で関西と関東のファンが集結して、ここから福井各地を観光しつつのバスツアーで美浜まで。そんなワケで、まぁ、ひょんなことで10年余も敦賀に通ったんだから我ながら驚いてしまう。敦賀で降り忘れたことを思い出して・・・<行く春や乗り越してゐる一人旅>


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余波なく次々詠むも俳句かな [おくのほそ道]

 芭蕉は曾良と別れて、金沢の俳人・北枝を供にするが、福井・松岡の天龍寺で彼とも別れる。ここで詠んだのが<物書て扇引さく余波(なごり)哉> 句意は、もう秋で使い慣れた扇に、いろいろ書き散らして捨てようと思ったが、名残り惜しくて引き裂けない。あなたとの別れも惜別の句まで書いたが、別れがたいことよ。

 さて、あたしは「大川で尻(けつ)を洗った」ようなサッパリ好き。人にも物にも「別れ難い」余波(なごり)の情緒が希薄らしい。ゆえに「余波」の句は出来そうもない。一日も休まずに「おくのほそ道」シリーズを続けられたのも、昨日の駄句に執着せずに、次々と日を改めたからだろう。まぁ、寝起きのひと時のお遊び・・・。

 山本健吉著「奥の細道」で芭蕉の「即興感偶」を論考してい、芭蕉の言う「即興」は「物の見えたひかり、いまだ心に消えざるうちの言ひとむべし」を引用し、「感動と表現の距離が可能な限り最短であること、それが即興だ」と記していた。その即興が軽みに通じ、季語が有す本意・本情のマンネリからも脱っする。逆にその距離が長いと、そこに作為が介在するとも記していた。かく言う芭蕉さんだが、旅を終えて5年もいじくりまわして「おくのほそ道」を完成させている。

 芭蕉さんは蕉門の多くの弟子と組織の煩わしさのなかにいて、サッパリした暮しとはとても言い難い。あたしはそもそも荷風さんの句が好きで俳句をかじったワケで、文壇とも家族と社会とも交わらずの荷風さんの句の方が、断然さっぱりしているなぁと思うわけで、このシリーズが終わったら、また荷風句に戻って行くような気がしている。


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刈り込んだ芝も束のま草いきれ [おくのほそ道]

kijibato_1.jpg 芭蕉が一夜泊めてもらった全昌寺を発とうとすると「若き僧ども硯をかゝえ、階(きざはし=階段)のもとまで迫来る」。ぜひ一句をと追いかけてきたので即吟してこう詠んだ。<庭掃て出ばや寺に散柳> 一夜泊まった寺を出るにあたって庭を掃こう、ちょうど庭の柳も散っているの意。「出ばや」の「ばや」は接続助詞「ば」+係助詞「(や」。未然形に付いて「~したら」。已然形について「~(た)から」。

 マンション7Fの東京暮らしには庭がないゆえ、当初は大島ロッジの庭仕事が楽しかった。マメに通っていたから芝は5ミリほどに刈り、雑草があれば一本一本抜いていたもの。次第に島に通う回数が減って、久し振りに島に行けば庭は逞しき雑草に被われている。あれほど丹精した芝は消えた。今はエンジン草刈り機をブルンブル~ンと振り回し、土が見えるまでの雑草刈りに相成った。<刈り込んだ芝も束のま草いきれ> 土がむき出しになると、出てくる虫がご馳走なのか、キジバトのつがいが必ず降りてくる。「おくのほそ道」シリーズあと6句。

 ※昨日、大久保の7F自宅ベランダのローズマリーにメジロが遊びに来始めた。昨年は1月18日からだったので、文字通り鶴首して待っていた。今年は22日遅れ。さっそく歓迎のミカンをあげた。


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終宵酒の肴に火を見つめ [おくのほそ道]

yomosugara_1.jpg 芭蕉は8月8日に北枝と一緒に大聖持という城下町のはずれの全昌寺に泊まった。ここで曾良が前日に残し置いた句<終宵秋風聞やうらの山>を手にした。この項に、芭蕉は「終宵嵐に波をはこばせて 月をたれたる汐越の松 西行」と記すが、この歌は蓮如上人の作らしい。

 曾良句の「終宵(よもすがら・よすがら)」は「夜」+助詞「も」+接尾語「すがら」。夜通し、一晩中の意。翁と別れ、一人の旅寝はひとしお淋しく、昨夜は裏山を鳴らす秋風を一晩中聞いていたよの意。中年の男同士が、ホモセクシュアルじゃなきゃ言えぬ句です。

 終宵(よもすがら)で一句。伊豆大島のロッジで20年余、薪ストーブを愉しんできた。眠れぬ夜に、ストーブのチロチロと燃える炎を見つめつつグラスを手にしていると、いつの間に無心となり、やがては酩酊に至る至福の時を何度も愉しんできた。<終宵酒の肴に火を見つめ> おや、まぁ、基角の句に <かたつぶり酒の肴に這わせけり>がある。


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ケリを撮り鳥撮りにけり付けるかな [おくのほそ道]

 芭蕉は曾良と別れ、彼が書き置いた句を記した後に「行ものゝ悲しみ、残ものゝうらみ、隻鳧(せきふ)のわかれて雲にまよふがごとし。予も亦・・・」と記し、自身の句<今日よりや書付消さん笠の露>を載せている。 「隻鳧=二羽のケリ」。旅の門出にあたって、笠の裏に「同行二人」(どうぎょうににん)と書いたが、今日からは一人で旅をしなければならない。一人旅の笠の露で、その書付をけさなくてはなるまい。季は「露」で秋。

 とは云え、芭蕉は大垣に戻るまで曾良の手配により弟子らが次々に案内・同行で、それほど淋しくない。そう詠む側には「北枝」がいる。さて、あたしは「鳥撮り」ゆえ、句ではなく散文の「隻鳧」をいじってみたい。鳧(ケリ)はチドリ科で、耕作地に飛んで来るそうで、新宿暮しのあたしには耕作地を探し歩く機会がなく、未だケリもタゲリも撮っていない。まぁ、いずれ撮るとは思うのですが・・・。そこで<ケリを撮り鳥撮りにけり付けるかな> 

 短歌俳句は「けり」で終わる例が多く、これは「詠嘆・感動」や、過去に起こって今も続いて回想で使われる助動詞。またそこから「結末、決着」の意になって「ケリをつける」などにも使われる。句は二つの「ケリとけり」で隻鳧(せきふ)。四つの「り」で「支離(しり)滅裂」句になり申した。


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たふるゝば大手術せず逝くもよく [おくのほそ道]

simayuhi1_1.jpg 芭蕉、曾良、北枝が共に山中温泉で逗留も、曾良は腹痛で芭蕉の世話どころではなく足手まといになると、芭蕉らと別れる。「曾良は腹を病て、伊勢の国長島と云所にゆかりば、先立て行に<行/\てたふれ伏とも萩の原>(曾良)と書置たり。」

 紀行文のなかに曾良句を挿入し、次の文章につなげて最後に自分の句で結んでいる。全五十章のなかで一味違った構成。挿入された曾良句の意は・・・師と別れて旅を続け、道中倒れたとしても、それが折から盛りの萩の咲く野であったなら、死んでも本望である。誰が考えても、なんだか変な別れ方だ。いろいろ詮索してみたくなるが止めとく。

 「たふ・る」は「倒る」。「行行(ゆきゆき)て」は二字繰り返しの「くの字点」で、これは岩波文庫「芭蕉おくのほそ道」も、小学館の日本古典文学全集もちゃんと「くの字点」になっているが、これがワードでは縦書き、横書き共に出ない。「くの字点」は「斜め=/と\」で「/\」、「くの字濁点」は「斜め/+”+\」で「/″\」で対処。古典がスムーズに打てぬとは、なんとも情けない。

 さて、芭蕉は「おくのほそ道」の旅を終えた5年後、51歳で亡くなった。曾良が亡くなったのは62歳だったらしい。あたしもいつ死んでもおかしくない歳になった。長生きすれば概ねガンで死ぬ。気付いたら末期ガンでアッという間、この世とアッサリおさらばしたい。<たふるゝは大手術せず逝くもよく>


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柚子に薔薇たをらず入るバスクリン [おくのほそ道]

kawa3_1.jpg 芭蕉、曾良に北枝が合流して、7月27日から8月4日まで山中温泉に逗留した。ここで詠んだ52句目が<山中や菊はたおらぬ湯の匂> 句の前に「温泉(いでゆ)に浴す。其効有明に次と云」の文。「其効」は底本で「其功」誤記。「有明」は「有馬」の間違い。句の「たおらぬ」も正しくは「たをらぬ」。旅が終わってから5年も推敲したが間違いが多い。「たをらぬ」は「手折る」の否定。この温泉に浴していると、長寿延命の中国伝説のように菊を手折る必要もなく、霊効の湯の香で満ちているよの意。

 いやぁ、中国伝説を持ち出されたら無教養ゆえお手上げ。あたしの温泉浴は、湯に浸かった後に温泉効果を洗い流したりせずに上がる。これをそのまま詠めば<上がり湯をかけずに残す湯のにほひ>。おぉ、今朝は珍しく調子がいいから、もう一句参ろう。<柚子に薔薇たをらず入るバスクリン>ってのはどうだろう。

 ※昨日<カワセミや石より白き糞の上>と記した後、新宿御苑へ防寒着上下、折り畳み椅子の重装備でカワセミを撮りに行った。飛び込む辺りにMF(マニュアルフォーカス)でピントを定めておいて、後はその瞬間に連写するだけ。句に関係なく今日もカワセミ写真で、水面に突っ込んだ瞬間。水面が鏡になっている。 


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カワセミや石より白き糞の上 [おくのほそ道]

kawa1_1.jpg 芭蕉が小松から西、紅葉の名勝地でもある那谷寺(なたでら)で詠んだ句が<石山の石より白し秋の風> 那谷寺境内には白い大きな石英岩の洞に観音像が安置されているそうだが、山本鉱太郎著では「那谷寺にそんな岩はなく、ここの岩は薄黒い凝灰岩だが・・・」と記している。これまた「秋の風」に「白」を置いたフィクションだろうか。

 元禄2年秋から、今は平成24年立春。「秋の風」ならぬ「冬の風」がまだまだ厳しい。一昨日、かかぁを誘って新宿御苑散歩へ向かったが、余りの寒さに途中で引き返した。そして昨日、やや穏やかゆえに御苑へ出直した。彼方此方の池が凍って、カワセミが至近で撮れる凍らぬ池に移ったとかで「カワセミ撮り」が並んでいた。

kawa2_1.jpg カワセミを観ていたら、尾をピクッと上げて白い糞をピュと放った。那谷寺の石英岩でも凝灰岩でもなく、普通の灰色の岩に白い糞跡が幾状もあった。「それがカワセミ出没個所の探し方」とベテランが教えて下さった。ヤマガラの番も飛んで来て水を呑んでいた。あたしとかかぁは近くの日向ベンチで、そんな鳥撮り達を見ながら崎陽軒のシューマイ弁当を食った。かかぁがシュウマイを頬張りながら芭蕉句をもじった。<カワセミや石より白き糞の上>

 追記)元禄5年の芭蕉句に<鶯や餅に糞する縁のさき>がある。復本一郎著「芭蕉俳句16のキーワード>で、同句をえらく褒めていた。鶯が持つ本意(その季語が有する意味合い)、本情(季語が有する情緒)を見事に超克した句だと記す。うむ、その意では<カワセミや石より白き糞の上>は秀句ではないか。かかぁは芭蕉かもしれないと思った。


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むざんやなメジロの愛が地に転び [おくのほそ道]

mejironosu_1.jpg 芭蕉は小松の太田(多太)神社に参詣し、斉藤実盛遺品の兜を見てこう詠んだ。50句目 <むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす> この兜を見ると実盛が自分の育てた木曾義仲と戦わんと出陣して討死した、いたわしさが偲ばれる。哀れを誘うように兜の下でキリギリスが鳴いているよの意。芭蕉は「きりぎりす」を多く詠っているが、さて「キリギリス」と「コオロギ」のどっちだろうか。実盛が白髪を黒く染めて若々しく戦った最期、義仲との関係などは「平家物語」による。西行を師と仰ぐ芭蕉にとって「平家物語」は欠かせぬ読物だったに違いない。

 過日、新宿御苑を散歩していたら枯草に、こんな鳥の巣が引っかかっていた。あそらくメジロの巣と思うが、春の繁殖に備えた巣作り最中にカラスに襲われたのだろう。御苑では落ちたメジロの巣を数度見ているから、相当数がカラスにやられているとみた。<むざんやなメジロの愛が地を転び>


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しほらしき大地も時に牙を剥き [おくのほそ道]

susuki1_1.jpg 金沢を出た芭蕉は、7月24日から26日まで小松に滞在した。「小松と云所にて」の詞書で49句目<しほらしき名や小松吹萩すゝす> 小松とは可憐な名で、その名と同じ小松があって、そこに吹く風が萩やすすきもなびかせて情緒のある秋の景色だことよの意。松・萩・すすきと季が連なる。「しほらしい」と「しをらしい」どっちだろう。旺文社の国語辞典は「しをら・し」。

 うむ、「しほらしい」ってのは曲者で、時に猛々しく豹変もするから「しほらしい」人を侮ってはいけない。世の人は概ね「しほらしく」生きている。あたしは黒子(ゴースト)ライターも生業だったゆえ、とてもしほらしく健気に生きてきた。ウソじゃないって。組織のなかにもしほらしいイエスマンが多い。なかには虎の威を借りて威張っているバカもいる。一方、トップもその座に胡坐をかいていれば足をすくわれる。企業ならマーケティングリサーチも肝心か。謙虚さと努力を忘れたら「アラブの春」を挙げるまでもなく、しほらしく耐えてきた人々が牙を剥く。

 今はしほらしく物言わぬ自然・地球が、なんだか怒っているような気がしないでもない。<しほらしき大地も時に牙を剥き> 季は「大地」で四季。写真は小松ならぬ新宿のすすき。


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亡き犬の日向で吾が本を読み [おくのほそ道]

yuki1_1.jpg 芭蕉が金沢で詠んだ3句目は「途中唫」の詞書で<あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風> 赤々と照りつける残暑の日はまだ暑いが、さすがに風は秋らしい爽やかさだの意。 この句も地の特定なく金沢の三ヶ所に句碑があるそうな。

 さて今年は大寒波。テレビニュースが連日、日本海側や北海道の記録的大雪を報じている。それでも4日は立春で、春の兆しもある。夕方5時で暗くなっていたが、まだ明るい。夕まぐれ(夕まづめは釣り言葉?)が延びている。戸外では耳も鼻も眼も痛くなるほどの凍てついた風が吹いているが、ガラス窓越しの日当たりはかすかに暖かい。

 昔、バーキーと呼んだ愛犬がいて、冬になると斜めに細く射し込んだわずかな日当たりで寛いでいたが、今はあたしがそこに寝転がって本を読んでいる。<ガラス戸の外は凍てるも陽は緩み> つまんねぇ句だな。<亡き犬の日向で吾が本を読み> ははっ、これも冴えぬ。「芭蕉だって大半は駄句だ」と誰かが言っていた。写真は雪が降った日に撮った、ビルの狭間越しに見た「明治通り」を舞う雪。(1/30sec)


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