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自転車通学の祖・・・三浦環 [新宿発ポタリング]

 瀬戸内寂聴の小説から、明治期の自転車話が得られるとは思わなかった。「お蝶夫人~小説三浦環」に自転車が出てくる。こうだ・・・。「万人に一人の美声、素質。ぜひ上野の音楽学校に進学しなさい」の女学館・教師の勧めで、その気になった柴田環に、父が条件を出した。「芝から上野まで毎日俥で通わせるわけにはいかん。自転車通学をしなさい」。

 時は明治33年、環(たまき)16歳。かくして自転車がいまだ一般化される前に、長い袂をひるがえし、袴をつけ、編上靴で颯爽と自転車で走る環の姿が登場した。芝から一ツ橋、神田、本郷を抜けて上野・池之端へ往復の日々。その姿を見ようと沿道に野次馬が列をなす。新聞に度々「自転車美人」と掲載されて、絵葉書の芸者より「自転車美人・環」の名は東京中に知れわたる。この影響で、女学生らが一斉に自転車に乗り始めた。明日、世界のオペラ・プリマドンナとなる若き三浦環は、まさに自転車普及の立役者なりぃ~。

 明治34年2月の「読売新聞」に、「梅笑ふ向島へ自転車の美人隊~さすが二十世紀の姫御前」なる記事があるとか。また明治36年2月から9月までの「読売新聞」連載小説、小杉天外「魔風恋歌」の書き出しは自転車に乗る女学生の描写から始まっているとか。「鈴の音高く現れたのはすらりとした肩の滑り、デートン色(深紅色)の自転車に海老茶の袴、髪は結流しにして、白きリボン清く着物は矢絣の風通(ふうつう)、すそ袂長ければ風に靡(なび)いて、色美しき品高き十八九の令嬢」とか。(同作は著作権切れで、ネット検索すると閲覧が可能です)

 さて、図書館に「読売新聞」の明治の縮刷版がありましょうか。連載小説なら毎号挿絵付きでしょうから、女学生の颯爽とした自転車姿がコピーできるかも。入手できれば、あとで画像挿入。

 そう、瀬戸内寂聴「お蝶夫人」は、寂聴らしく性愛が三浦環のパッションのひとつとばかりに、世界のプリマに駆け昇り、老いて亡くなるまでが男遍歴絡みで描かれていた。62歳の環を看取ったのは30余歳下の愛人・三浦素夫。


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