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後の世に煩悩満ちて浅茅かな [くずし字入門]

asajigaharabun_1.jpgasajinoe_1.jpg 西村重長版『絵本江戸土産』下巻は再び浅草裏に戻って終る。文は現在の隅田川七福神巡り(三囲神社・弘福寺・長命寺・白鬚神社・向島百花園・多門寺)コースに重なる。

 

 いとゞ秋は物わびしく。いづくも同じ。秋の景色正燈寺の紅葉を見物して。夫よりたどりて。二本堤を三谷にかゝり。今戸橋を渡りて。浅茅が原に至て見れば。そのかミ梅若の母。妙亀と云尼の結びし庵の跡。妙亀堂とて今にあり。即鏡が池の側なり。昔の有さま哀を催し。秋の日の短を悲しミて。夕暮にやどりかえりぬ。是ぞ実に四時の興ある。江戸紫の所縁の方へのよき土産にもなれかしと。つたなき筆をたつるめでたさ

 

「いとゞ=いっそう、ますます、いよいよ」。「いづくも=どこも」。正燈寺は竜泉一丁目のもみじ寺。梅若と云えば白鬚神社、木母寺辺り。「なれかしと=~そうなってほしいと」。「浅茅が原」は浅草から橋場・総泉寺(現在は板橋小豆沢に移転)辺り。「たつる=絶つる」で「つる」は完了。「めでたさ=よろこばしい位の心境」か。

 

浅茅が原と云えば、浅草寺から隅田川寄り「花川戸公園」に、浅茅が原「姥が池」の怖い鬼婆伝説が眠っている。私流メモなら、「江戸千家」師匠だった亡き母が、浅草芸者衆の芸の発表会「浅茅会」の茶席に係っていて、子供時分に「浅茅会」の名をよく耳にしていた。売れっ子芸者・三浦布美子がいた頃と記憶する。浅草は浅茅でもあろう。

 

「江戸千家」は、江戸東京博物館の江戸関連催事を見学した際に、江戸の女性の習い事順位表で「江戸千家」が一位とのパネルがあった。江戸には「江戸千家」の時代があったのだろう。

 

 これにて西村重長版『絵本江戸土産』上・中・下巻の全文筆写終了。少しは「くずし字」が身に付きましたでしょうか。なお重長の次は鈴木春信版『絵本江戸土産』になる。春信版は「序」以外は上・中・下巻を通じて全頁が絵に文章を添えた形になっているが、とりあえず『絵本江戸土産』シリーズをここで終える。このシリーズの釈文は有光書房刊『絵本江戸土産 茂長 春信画』解説・佐藤要人を参考にさせていただきました。


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