SSブログ

忝奉存候=かたじけなくぞんじたてまつりそうろう [くずし字入門]

kanyoku1_1.jpg 古文書を好かんワケは、封建時代ゆえ極度の尊敬語・丁寧語満載ゆえだろう。遺された古文書は、概ね上下関係のなかの書付、記録。しかも漢文調だ。あたしは熊さん八ッつあん同士の手紙が読みたいが、そんなものは遺っていない。

 

「忝奉存候」なる漢字四字をなんと読む。「かたじけなくぞんじたてまつりそうそう」と十八文字の平仮名になる。下から上へ読む「返読文字」もややこし。以下、読み難い慣用句を列挙メモ。これを覚えれば、かなりの部分がスラスラと読めることになる。

 

「仰付被下置候様偏奉願上候」は、~仰せ付け下し置かれ候(そうろう)様(よう)偏(ひとえ)に願い上げたてまつり候。どこで区切り、返読するかは暗記するがいいだろう。

 

「被為 仰付被下置候ハヽ」。~仰せ付け為(な)され下し置かれ候らわハ」。「為=ため、として」の他に「為=せ、かせ、させ、わせ、らせ、し」と読む。「被=(受身で)され、さる」。「被成=なされ」「被下=くだされ」「被成下=なしくだされ」「被下置=くだし置かれ」「被仰付=おおせつけられ」「被為仰付=おおせつけなされ」「被仰聞候=おおせきかされ候」「被仰出者也=おおせいださるものなり」。

 

上記に「可」が付くと「可被下=くださるべし」「可被成=なさるべし」。「可被下候=くださるべくそうろう」となる。この場合の「可」は可能ではなく、申すの丁寧語。

 

「仍而如件=よってくだんのごとし」。「如此=かくのごとし」。「不及申=もうすにおよばず」。「令」も古文書特有で「令吟味=ぎんみ(せしめ)」「令請印=うけいん(せしめ)」「令覚悟=かくご(せしめ)」「令沙汰=さた(せしめ)」など。この辺は慣用句ゆえ丸覚えがいいようです。


コメント(0) 

屁糞喰ふ星蜂雀の花蜜吸ひ [花と昆虫]

suzume1_1_1.jpg「おや、蜂にしちゃあ大きいな」。蜂に擬態をしているか。ホバリングしながらチェリーセイジ吸密中を撮った。モニターを見たらブレていたが、初めて撮ったゆえにアップ。非常に長い口から、さらにニョロッと管が伸びて(鳥のアリスイと同じ)花芯に届いているような。

 

最初は名が浮かばず「スカシバガ」かとネット画像を検索すれば、その中にスカシガバ交尾写真あり。「どこかで見たなぁ」と思ったら、あたしが撮った写真でビックリした。ここで「スカシバガ」ではなく「スズメガ」と気付いて、チョウ目スズメガ科をネット検索。

 

茶色っぽい後翅のイエローが目立って、腹部に白い帯。間違いなくスズメバの「ホシホウジャク(星蜂雀)」と判明。なんともロマンチックな名よ。しかし幼虫(イモムシ)の時の食草はヘクソカズラ(屁糞蔓)とか。屁糞を喰ひ育った姿と言えなくもないが、ホバリングしつつの吸蜜の姿は、どこか妖しく神秘な魅力もある。

 

suzume3_1.jpg なお大型スズメガは、夜中にウジャウジャの花弁をのばし咲くカラスウリのポリネーター(花粉媒体者 pollinator)とか。いつかはそんな真夜中の幻想吸蜜シーンを見てみたい。


コメント(0) 

男は「穴賢」。女は「穴~」。合字メモ [くずし字入門]

gouji2_1.jpg

片山正和著『60歳からの古文書独学』(新人物往来社刊)を読んでいたら、ネット販売の古本市で入手の吉原は三浦屋・高尾大夫の恋文の写しが載っていた。女性書簡にひんぱんに登場する「仮名のくずし字の合字=まいらせ候、さま、かしく」の解読に、一時はあきらめたほど難渋した。「どうしてこんな字形になるのかわからない」とまで記していた。「さま」は「さ+満」の合字。「まいらせ候」は「詣の旁」のくずしで省略したと推測するが…。

 

 合字(ごうじ)。講座の先生は“合わせ字”と言っていた。あたしは古文書の勉強前に荷風句で「かしく」は知っていた。男が手紙文末に記す「かしこ」の女性版。荷風は若き日に「こう命」「壮吉命」と彫り合った芸者・富松が、後に亡くなったと知って墓地に香花と共に「晝顔の蔓もかしくとよまれけり」の句を手向けた。その「かしく」が朝顔の蔦のようで、荷風の遊び心…、いや、富松から文末に「かしく」の恋文をもらったことがあってのことと推測する。

 

 その「かしく」は「可之久」だろう。ならば男性の「かしこ」は「可之己」か。「穴賢=あなかしこ」。「穴が賢い」とはなんぞや。「あな」は感嘆詞「ああ。あら」。「かしこ=賢し。畏し。恐れ多い。畏れ多い。尊い」。「謹んで申し上げます」の意。

 

 これら手紙文末に用いられる言葉は「書き止め」と言うそうな。「書き止め」には「恐惶謹言」「恐々謹言」「頓首」「敬白」など。

 

合字の「より」はよく眼にするが、「こと」は未だ見たことがない。探していたら兼好『徒然草』の書き出し二行目「うつりゆくよしなし<こと>を」があった。三行目の<こそ>も合字っぽい。

「可被下候=くださるべくそうろう」の「可+被」も、「可=(の)のようなくずし」と「被=(ヒ)のようなくずし」が合字になっていて、筆順は最後に「ヒ」の右点を打つらしい。合字は他にも多かろうが、これまでに知った合字をメモしておく。


コメント(0) 

狂い咲き白い小花にムシも舞ひ [花と昆虫]

hamusi6_1.jpg ベランダの梅花空木が、どうしたものか狂い咲き二輪。例年は梅雨時に可憐な白い小花が満開になる。夜、ガラス越しに仄かに見える白花は、清廉なれど妖しくもあり。それが秋になって狂い咲いた。よく見ると花弁に5ミリほどの虫がいた。

 

マクロレンズで撮って、ネットの昆虫図鑑で調べた。「クロウリハムシ」らしい。オレンジ色の体色に黒い上翅。キュウリなどのウリ科大好きの害虫。都会の7階ベランダになぜ来たか?

 

 狂い咲いても虫が舞う。虫が舞うから狂い咲く。まぁ、尋常な咲き方ではない。人が狂い咲くなら、秘して咲くがよかろうぞ。昨今の「週刊ポスト」「週刊現代」の新聞広告を拝見すると、両誌は毎週にわたって高齢者セックス特集で競い合っている。なんとも見苦しい。「週刊文春」と「週刊新潮」はこれまた“狂い咲き・みのもんた”特集で対決。おっと、「新潮」のトップ特集が少し気になる、年に数度しか買わぬ週刊誌だが「新潮」を買ってみようかしら。

 さて、猫の額ほどのベランダだが、眼をマクロにすれば、それなりに自然が覗ける。チェリーセイジやローズマリーには他の虫も集っている。


コメント(0) 

古文書・原稿用紙・デジタル体裁 [くずし字入門]

kirisitan1_1.jpg ワープロ前は原稿用紙に原稿を書いてきた。原稿書きのルール通り「改行(行替え)」して、次の行頭を「一字アキ」で書き出す。これはワープロからパソコンの横書きになっても変わらず。しかしブログになると、改行が「一行アキ」になる。「ウィキペディア」などは「一字アキ」もない。これがデジタル文の形らしい。

 

 当初は面食らったが、ブログの文字組は行間が狭いゆえ「行替え」で「一行アキ」になった方が読み易い。ここは郷に従えだが、あたしは「一行アキ」になった次の文の頭は、原稿書きのルール通り「一字アキ」で書き出している。

 

 一方、古文書<筆写は参考書「古文書の読み解き方」(吉川弘文館)よりキリシタン法令文一部>の場合は、五行目の「不残曲事ニ可被」の次が「一字アケ」で、「仰付」に続いている。この「一字アケ」(ニ字アケの場合もあり)は、「仰」の主に敬意を表しての「闕字・欠字」。

 

五行目の最期「常々被」は改行されて、「仰付」が行頭から始まっている。これを「平出・平闕(へいしゅつ)=平頭抄出」。お上ゆえの行頭。さらに貴人名や称号を書く際は行頭より「一字上げ」、天子の場合は「二字上げ」の場合もあって、これを「擡頭・台頭・上げ書き」。これらは電子辞書にも説明されている。

 

 上記のような古文書の書き方があり、原稿用紙では「改行・一字アケ」になり、デジタル世界では「改行が一行アキ・一字アキなし」になった。

 

 古文書の参考書は掲載原文は古文書通りで、読み下し文・現代語訳は改行・欠字・平出すべてなしで、本文は原稿書きルール。三通り混合の構成で、なんともややこしい。

 

ついでに言えば、印刷業界も活字組版から電算写植、そしてデジタル(DTP)になった。文章も写真もメール送信。DTPは送信された原稿を棒打ちでレイアウト・スペースに流し込み、後から原稿書きルールに直す作業をしている。よってデジタル世代のDTP担当者が原稿書きルールを間違えぬよう、あたしは原稿ルールで書いた文をプリントアウトして、これに文字指定(書体、字間、行間指定)をして手渡している。DTPはこれを見つつ行替え・一字アキに改めてくれる。

 

写真も容量が大きいとウィルスと判断して送れない、受取れない。結局はCDRを手渡す。便利になったようだが、ちっとも便利になっていない。

 

 筆写の読み下し文は… 一(ひとつ)、切支丹宗門御制禁の儀、御高札(ごこうさつ)の面(おもて)急度(きっと)相守り申すべく候、自然(万一の意)不審なる勧めいたし候僧俗(そうぞく=僧と俗人)これ有り候はば、郷中の儀は申すに及ばず、他所より参り候共とらへ置き申し上ぐべく候、もし隠し置き申し候わば、一郷のもの残らず曲事(くせごと=正しくないこと、処罰)に仰せ付けらるべく候間、常々仰せ付けられ候御法度の趣、油断無く吟味仕(つかまつ)るべく候

 怖いねぇ、間違いは村全体罰。今も体育系教師が、一人の失敗で全員を殴ったりしている。あたしも中学の時に、佐藤先生に数メートル飛ぶほどの勢いで殴られたことある。今でもなぜ殴られたのか理由がわからん。


コメント(0) 

右衛門に読まぬ右あるややこしさ [くずし字入門]

otokona1_1.jpg かかぁの時代小説を読んでいたら、こんな文章があった。…剛左衛門(ごうざえもん)が死体を見て絶句した。「ま・ま・松前屋の信右衛門(しんえもん)さんに間違いありません」。

 

お気づきだろうか。剛左衛門は「左=ざ」と読んで、信右衛門は「右」を読まぬ。古文書の勉強を始めると甚右衛門、伊右衛門、忠右衛門 与右衛門など〇右衛門さんがやたらと出てくる。古文書の講師が「名前も読めるようになりましょう」と言ったが、なぜに「右」を読まぬかは教えてくれなかった。「う・え」の発音が似ていての省略か…。

 

「衛」のくずしも実に多彩。『くずし字解読辞典・普及版』でも、これだけの文字例が載っている。古文書の参考書を見れば、さらにあって、とても覚えられぬ。あげくはカタカナの小さな「エ」で済ます例も多い。

 そして「エ」の次の「門」が、「つ」のようなくずし字で、名前は署名での登場例が多いから、この「つ」が二倍三倍の大きさで書かれていたりする。まっ、大きな「つ」があれば〇〇衛門だなと思って間違いない。加えて村名主に〇右衛門が多いのは何故だろうか。この〇を「名頭(ながしら)」と言うそうな。寺子屋の子供達は「名頭字盡」なる一覧表教材で学んでいたとか。


コメント(0) 

隠居して三度も逢ふて蜆蝶 [花と昆虫]

uranamisijimi5_1.jpg 猛暑続きの夏が終わり、待望の秋風に誘われてベランダに出た。ローズマリーの蜜を「裏浪小灰蝶(ウラナミシジミチョウ)」が吸っていた。気付けば、ここ三年連続で見ている。蜆蝶の季語は春だが、この蜆蝶は例年秋口に我が家のベランダに訪れる。あたしには秋の季語だ。

 

 移動性の高い蝶で、南から分布を広げて東日本では秋口に現れ、やがて寒さに死滅すると云う。毎年、数日の出逢いにすぎぬが、三年連続で逢えば「おぉ、また逢ったなぁ」と呟きたくなる。やがてはこの蜆蝶の訪れで、秋を知るようになるやもしれぬ。老い先短い隠居が友にするには、お似合いの蜆蝶かも。


コメント(0) 

筆写はコピー紙とゼブラ毛筆なり [くずし字入門]

fudepen_1.jpg 何度か記したが、ワープロ出始めの時期(80年代中ごろ)に万年筆からワープロに切り替えた。以来(約30年間)手書きから離れていた。それもあろう、古文書の写筆がえらく愉しい。

 

 と云っても書道とやらには無縁。遣うはコピー紙と筆ペンの自己流。幾つかの筆ペンを試して「ゼブラ毛筆+硬筆」の「毛筆」側が気に入っている。反対側の硬筆は毛のない樹脂のスポンジ状で、これはまったく遣えない。「毛筆」側の毛先(ルーペで覗くと毛状だが、獣毛風の合成樹脂製筆毛だろう)も、しばらく遣っていると毛先に乱れが出るので消耗品と思っている。

 

 ペン軸の中に墨(水性染料インク)が入っているが、これに頼らずに小皿に液墨と水を垂らして、筆滑りがいい感じになる水気含みで書いている。時に「クレタケ製」カラー筆ペンで遊ぶ。あたしの場合の古文書の愉しみは「解読・江戸を知る・言葉を知る・筆書き」かな。


コメント(0) 

檀那ゆえ旅の手形を寺が出し [くずし字入門]

danna1_1.jpg 江戸時代の「往来手形」の古文書を筆写していたら「旦那」が出てきた。…右の者宗旨代々浄土宗にて、即(すなわ)ち拙寺旦那に紛れ御座無く候、然る処、此度心願の儀これ有り候に付き、四国巡拝致したく候間、国々御関所相相違無く御通し下さるべく候

 

この古文書から「あぁ“旦那”は檀那、檀家なんだ」と遅まきながら知った。サンスクリット語「ダーナ」からの仏教語。「与える」「贈る」の意。お寺にお布施をするのが「檀那・檀家」。「菩提寺=檀那寺」。

 

亡き父が、年金暮しに係らず菩提寺からなにかとお布施を請われてホトホト弱っていた。父が亡くなり、お寺さんと縁を切って公園墓地にお墓を移した。これで気軽に墓参りができるようになった。一人っ子のかかぁの両親の墓も都営霊園で、坊さんとは余り縁がない。

 

江戸時代は「寺請制度(檀家制度)」で誰もが檀那寺をもたねばならなくなって、「往来手形」は古文書例の通り、お寺がこの人物は拙寺の旦那だと証明して交付したそうな。江戸市中なら家主が身分を証明。女性だと檀那寺や町村役人も「往来手形」を交付できず、「町奉行」だったとか。この「寺請制度」による宗門人別改帳が、住民票になった。つまり寺が幕府の役所になって、そこからお寺は宗教活動をおろそかにして汚職の温床にもなったそうな。明治維新の「廃仏希釈」のエキセントリックな状況の裏には、そんな寺への怒りもあったらしい。ちなみに関所が廃止されたのは明治2年1月。というワケで、古文書から歴史のお勉強に広がった。

 

今なら「往来手形」に替わるのが「パスポート」。戸籍謄本(抄本)と住民票、自己確認の運転免許証を揃えれば国が交付してくれる。机の奥深くに確か10年有効のパスポートがあったはずだが、もう、この歳では海外に行くのも億劫ゆえに探し出すこともなかろう。


コメント(0) 

山の字に二の字てん付け出るとなり [くずし字入門]

yamayama_1.jpg 古文書の参考書を写筆していたら…「理不尽出入りの旨申し立て出訴奉(しゅっそたてまつ)り」なる例が出ていて、四文字目の「山」に「二の字点」が付き「出」と読ませて、「出入(でいり=もめごと)」。

 

今まで何気なく書いていた「踊り字」だが、筆運びはどうなのだろうと「二の字点」を調べた。何のこたぁ~ない、「二」を斜めに書けばよかった。「山」にくり返し「二の字点」で「山と山」で「出」。遊び心を感じます。「二の字点=揺すり点」。縦書き、かつ訓を重ねて読むときに使われる。

 

 ちなみに他の「踊り字」は「一の字点」が仮名の場合は「ゝ」「ゞ」、カタカナの場合は「ヽ」、漢字の場合は「々」。二字以上の繰り返しは「くの字点」で、これはパソコンでは出ない。「く」と打ってフォントを大きくするが、横書きでは成り立たない。「より」などの「合字」も古文書系専門ソフトではないと出てこない。

 

 くずし字の勉強は筆字ゆえ、パソコンとは対極領域。それをブログテーマにするってぇのが無理なことで、ゆえに面白いところもある。


コメント(0) 

後の世に煩悩満ちて浅茅かな [くずし字入門]

asajigaharabun_1.jpgasajinoe_1.jpg 西村重長版『絵本江戸土産』下巻は再び浅草裏に戻って終る。文は現在の隅田川七福神巡り(三囲神社・弘福寺・長命寺・白鬚神社・向島百花園・多門寺)コースに重なる。

 

 いとゞ秋は物わびしく。いづくも同じ。秋の景色正燈寺の紅葉を見物して。夫よりたどりて。二本堤を三谷にかゝり。今戸橋を渡りて。浅茅が原に至て見れば。そのかミ梅若の母。妙亀と云尼の結びし庵の跡。妙亀堂とて今にあり。即鏡が池の側なり。昔の有さま哀を催し。秋の日の短を悲しミて。夕暮にやどりかえりぬ。是ぞ実に四時の興ある。江戸紫の所縁の方へのよき土産にもなれかしと。つたなき筆をたつるめでたさ

 

「いとゞ=いっそう、ますます、いよいよ」。「いづくも=どこも」。正燈寺は竜泉一丁目のもみじ寺。梅若と云えば白鬚神社、木母寺辺り。「なれかしと=~そうなってほしいと」。「浅茅が原」は浅草から橋場・総泉寺(現在は板橋小豆沢に移転)辺り。「たつる=絶つる」で「つる」は完了。「めでたさ=よろこばしい位の心境」か。

 

浅茅が原と云えば、浅草寺から隅田川寄り「花川戸公園」に、浅茅が原「姥が池」の怖い鬼婆伝説が眠っている。私流メモなら、「江戸千家」師匠だった亡き母が、浅草芸者衆の芸の発表会「浅茅会」の茶席に係っていて、子供時分に「浅茅会」の名をよく耳にしていた。売れっ子芸者・三浦布美子がいた頃と記憶する。浅草は浅茅でもあろう。

 

「江戸千家」は、江戸東京博物館の江戸関連催事を見学した際に、江戸の女性の習い事順位表で「江戸千家」が一位とのパネルがあった。江戸には「江戸千家」の時代があったのだろう。

 

 これにて西村重長版『絵本江戸土産』上・中・下巻の全文筆写終了。少しは「くずし字」が身に付きましたでしょうか。なお重長の次は鈴木春信版『絵本江戸土産』になる。春信版は「序」以外は上・中・下巻を通じて全頁が絵に文章を添えた形になっているが、とりあえず『絵本江戸土産』シリーズをここで終える。このシリーズの釈文は有光書房刊『絵本江戸土産 茂長 春信画』解説・佐藤要人を参考にさせていただきました。


コメント(0) 

水無しの音無橋に狐啼き [くずし字入門]

oujie1_1.jpgotonasibasi1_1.jpg 次は飛鳥山の麓の王子。絵は「おせうぞくゑの木」(装束榎)と「おうぢのいわや」が描かれて、文は「王子初午」と題されている。以下、釈文に私流メモを交える。

 

 「衣更着初午。王子稲荷参詣とて。あすか山のほとりより。老若男女群集して。百度参りの員取のさし社辺に充り。山に至りて狐穴を拝し赤飯をさゝげ奉り。」

「衣更着」は、寒くて衣服を更に着ること。如月、二月。「初午=はつうま・はつむま」はお稲荷さんの誕生日。「百度参りの員取(かずとり)」は数取。数を数え覚える串や木の枝など。「さし」は穴あき銭にとおす麻縄。

 

 「かえりまふしに王子社へ遥拝しぬ。伝え云此の稲荷ハ関八州のとうりやう也とて。毎年極月晦日の夜。狐あつまりて。鳥居に至りて。官位の差別あるよし。其ときの衣装榎とて。田の中に有り。此所に先あつまりて。社の方へ行くよし。近年殊に霊験あらたにて。毎月牛の日の参詣。引きもきらず。のぼりてうちん道路にミてり」

 

「かえりまふし」は「帰りついで」だろう。「遥拝」は遠くから拝むこと。「極月」は十二月。「衣装榎」に集う狐らの絵は広重が描いている。「のぼりてうちん=幟提灯」だろう。「ミてり」は完了で、見えるだろう。どうも素人ゆえ「だろう」連発になる。

 

今は「音無橋」下が「音無親水公園」になってい、昔の面影を再現するかの造園になっているが、子供時分は不気味な谷だったように記憶している。これは昭和30年頃からの約20年に渡っての神田川(音無川)改修工事で、まず水路が変わって不気味な“水無谷”だった頃の風景を子供時分に見たのだろう。谷底にうごめいていたのは狐だろうか…。

 

oujibun3_1.jpg音無橋は昭和五年十一月竣工。震災復興橋のひとつだろう。三連アーチ橋で、御茶ノ水の「聖橋」に似ている。設計は全国各地の有名橋設計の増田淳とか。両側共に二か所の小半円バルコニーが張り出て、子供時分に不気味な“水無谷”を覗き込んだのはここからだったように思われる。

 「おまいさん、今日はどこに行ってきたんだぇ。おや、王子かい、だったら扇屋の卵焼きを買ってきたかえ。なに、忘れた。そりゃないよ」とかかぁが言われた。西村重長版『絵本江戸土産』上・中・下巻、次回で全終了。


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。