SSブログ

鶉衣6:剃髪辨‐夏を旨とすべし [鶉衣・方丈記他]

 2月9日夕刊に栄久庵憲司さん(85歳)の訃報。工業デザイナーの草分けで巨匠、「GKデザイングループ」代表。白く長いお髭がトレードマークだった。あたしは未だ長髪の頃で、仕事にやや倦んで「つり掘・喜楽沼」(西武新宿線・上井草駅?近くの旧早稲田通り沿いで、90年代に埋立られたらしい)へ遊びに行った。ヘラ鮒の底釣り。子供時分の釣りを思い出して竿を握ってみた。そこに「喜楽会」なる倶楽部があり。会長が栄久庵さんだった。釣りが終われば近所の喫茶店で「釣り談義」。メンバーは六、七人で話は釣り以外によく飛んだが、その中心に白く長いお髭を撫でつつの栄久庵さんの笑顔があった。氏の実家はお寺さんだった。楽しい思い出をたくさんいただいた。合掌。栄久庵さんを思い出しながら『鶉衣』の「剃髪辨」の続きへ。

teihatu1b_1.jpg さるも(然るも=そういうも)心にまなぶ事なく、かの三教(仏教、儒教、神教)のよしあしもわかたねば(分かた・ねば=判断できなければ)、只あけくれ(明け暮れ=朝夕=毎日)の自由を思ふに、かれは(総髪は)夏あつく、これは(坊主頭)は冬寒し。

 げに(実に)揚洲の鶴(中国故事で、一人で良い事を独占したいと願う心)は、あたまにだに(だに=推量で~でさえ、=でだった)なかりけり(頭のことだって何とかならん)。これを吉田の法師(吉田兼好)にとへば、冬はいかなる所にもすまる、あつき比わるき住居はたへがたしとぞ。(『徒然草』:家の作りやうは、冬はいかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は耐えがたき事なり、夏をむねとすべし、がある) 是こそ此為の師なりけれ。

 誠に頭巾といふものあらざらむや(「あら」+「ざらむ=ないだろう」+反語の「や」=あるだろうか、あるではないか。冬には頭が寒くても頭巾があるではないか)。(剃髪すれば)手水・行水にさはる(触る)ものなく、襟に垢しみず、枕に油つかざらむは、心も共に清かるべし(「清く+ある」の短縮形「清かる+べし=清いに違いないだろう)。夏をむねとこそと思ひ定めて、つゐに剃るにはきはまりぬ。(続く) 


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。