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鶉衣11:借物の辨‐貧楽を忘れて [鶉衣・方丈記他]

karimono3_1.jpgそも(さて)顔子(がんし、孔子の高弟)は陋巷(ろうこう)にありて、いかきのめし(竹の笊の飯?)瓢箪酒に、貧の楽をあらためず(改めず)とや(詠嘆の=ということだ、~とさ)。さるを今(時は移って今)世の人々借金の山なして「是を苦にすれば限なし、百までいきぬ身を持ちて、さのみは(然のみ=それほど、たいして)心をかなしめむや。一寸さきはやみの世ぞ」と、放言に腹うちたゝきて(打ち叩きて)、「我は貧に安んじたり」など、おなじ貧楽の引ごと(引用)にいふは、やるせなき心のはらへ(祓へ)まらめど(なろうが、なっていようか)、まことは雲水(雲泥)の間違なり。

 ★「貧の楽=貧楽」は「論語」より。貧乏であるためにかえって気楽であること。いい言葉だなぁ。小生も遊ぶお金がない。借金をしてまで遊びたくもなく、机に向かって(お金を遣わず)『鶉衣』読みを愉しんでいます。「論語」は古代中国が生んだ書だが、その現・中国は賄賂塗れの世になっているとか。

 ★日本では国の借金が千兆円を超え、プライマリー・バランス健全化のメドもなく、原発事故から4年になるというのに仮設・避難生活も続き、貧困母子家庭も待機児童も多いというのに、総理はあちこちの国に行っては得意気に「ン十億円援助」の声明を発し続けている。日本・日本人がテロの標的にされたのもそのせいらしい。本当に困った人です。どなたか彼に「貧楽」を教えてやって下さいよ。(参考:現在の日本の政府債務残高は千三十五兆円。国内総生産比205%。戦時期に並ぶ。福島県から全国に避難している方は約12万人。仮設やみなし仮設生活者は約4万戸。「東京新聞」より)


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鶉衣10:借物の辨‐僧の金貸し [鶉衣・方丈記他]

karimono2_1.jpg むかし男ありて、身代(家計)もならの(奈良の=ならず)京春日の里にかす人ありて、かりにいに(借りに往に)けるより(昔、男がいて家計成らず、奈良の春日の里に金を貸す人〝春日〟がいて借りに行った)

 やごとなき(やんごとなしの略、やむごとなし=捨ててはおけぬ事情で)雲の上人も(高貴な方も)かりにだに(借りたって)やは(いやそうではなく)君は来ざらんと露ふか草のふか入し給へば(深入りしてしまえば)、鬼のやうなるものゝふも、露月比より(十一月頃より)は地蔵顔(ニコニコ顔)して、人にたのむもかりがねは、尾羽うちからして、春来てもこし地へかへらず。(貧相な姿となり、春が来ても雁のように来る前の地に戻って行かない。返済しないだろう)

 かりの宿りに心とむ(とむ=求め)なと、人をだに(強調)いさむる(諌む=いましめる)出家達も、借らでは現世の立がたき(難き)にや(疑問・反語の意を表す)

 二季(盆暮れ)の台所には掛乞の衆生(かけごひのしゅじょう=売掛代金をとりたてる音)来りて、色衣(しきえ=僧)の長老これが為におがみ給へば、又ある寺には有徳の知識(金持ちの知僧)ありて、これはこちから借しつけて(金貸しをして)、きり(返済日)の算用滞れば、貧なる檀方(檀家)を呵責し給ふ。かれもこれも共に仏の御心にはたがふ(背く)らむとぞ(~と言われている)覚ゆる(思われる)。長いのでここで切って次回へ続く。

 「かりの宿り」を司馬遼太郎は〝仮りの宿〟としているが間違い。「かり=貸す、借す」+「宿り=すまい、家」=「金貸しの家」が正しい。「伊勢物語」のもじりなどあって無教養の小生は「古語辞典」首っ引きでも難しかった。


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鶉衣9:借物の辨‐玉ともちるなり [鶉衣・方丈記他]

karimono1_1.jpg 大田南畝が『鶉衣』に関心を寄せるきっかけとなった「借物の辨」を読む。 久かたの(月の枕詞)月だに(でさえ)日の光をかりて照れば、露また月の光をかりて、つらぬきとめぬ玉ともちるなり。

 ”つらぬきとめぬ玉ぞちりける〟は百人一首の文家朝康の下の句。貫き通して止めぬ玉が、真珠か数珠かのように散る。ここまでの意は、月でさえ日の光を借りて照る。露も月の光を借りて輝いて玉と散る。

 むかし何某のみことの、このかみのつりばりをかり給ひしより(山彦が海彦に釣り針をお借りしたが)、まして人代に及んで(人の世になって)、一切の道具を借るに、借すものもたがひなれど、砥(といし)の挽臼のといへるたぐひは(云える類は)、借すたびに背ひきく(低く)、鰹ぶしはかりられて、痩せてもどるこそあはれなれ(心が痛む)。

 (だが)金銀ばかりは得(利子)つきて戻れば、もと(元=はじまり、おこり)かる(借る=借りる)事のかたきにはあらぬを(敵ではないのに)、かへす事のかたきより、今は借る事だに(でさえ)たやすからず。(続きは次回へ)

 大田南畝は、この也有『鶉衣』を世に出した前年に吉原・松原家の新造・三保崎を身請けして妻妾同居した。下級武士・御徒歩組の身で吉原の遊女を身請けできる金があるわけもなく、誰かがお金の援助をしたらしい。それは当時の文人らのパトロンで勘定組頭・土方宗次郎だろうと揶揄されている。その土方は田沼意次に代わって老中になった松平定信の最初の粛清で横領罪で斬首される。天明9年=寛政元年で。定信の「寛政の改革」はここから始まっている。

tuyu1_1.jpg 大田南畝は松平定信が老中になると、身の危険を察知して狂歌仲間と絶縁。学問吟味に挑戦する。そんなこともあって南畝には「借物の辨」に痛感するところ大だったと推測される。

 古くは「貸す」を「借す」とも表記された。写真は「月の光を借りて貫き止めぬ玉」の図。


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7)暴走する日本 [政経お勉強]

utukusiikuni1_1.jpg 古賀茂明著『国家の暴走』(2014年9月刊)に、このような記述あり。~安倍総理は自ら積極的に広報戦略に関わっている。新聞社やテレビ局の社長や幹部との夜の会合だ。公邸に呼んだり電話をしたりで、マスコミ幹部に直接働きかける。「安倍さんから電話だ」と聞こえよがしに口にする人もいて、こうした傾向はテレビ局に強い。

 フフッ、この手は、あの猪瀬知事もよく使ってい、その姿をよくテレビに映させていた。バカだねぇ。テレビが体制に弱いのは「電波法・放送法」ゆえか。昨今のテレビは、確かに体制批判が少なくなった。あたしらが若い時分は「安保」をはじめ、マスコミは体制批判が当然だったが、その〝当たり前〟が消えつつある。2月10日に「政権批判自粛にノー」と作家ら2700人賛同の声明が発表されたが、これまたテレビ報道はなかったような。

 一方、逆に出版社(特に中小)は元気がいい。インターネットはより活発だ。フェイスブックなどではなく、しっかり取材、書き込まれたサイトはなかなか読ませる。またネット検索だと瞬時にいろんなこともわかる。例えば安倍お坊ちゃま総理の側近(スタッフ)の世耕官房副長官の奥様は民主党参議院議員と知って腰を抜かした。公開年間所得は4780万円。これには交通通信宿泊費やらの年間1200万円や記載漏れの献金なども多かろうから、夫妻でザッと1億円は血税を得ているかも、ということが一瞬でわかる。

 今まで選挙(投票)は欠かさぬも、政治(家)への関心薄く、初めてその世界に覗き込んでみれば、まぁ驚きの世界なんですねぇ。自分には政治に関する取材力皆無ゆえ深入りはできないが、せっかく読んだ上記書の一部を図式化でまとめてみた。

 同書は2014年秋の刊だが、例の事件で日本は「有志連合」入りし、2月10日には「ODA大綱」改め「開発協力大綱」が閣議決定されて、他国軍隊への援助が可能になるとか。昨日の国会中継では「日本版CIAを早く創りましょう」とやり合っていた。氏の戦争への「13の矢」はあと5つで「積極的平和主義=軍事的影響力をもっての平和」、「日本を取り戻す=戦前の日本=覇権主義=戦争ばかりしていた明治~昭和初期」の「美しい日本」が実現する。

 氏の予測がこれ以上当たらないことを祈ってやまない。なお氏は最終章で「改革はするが戦争はしない政党」が誕生することを切望していた。同書刊で、氏への締め付けはさらに強くなりそうだが見守って行きたい。


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鶉衣8:六十齢説‐夫だけのはぢ紅葉 [鶉衣・方丈記他]

60yowai1_1.jpg 五年前のブログに「ブログ記し六十半ばのはぢ紅葉」なる題をアップし、これは也有翁の「六十てふ身や夫たけのはち紅葉」の戯れ句と記していた。当時は「くずし字」が読めず、現代訳文を読んでいた。改めて「六十齢説(むそぢのよはひのせつ)」の原本筆写・釈文です。

 上壽(じょうじゅ)ハ(は)百歳、中壽ハ八十、下壽ハ六十とかや。蒲柳多病の身の、いかで(如何で=どうして)六十の齢に至り、かの壽の数にハつらなりけん。けふハ長月の四日(元禄十五年九月四日生まれ)、我生れたる日なりけり。世の人の賀(年寿、賀の祝い)とてもてさハくハ(もて騒ぐは)此日なり。

 妹あり妻あり男女の子と(ど)もあり。かれらは心にハうれしとも、めてたしとも(嬉しとも目出度しとも)思はゞ思ひもすらめ、只犬馬の年老たるにこそあれ。もしハ(若しは=もしくは、あるいは、または)かなたこなた(彼方此方)に詩を乞ひ和歌もとめなと(求めなど)して、世にしられ顔なる、我に於てハいと耻かし。

 必(ず)音なせそとかねていましめて(予て戒めて)さる事せず。げにや(実にや、本当にまぁ)古人の耻多しといひけん、我は愚に知らずとも、人はかぞへても笑うらんを。六十てふ(といふ)身や夫(それ)たけのはち(ぢ)紅葉

 この時代の文書は濁点がないので、ここは濁点かなと推測すると容易に読める。「は=ハ」も多い。「耻」は「恥」の俗字。「すらめ」は「す」+「らむ」已然形=~するだろうか。「只犬馬の年」は諺「犬馬の齢(けんばのよわい)=たいしたこともせず、ただむだに年をとること。

 「音なせそ」は手こずった。「平家物語」に「かかる折節に音なせそ」あり。解釈文に「この時期に騒ぐべきでない」とあり。与謝野蕪村句に「音なせそ叩くは僧よ鰒(ふくと)じる」。古語辞典(旺文社)に「はせそ」はない。ネット検索「学研全訳古語辞典」で「なーせーそ」。連語。副詞「な」+サ変助詞「す」の未然形+終助詞「そ」=するな。難しく考えなくも「な」は禁止。~するな。「音なせそ」=物音をたてるのを禁止、静かにしていろの意か。ややこしいゆえ、ここは丸暗記がよろしいようで。


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鶉衣7:剃髪辨‐潔く [鶉衣・方丈記他]

teihatu2_1.jpg 「剃髪辨」の最後を読む。~されば遍昭(僧正で平安歌人)がよみけん(「けむ」を「けん」と発音して。~たという)たらちね(父母、ここでは母)も、今は世におはさねども(御座す=おはす=いらっしゃる+ねども=いないけれども)、官路の険難(役人生活の厳しさ)をしのぎ尽し、功こそならね(ね=打消し「ず」の已然形)、名こそとげね、ほまれなきは恥なきにかへて、今此老の身しりぞき、浮世の塵を剃りすつ(捨つ、棄つ)べきは、いかで(如何で、どうして)うれしとおぼさざらんや(覚えないことじゃない)。かゝれとてこそ撫で給ひけめと、こゝにうたがふ心もなし。

 以下、理屈っぽいので中略する。~わが頭、道にいらねば入道ともいひがたく、人に教へねば法師にもあらず、禅門でもなし坊主にてもなし、(略)我を坊主とも法師ともよばゝよぶ人に随(したがふ)べし。剃りてこそ月にまことの影法師

 「官路の険難を~」の文には、吉宗に反抗した宗春の施策に右往左往しただろう用人の一時も休まらぬ苦労の日々がしのばれる。あたしはここを「フリー人生の険難を~」として自身を慰めている。「剃髪辨」を読む人は、誰もが「官路」を自分の人生に書き換えて読んでみるかも。人それぞれに生きる道は難しい。

 「剃髪」は俗世との潔い一線のようでもある。墓前にお坊さんを呼ぶ。坊主頭のあたしがいて、薄毛を隠したような髪型のお坊さんが読経し説教をする。参列者は両者の頭を見比べつつ、どちらが未練がましく生きているかと苦笑抑える光景が展開したりする。

 いい歳の歌手が若き時分に歌った〝恋愛ソング〟を老体を晒しつつ唄っている。その見事な黒髪は白髪を染めたもので、恰好いい髪型のカツラを外せばハゲがある。観ちゃ~いられない。「ちあきなおみ」の辞め方の潔さを想う。

 昔の子供は坊主頭が多かった。父がバリカンで刈ってくれた。その都度あたしは泣いた。バリカンの歯が毛を噛み(挟み)込む痛さ。あたしが泣けば、父も苛立った。今想えば、あのバリカンは父が軍隊時代に使っていたもので、切れ味が鈍くなっていたのだろう。父はまた皮ベルト状でカミソリをシャッシャァと研いで、顔をあたってくれた。恐怖感を覚えるほどの切れ味。あたしは大人になっても、あのカミソリは使えない。さまざまに想いが膨らんでくる「剃髪辨」です。


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鶉衣6:剃髪辨‐夏を旨とすべし [鶉衣・方丈記他]

 2月9日夕刊に栄久庵憲司さん(85歳)の訃報。工業デザイナーの草分けで巨匠、「GKデザイングループ」代表。白く長いお髭がトレードマークだった。あたしは未だ長髪の頃で、仕事にやや倦んで「つり掘・喜楽沼」(西武新宿線・上井草駅?近くの旧早稲田通り沿いで、90年代に埋立られたらしい)へ遊びに行った。ヘラ鮒の底釣り。子供時分の釣りを思い出して竿を握ってみた。そこに「喜楽会」なる倶楽部があり。会長が栄久庵さんだった。釣りが終われば近所の喫茶店で「釣り談義」。メンバーは六、七人で話は釣り以外によく飛んだが、その中心に白く長いお髭を撫でつつの栄久庵さんの笑顔があった。氏の実家はお寺さんだった。楽しい思い出をたくさんいただいた。合掌。栄久庵さんを思い出しながら『鶉衣』の「剃髪辨」の続きへ。

teihatu1b_1.jpg さるも(然るも=そういうも)心にまなぶ事なく、かの三教(仏教、儒教、神教)のよしあしもわかたねば(分かた・ねば=判断できなければ)、只あけくれ(明け暮れ=朝夕=毎日)の自由を思ふに、かれは(総髪は)夏あつく、これは(坊主頭)は冬寒し。

 げに(実に)揚洲の鶴(中国故事で、一人で良い事を独占したいと願う心)は、あたまにだに(だに=推量で~でさえ、=でだった)なかりけり(頭のことだって何とかならん)。これを吉田の法師(吉田兼好)にとへば、冬はいかなる所にもすまる、あつき比わるき住居はたへがたしとぞ。(『徒然草』:家の作りやうは、冬はいかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は耐えがたき事なり、夏をむねとすべし、がある) 是こそ此為の師なりけれ。

 誠に頭巾といふものあらざらむや(「あら」+「ざらむ=ないだろう」+反語の「や」=あるだろうか、あるではないか。冬には頭が寒くても頭巾があるではないか)。(剃髪すれば)手水・行水にさはる(触る)ものなく、襟に垢しみず、枕に油つかざらむは、心も共に清かるべし(「清く+ある」の短縮形「清かる+べし=清いに違いないだろう)。夏をむねとこそと思ひ定めて、つゐに剃るにはきはまりぬ。(続く) 


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鶉衣5:剃髪辨‐隠居して坊主に [鶉衣・方丈記他]

barikan1_1.jpg 大田南畝が『鶉衣』に注目したキッカケは「借物辨」で、あたしが最初に興味を持ったのは「剃髪辨」だった。あたしらの世代は概ね長髪。40代の某日、にわかに長髪がうっとうしく思った。当時は佐内坂に若い者の事務所があって、あたしは曙橋に事務所を持ってい、曙橋の床屋で衝動的に丸坊主にしてもらった。床屋を出ると頭皮にすぅすぅと風のそよぐ感あって「こりゃ爽快なり」と撫で回したもの。以来、坊主頭。最初は床屋へ行っていたが、そのうちに自分で電気バリカンで刈るようになった。そんなワケでこの「剃髪辨」には共感するところ大だった。

 剃髪辨(ていはつのべん) すべて天地の間、その理(ことわり、道理、わけ)ありて姿あるべく(それぞれ理由があって、それぞれの姿がある)、すがたありて後、名はあるべし。いでや(さてまぁ)世をのがれて(隠居して)うき世の名をあらためんには、その姿まづあらざらむや。

teihatu1a_1.jpg (百人一首の和泉式部「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」あり。「あらざらむ」=「アリ」の未然形「アラ」+打消の「ザラ」+推量「ム」=まづいないだろう。司馬遼太郎は〝改めなければならない〟と現代訳しているが〝その姿はまづないだろう〟と訳すのがいいだろう(素人のあたしが何を言うか)。氏は白髪ふさふさがトレードマークだったゆえ、剃髪の心境はわからなかったかも。

 今やさかやきの世間をやめては(月代=武士の頭上部を剃った部分。武士の世界にいることを辞めては)、神儒(神道者、儒者)の束髪(総髪にして束ねた髪型)にや(疑問・反語)似せん、釈氏(僧侶)の剃髪にやならはんと、模稜の手(「もうようの手=曖昧な態度に)思へるも、かりそめ(その場、間に合わせ)ながら生涯の仕上なれば、一大事の分別にありけり。(続く)


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6)格差への道 [政経お勉強]

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 政経お勉強5)を記した後にパソコン不調で、図書館の書棚をブラブラと廻った。2006年刊の橘木俊詔著『格差社会』(岩波新書)があり、2008年刊の中谷巌著『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社)があった。目下のベストセラー、水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』に書かれたことは、すでに6、7年も前から指摘されていることを知った。しかも中谷著には今話題の「トーマス・ピカティ(まま)」指摘点も紹介されていた。★なお、今日8日の東京新聞は「ピケティ特集」の感。見開き頁で独占インタビュー。「社説」も「時代を読む」もピケティがらみ。

 さて、ピケティ氏来日で、民主党が格差是正の必要を問えば、お坊ちゃん総理は「まず成長」と突っぱねたそうな。2月3日のBSフジ「プライムニュース」でも自民党側出席者が「まずパイを大きくしなければ格差是正もできないでしょう」と言っていた。

 アベノミクスはパイを大きくして、三角錐に組んだワイングラスのトップに水を注げば下も満ちよう=トリクルダウン理論だが、今朝の新聞でピケティ氏は「トリクルダウンの理論が実現した例は過去にありません」と発言していた。パイを大きくする=成長至上主義。コレが格差をいかに拡大したかをお勉強してみる。

konritu_1.jpg 武田晴人著『脱・成長神話』(朝日新書)の冒頭に、こんな記述があって驚かされたい。「経済成長という言葉、概念が使われだしたのは、せいぜい60年くらい前からのこと」。ウヘッ、50年代半ばってこと。経済白書で「もはや戦後ではない」と記されたのは1956年(昭和31年)。テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三種の神器が普及した神武景気の頃らしい。

 また同書は、1961年からの「国民所得倍増計画」は文字通り〝国民みんなの所得倍増〟で、完全雇用で格差是正を目指した。その結果が「国民総中流層」の実現に至る。中谷巌著には自身の69年からのハーバード大留学時の米国中流階級による「よきアメリカ」に感動したとの述懐が記されていた。

 中谷巌氏はその影響もあったか、アメリカ流の急先鋒として行政にもタッチしたが、その後のアメリカの荒廃に、自らの考えを懺悔・転向の自戒を込めて同書を執筆したと告白している。「よきアメリカ」がなぜ崩壊したか。「新自由主義=構造改革」と「グローバル資本主義」が「危険思想」だったとさえ記している。それは〝パンドラの箱〟を開けたようなものだったと懺悔する。

 新自由主義は規制を撤廃してマーケットの自由な動きで経済を活発化しようという「レーガノミックス」を生んだ、慾の開放。共同体価値を無視し〝より多く儲けた者=勝ち組〟になる。この「構造改革」が日本に入ってきて「小泉構造改革=聖域なき改革」。米国で起こったと同じ現象が日本でも起きた。雇用規制の開放で派遣社員が増えた。そこに「IT技術と金融グローバル化」。生産工場は海外に出て行けばリストラが。地球環境も食品汚染も一気に世界規模で拡大した。(上図の「レーガンミックス」は「レーガノミックス」に訂正。クリック拡大でどうぞ)

 そして同著をはじめ多くの経済書には、OECD(経済協力開発機構)の所得分配調査が紹介されている。日本は先進国のうちで三組分けの最下位「不平等性の高い国」に括れ、OECDの平均所得の50%以下を貧困者と定義した貧困率調査で、日本第5位が紹介されている。メキシコ、トルコ、アイルランドを抜いた先進国ではアメリカに次ぐ貧困率2位。あぁ、我が日本の現状はこの有様、なにが経済大国だ。なにが平等だ。(2012年データでは、日本は堂々の4位になっていた)。

 あたしは日々テレビに流れる1億円余の資産を有した閣僚らの姿を見つつ、あぁ、これじゃ日本は良くならねぇなぁと思ってしまった。彼らは本当に正しく?税金を払っているのだろうか。誤解なきように言っておくが、あたしは如何なる政党員でもなく、ただの隠居。なお中谷巌の同著内容については「松岡正剛の千夜千冊」に詳しく紹介されていた。


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5)ゼロ成長で豊かに生きる [政経お勉強]

 人生初「政経お勉強」を始めると、眼を止めるテレビも違ってくる。早起きのあたしはBSジャパンの朝「Newsモーニングサテライト」に見入った。東京・NYを結んで円高、株高、格差、量的緩和、アベノミクス、物価指数などの言葉が飛び交う。「テレビ東京」系は日本経済新聞社系ゆえ経済に特化した「日経朝とく」「日経プラス10」「ワールドビジネスサテライト」等が特徴。

 本も水野和夫著だけではマズかろうと紀伊国屋書店へ。まぁ、新書コーナーは経済書で盛り上がっていた。『税金を払わない巨大企業』なる新書腰巻にはソフトバンク0.006%、ユニクロ6.92%の大活字。アベノミクス批判書も多い。

 テレビは系列新聞社の色付き、体制へつらい、ジャーナリズム欠如、芸人頼り、韓国ドラマなど情けない媒体になって久しく、観たくない番組が多い。加えて公共電波利用による「放送法」(政治的に公平であることなど)のシバリもあろう。比して出版社は誠に自由闊達の感がした。あたしは古本、図書館派だが、たまには新刊書店を覗くもいいかなと思った。

 平積みから、内容はわからぬが題名から佐伯啓思著『「アメリカニズム」の終焉』、武田晴人著『脱・成長神話』、小幡績著『円高・デフレが日本を救う』を購った。オォ!これは経済分野外だが橋下徹・猪瀬直樹・石原慎太郎(当時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、今は羽抜鳥の感)らが結託した攻撃で筆を折った佐野眞一〝復活〟の書『ノンフィクションは死なない』があって思わず入手し、最初に読了なり。

 さて、水野和夫著のまとめに入る。第三章からは資本主義終焉後の考察。いち早く資本主義の限界に突き当たり、経済的需要飽和点に達した日本こそ、新システム構築のポテンシャルがあると指摘していた。

 先進国はもう「無限」がない事を知ったのだから「より速く、より遠く、より合理的」から「よりゆっくり、より近く、より曖昧に」で、そこに幸せを見出す新システムを創ったらいいだろう。まずは「脱成長」へソフト・ランディングしよう。

hanazonotuina2_1.jpg その先は「ゼロ成長=定常状態」だろう。例えば自動車なら乗り潰してから買い換える=一定台数で推移する社会。だが日本はすでに一千兆円余の借金がある。ゼロ成長だって至難。気を抜けばマイナス成長になる。今のまま成長を夢見るアベノミクスでは危機が加速、破綻も拡大されるだけだろう。同書はそんな警告で終わっていた。

 同書を読み終えたところで、かかぁの声。「おまいさん、ペットボトルのお茶が115円のところ、今日だけ87円だってさぁ。持てるだけ買って来ておくれよ」「よっしゃ」。ふん、あたしなんかとうにゼロ成長で生きているんだがなぁ、と呟きつつスーパーへ向かった。

 写真は2月3日の新宿・花園神社の節分祭追儺式(ついなしき)。旧暦の大晦日。立春の前日。有名人・芸人なしで宮司さんと鬼の問答に恵比寿様、大黒様も登場。「豆打ちてゼロ成長の豊か哉」


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4)資本主義の終焉は民主主義をも~ [政経お勉強]

minnsyuhokai_1.jpg 2月1日「東京新聞」に「ピケティ氏、本紙と単独会見」速報。詳細は後日掲載とあったが核心一部が紹介されていた。氏は「日本の富裕層上位10%の富が、1960年代は全体の30%程度で、2010年は40%に上昇」。富の集中が進んでいると指摘。非正規労働者が全体の4割に拡大していることには「経済成長を阻止する」と懸念。また「人口減少は経済成長率を鈍化する」。親から遺産を引き継ぎ、家賃や配当を稼げる富裕層と、所得が伸び悩む中低所得層の不平等が広がる」と指摘したそうな。

 日本の総理は、何故に親から遺産を引き継いだ元総理の子や孫で、かつ財閥裕福層のお坊ちゃま(麻生太郎、福田康夫。鳩山由紀夫、安倍晋三など)が就任するのだろうか。おっかしいなぁ~。

 さておき、ここでは水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』より氏の資本主義史観による〝資本主義の変遷〟を自分流解釈でまとめてみる。①12~13世紀のイタリア・フレンツェで「資本家と利子」が登場。②16~17世紀にイギリスが海を越えて途上国の資産を搾取。この所有欲=資本の蒐集が欧州資本主義の理念。③自国工業力が優って自由主義、植民地主義を主張。④途上国が発展して自国を脅かせばIT技術と金融自由化のグローバリゼーションを推進。⑤蒐集する周辺(国、地域、人々)がなくなってきて資本主義が終焉へ。

 加えて「蒐集」による破綻例をこうあげている。★「9・11」は米国金融帝国の「蒐集」に第三世界が反抗したもの。★リーマン・ショックは「電子・金融空間」でマネーを過剰「蒐集」しての自滅。★日本の原発事故はエネルギー「蒐集」で起きた事故。★欧州危機は独仏同盟による領土「蒐集」(ユーロ帝国)が招いた危機。「蒐集」が限界に達して資本主義の歴史が終焉に向かっていると説明。

 水野著は、それが「民主主義をも破壊」するとも指摘している。「近代システムは中間層がいて、民主主義と資本主義が成立していたが、今日の貧富二極化による中間層減少で民主主義も成り立たなくなった」。「日本では1970年代に〝1億総中流〟が実現したが、中国で〝13億総中流〟が実現するとは思えない。富裕層と貧困層になれば階級闘争が激化し、中国共産党独裁体制も揺さぶられよう」。

 また「富める者は、強引で独断になりがち」ともあった。今朝の新聞で野村総研調査の消費者アンケートが発表されていた。北海道ではアベノミクス「全く実感していない」「実感していない」計75.4%。関東では同計65.1%。別記事で「百貨店売上高4社前年割れ」、「1月新車販売前年比19.1%減」。「味の素が原料価格高騰と円安で輸入コスト上昇で値上げ」。アベノミクスによる異次元的量的金融緩和の大きなツケが、民主主義の行方がちょっと怖くなってきた。


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3)富裕層1%が全資産半分を独占 [政経お勉強]

 横井也有『鶉衣』を続けたいが、政経お勉強を始めると状況は刻々と変化して慌ただしい。その意では「江戸」は優しい。こちらが行くまで待ってくれよう。かくして「政経お勉強3)」に入る。

kabudaka_1.jpg アベノミクス第一の矢は「量的金融緩和」の他に、GPIF(年金積立金管理運用独立法人)の日本株運用比率を12%から25%に引き上げた。政府は年金積立金で日本株を買わせた。外国投資家と年金積立金で株価17,000円台へ。日本は「禁じ手=大規模量的金融緩和=財政ファイナンス」をいつまで続けるのだろう。(ここは「山田順プライベートサイト」を参考。氏はブログ文の著作権を開放されてい、それは小生も同じ。勉強させていただいています)。

 そう心配した1月23日、新聞に「欧州中銀が量的金融緩和」の大活字があった。3月から2016年9月までユーロ圏の政府発行国債を毎月約8兆円、総額150兆円買い込むらしい。ギリシャの債務超過に端を発したヨーロッパ不況だが、先日のギリシャ選挙では欧州連合(EU)主導の緊縮政策に異を唱える新首相が誕生。欧州の先行き不透明。

 世界各国が不景気脱出に「量的金融緩和」だが、国債は国の借金。限度を越えれば国債暴落。国の財政崩壊。図式通りに参らぬ危ない綱渡りが続く。どうやら資本主義は行き詰まったらしい。

 水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』には「リーマン・ショック後も3年に1度バブルは生成し、崩壊する」とあり、懲りない政治家の〝成長〟頼りで、繰り返されるバブル。その度に富裕層上位1%に富が集中。そしてバブル崩壊の度に公的資金で金融機関が救済され、その犠牲で中間層がリストラされて貧困層が増える、とあった。

IMG_6197_1.JPG そんな文を読んだ1月20日の新聞に、なんと「富裕層1%が世界資産の半分を所有」の大活字。これは国際非政府組織オックスファムが19日に発表したもの。2014年、富裕層上位1%の所有資産が全世界資産の48%を占めた。1%の人々の平均資産は約270万㌦(約3億1500万円)。上位80人の資産合計は222兆円。これは下位50%、約35億人を合わせた資産とほぼ同じ。「えらいこっちゃ。格差がこんなに広がっていたとは」。

 ちなみに日産カルロス・ゴーン社長の年収は10億円。累計100億円。例えばこれで資産運用をしていれば想像できぬ金額に膨れ上がっているだろう。ネットで「役員報酬ランキング」を見ると、つくづくイヤになってしまう。なぜに格差はここまで拡大したか。

 1月30日、格差拡大を論じた世界的ベストセラー『21世紀の資本』(みすず書房刊、分厚そうな本で5949円)の若い経済学者トマ・ピケティ氏が来日した。国会でさっそく「ピケティ氏論争」。格差是正を訴えた民主党に対し、安倍お坊ちゃんは〝まずは成長〟と突っぱねたらしい。(新聞報)

 資本主義はどうしようないほどの格差を生み、終焉に向かっているらしい。老いたあたしは分厚い『21世紀の資本』を読み込む気力はないが、先日夜、眠れずにテレビをつけたらEテレでピケティ氏のパリ講義が放映中で見入ってしまった。富と資産の保有者の資産収益率(r)> 経済成長率(g)とか。しかも日本は4人に1人が高齢者で、6人に1人が貧困。当然ながら経済成長率は余りに微小だ。


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